歌舞伎町ブルース

島原大知

本編

第1章


 新宿の夜は、まるでネオンに彩られた画布のようだ。キラキラと輝く光が、澱んだ空気の中で踊り、街を埋め尽くす。私はいつものように、そのネオンの海に身を沈めていた。夢も希望も持てない日々の中で、せめて夜だけは現実を忘れられるのだ。

 私の名前は桜井美優。母を亡くし、厳格な父との軋轢に悩む女子大生だ。生きる意味を見失い、自分の居場所を求めて彷徨っている。そんな私が足を踏み入れたのは、新宿の歓楽街、歌舞伎町だった。

 ここは、私の心の闇に呼応するかのような場所だ。赤や青、黄色のネオンが街を照らし、耳を劈くような音楽が鳴り響く。人々の笑い声、怒号、嬌声が入り混じり、まるで現実とは別の世界のよう。私はその喧騒の中に、心の安寧を見出していた。

 今夜も私は、いつものようにクラブでアルバイトをしている。ドレスに身を包み、艶めかしい微笑を浮かべて客をもてなす。本当の自分からはかけ離れた、仮面を被った私。でも、この仮面を被っている時だけが、生きている実感を得られる瞬間なのだ。

 ふと、フロアに見覚えのある顔を見つけた。幼馴染の沙耶だ。高校の頃、女優を目指していた彼女。だが今は、アダルトビデオに出演していると聞く。夢破れ、この街に染まっていったのだろうか。

 一方、バーカウンターには、初めて見る青年の姿があった。爽やかな風貌とは裏腹に、どこか影を宿した瞳が印象的だ。お酒を一人で静かに飲む姿は、この喧噪の中で違和感を覚えるほど。

 私は彼に惹かれるように近づいていった。話しかけるつもりはなかったのに、言葉は自然と口をついて出た。

「こんな店で一人で飲むなんて、珍しいですね」

 驚いたような、しかし嬉しそうな表情を浮かべ、青年は言った。

「僕は橋本正太郎。君は?」

 正太郎。その名前を聞いた瞬間、私の中に不思議な感覚が芽生えた。運命の歯車が、音を立てて動き出すような。

 私たちは意気投合し、夜通し語り合った。正太郎もまた、家庭の問題を抱えていた。ホスト狂いの母に愛想を尽かし、家出をしてきたのだという。互いの孤独を埋め合わせるように、心を通わせる私たち。

 ふと沙耶の姿が目に入った。以前と変わらない明るい笑顔。だが、その瞳の奥に孕む哀しみまでは、笑顔で誤魔化せない。思わず目が合ってしまった私に、沙耶は軽く会釈をする。昔のように駆け寄って来ることはないのだ。私たちの間に横たわる、見えない溝。

 この街の光は美しい。だが、その光は影を作る。私も、正太郎も、沙耶も、その影の中で生きているのだ。私たちは互いに惹かれ合うが、傷つけ合うことも避けられない。

 私は正太郎の瞳に引き込まれるように見つめていた。心の奥底で感じる寂しさを、彼もきっと分かってくれる。だけど、それを口にすることはできない。言葉にすれば、その儚さに耐えられなくなるから。

 ネオンが、私の世界を歪ませる。本当の気持ちなんてわからない。ただ、孤独だけがリアルだ。この街に吸い込まれていく自分を感じながら、私はまた1つ、仮面を被った。心の叫びを誰にも聞かせない、悲しくて美しい仮面を。

 沙耶の親友だった頃の私。母の愛に包まれていた頃の私。本当の自分は、どこかに置き去りにしてきた。でも、もう戻れない。この漂流する魂を、せめて夜の街だけは受け止めてくれる。

 ネオンは、私の涙を映さない。光の中で、私は泣き続ける。誰にも見えない心の傷を、ただ抱えて生きていくしかないのだ。孤独に耐える術を知らない、哀しくて脆い私。

 正太郎と別れ、1人夜道を歩く。ふと、空を見上げれば無数の星が瞬いている。こんなにも星が輝いているのに、私の心は暗闇のまま。

 いつの日か、心の闇を照らす光を見つけられるだろうか。私はただ、そう願うことしかできない。夜の街に溶けていく孤独な魂を、そっと抱きしめながら歩いていく。どこへ行くでもなく、ただ歩く。歌舞伎町の喧騒に、私の孤独な足音が虚しく吸い込まれていく。


第2章


 翌日、いつものようにアルバイトに向かう。昨夜出会った正太郎のことが、妙に気になっていた。あの孤独な瞳が、私の中に焼き付いて離れない。

 クラブに入ると、ネオンライトが一斉に私を出迎える。この街では、太陽の光よりもネオンの輝きの方が眩しい。私はその光に導かれるように、いつもの場所へと向かう。

 着替えを済ませ、フロアに出ると、そこには意外な人物がいた。正太郎だ。昨夜とは違う、少し緊張した表情で私を見つめている。驚きと嬉しさが入り混じる中、私は彼に微笑みかけた。

 近づいてくる正太郎。その目には、何かを訴えかけるような熱が宿っている。

「美優さん、君に伝えたいことがあるんだ」

 そう言って、正太郎は私の手を取った。その温もりに、昨夜感じた孤独がうそのように消えていく。

 だが、その時、視界の隅に見覚えのある顔が映った。沙耶だ。複雑な表情で、私たちを見つめている。心なしか、悲しみの色が濃くなったように見えた。

 私は戸惑いを隠せずにいた。正太郎への思いと、沙耶への申し訳なさ。相反する感情が、胸の内で渦巻いている。

 気まずい沈黙が流れる中、沙耶が私たちに近づいてきた。その表情は、昨夜見せた明るい笑顔とは打って変わって、冷ややかだ。

「久しぶりね、美優。あなたも、この街に染まっちゃったの?」

 皮肉の効いた沙耶の言葉に、思わず言葉を失う。確かに、私もこの街の住人の一人になってしまったのかもしれない。

 そんな私を見て、正太郎が口を開いた。

「沙耶さんとは、知り合いなんだね」

「ええ、昔の友達よ。でも今は、ただの通りすがりの他人だけどね」

 沙耶の言葉は刺すようだ。私は反論したいのに、言葉が出てこない。昔の私たちは、どこへ行ってしまったのだろう。

 そんな中、沙耶が突然、笑みを浮かべた。だが、その笑顔は心からのものではなく、何かを隠すためのものに見える。

「ねえ、正太郎。私とも、飲まない?」

 その言葉に、正太郎は戸惑いの表情を浮かべる。一方で私は、嫉妬に近い感情が込み上げてくるのを感じていた。

 フロアの照明が、三人の影を歪ませる。ネオンが、私たちの複雑な関係を照らし出すかのよう。私は自分の感情を抑えきれずにいた。

 この場を離れたい。そう思った瞬間、私は身を翻して店の外へと駆け出していた。後ろから正太郎が呼ぶ声が聞こえるが、私は振り返らない。ただ、目的もなく街を歩く。

 キラキラと光るネオンサイン。賑やかな人々の笑い声。それらが、今の私の心とはあまりにもかけ離れている。孤独が、再び私を包み込む。

 瞳の裏にはある風景が映し出される。

そこに映し出されているのは、あの頃の私と沙耶だ。無邪気に笑い合う、かつての親友。今は、ただのセピア色の思い出。

 それを見つめる私の瞳からは、いつしか涙がこぼれていた。私はこの街で何を求めているのだろう。心の拠り所? それとも、自分自身?

 答えは見つからない。ただ、この街をさまようしかないのかもしれない。心の隙間を埋めてくれる何かを、いつまでも探し求めて。

 ネオンの明かりに照らされながら、私はゆっくりと歩みを進める。どこに行くでもなく、ただ前に進む。背中に、歌舞伎町の喧騒が遠ざかっていく。

 ポケットの中で、携帯が振動した。正太郎からのメッセージだ。

「君を一人にはしない。僕がいるから」

 その言葉に、涙があふれそうになる。心の奥底で、小さな光が灯ったような気がした。

 私は空を見上げた。ネオンに掻き消されそうな星が、かすかに瞬いている。この街では見えにくい星明かり。それでも、確かにそこに在る。

 正太郎の言葉を胸に、私は再び歩き出す。まだ、答えは見つからない。だけど、それを探す旅は続いている。私の心の在処を、見つけるその日まで。

 今はただ、ネオンの海に身を任せよう。きっと、いつかは光が差す。その信念だけが、私を突き動かしている。歌舞伎町の夜に溶けていく一人の女性。その孤独な旅路は、まだ始まったばかりなのだから。


第3章


 朝日が、ビルの谷間から差し込んでくる。夜の喧騒が嘘のように、街は静けさに包まれていた。私はベンチに腰掛け、ぼんやりと空を見上げる。

 昨夜のことが、走馬灯のように頭をよぎる。正太郎の言葉、沙耶の冷たい視線。私の心は、まるで引き裂かれたかのようだ。

 ふと、隣に誰かが座ったことに気づく。見れば、沙耶だった。夜とは違う、素顔の沙耶。疲れた表情で、じっと前を見つめている。

「ねえ、美優。私たち、何してるんだろうね」

 沙耶の問いかけに、私は答えられない。ただ、同じ気持ちだと伝えるように、小さく頷くことしかできない。

「私、この街を出ようと思うの」

 沙耶の突然の言葉に、私は驚きで目を見開く。沙耶は苦笑いを浮かべ、続けた。

「AV女優になったこと、後悔してる。でも、もう後戻りはできない。だから、せめて違う場所で、新しい人生を始めたいの」

 沙耶の瞳には、決意の光が宿っている。私はその強さに、心を打たれるのを感じた。

「応援してる。沙耶なら、きっとやり直せる」

 私の言葉に、沙耶は小さく微笑む。昔見た、あの無邪気な笑顔に重なった。

「ありがとう、美優。あなたも、自分の道を見つけて」

 そう言い残し、沙耶は立ち去っていった。その背中を見送りながら、私は自分自身と向き合う。私は、何を求めているのだろう。

 午後、いつものようにクラブに向かう。しかし、何か違和感を覚える。いつもの熱気、喧騒が、今日は遠く感じられるのだ。

 そこに、正太郎の姿を見つけた。私を見つけた彼は、一直線に駆け寄ってくる。

「美優さん、君に伝えたいことがある」

 まるで 一度見たような光景。しかし今日の正太郎は、昨日よりも真剣な表情をしている。

「僕は、君が好きだ。この街を出て、一緒に新しい人生を始めよう」

 あまりに突然の告白に、私は言葉を失う。正太郎の瞳は、真っ直ぐに私を見つめている。その眼差しに、私の心は揺さぶられた。

 だが、私にはまだ答えられない。自分自身と、もっと向き合わなければ。私は正太郎に、そう伝えた。

「ごめんなさい。私、自分の気持ちがまだよくわからないの。少し、時間をください」

 正太郎は悲しそうに微笑むと、私の頬にそっと手を添えた。

「わかった。君の答えを、待ってるよ」

 そう言って、正太郎はクラブを後にした。私はただ、その背中を見つめることしかできない。胸の中で、何かが騒めいている。

 私は、この街を歩き始めた。ネオンが、いつもよりも眩しく感じられる。人々の笑顔、会話の声。全てが、違って見える。

 歌舞伎町の片隅で、ギターを弾く街頭ミュージシャンを見つけた。その音色に引き寄せられるように、私は足を止める。優しいメロディーが、心に沁みわたっていく。

 ふと、涙が頬を伝うのを感じた。私は、泣いているのだろうか。自分でも、よくわからない。ただ、胸の奥に温かいものが広がっていくのを感じる。

 空を見上げれば、満天の星空が広がっていた。ネオンの光を凌駕するように、星が瞬いている。その光に、私は自分の答えを見つけたような気がした。

 翌朝、私は正太郎に会うため、待ち合わせ場所に向かう。朝日に照らされた街並みは、まるで別世界のよう。

 正太郎は、いつものように優しい笑顔で私を迎えてくれた。私は、彼の目をまっすぐ見つめ、言った。

「私、この街を出ます。正太郎さんと一緒に」

 私の答えに、正太郎の瞳が驚きと喜びに輝く。そっと、私の手を取ってくれた。その温もりが、心に染み渡っていく。

 私たちは、歌舞伎町を後にした。新しい人生に向けて、一歩を踏み出す。振り返れば、ネオンの海が、まるで私たちを見送っているかのようだ。

 この街で過ごした日々、出会った人々。全てが、かけがえのない思い出となって、私の中で輝き続ける。

 私は空を見上げた。昨日までは見えなかった、まばゆいほどの青空が広がっている。そこに浮かぶ白い雲が、私たちの行く末を優しく照らしているようだった。

 手を繋ぎ、歩き出す二人。その先に待つ未来は、きっと希望に満ちているはずだ。そう信じて、私は正太郎と共に、新たな一歩を踏み出すのだった。


第4章


 東京を離れ、私たちは小さな町にたどり着いた。山々に囲まれた、自然豊かな場所。都会の喧騒とは、まるで別世界だ。

 新しい生活が始まった。正太郎は、地元の工場で働き始めた。一方、私は図書館で司書として働くことになった。慣れない仕事に戸惑いながらも、新しい環境に少しずつ溶け込んでいく。

 アパートの窓から見える景色は、いつも変わらない。緑の山々、澄み渡った空。その風景を見ていると、心が洗われるような気持ちになる。

 仕事帰りに立ち寄る商店街。そこで私は、一人の女性と出会った。彼女の名は、麻里江。私と同じように、過去から逃れるようにしてこの町にやってきたのだという。

 麻里江との出会いは、私に新たな気づきをもたらした。人は、過去から完全に逃れることはできない。大切なのは、過去と向き合い、そこから学ぶことだと。

 ある日、私は図書館で一冊の本を見つけた。表紙に書かれているのは、『自分を愛するということ』というタイトル。何気なく手に取ったその本が、私の心を大きく揺さぶった。

 本の中で著者は、こう語っている。

「自分を愛するとは、自分の過去も、現在も、未来も、全てを受け入れること。その全てが、今の自分を形作っているのだから」

 その言葉に、ハッとさせられる。私は、自分の過去から逃げていたのではないだろうか。歌舞伎町での日々、母を亡くした悲しみ、父との確執。全てから、目を背けようとしていた。

 だが、それらは全て、私の一部なのだ。受け入れ、乗り越えなければならない。そう気づいた時、私の心に、ある決意が芽生えた。

 私は正太郎に、こう切り出した。

「東京に戻りたい。私、自分と向き合わなきゃいけないことがあるの」

 正太郎は、少し驚いたような表情を見せた。だが、すぐに理解したように頷いてくれた。

「わかった。君の決めたことなら、僕は付いていくよ」

 その言葉に、涙が込み上げてくる。正太郎の支えがあるから、私は前に進めるのだ。

 東京に戻った私たちを待っていたのは、変わり果てた歌舞伎町の姿だった。かつてのネオンは、その多くが消え、寂しげな印象を与える。

 だが、私の目には、違って見える。あの日々は、確かにここにあったのだ。苦しみ、悩み、それでも必死に生きようとした、私の大切な時間が。

 私は、沙耶に会いに行った。彼女は今でも、あの街に留まっていた。再会した沙耶は、少し痩せて見えた。だが、その瞳は以前よりも強い光を宿している。

「美優、あなたがここに戻ってくるなんて、思わなかった」

 驚きを隠せない様子の沙耶。私は、ただ微笑むことしかできない。

「ねえ、沙耶。私、この街で働こうと思うの。かつての私を受け入れるためにも、ここで生きていきたいの」

 私の言葉に、沙耶は目を見開いた。だが、すぐに柔らかな表情を見せ、頷いてくれた。

「美優、あなたは強くなったわね。私も、この街で生きていく。二人で、新しい歌舞伎町を作っていきましょう」

 私たちは、固く手を握り合った。かつては傷つけ合っていた私たち。だが今は、お互いを支え合う、かけがえのない存在となっていた。

 夜、私は正太郎と共に、歌舞伎町を歩いた。ネオンは、以前ほど眩しくはない。だが、そこには確かな温もりがある。

 私は空を見上げた。星空が、街を優しく照らしている。あの頃見た星と、同じ光を放っているのだ。

「ねえ、正太郎さん。私、ここで生きていく。自分の過去も、未来も、受け入れて」

「うん。僕もここで、君と生きていく。君が望む限り、ずっと傍にいるよ」

 私たちは、歌舞伎町のただ中で、そっと手を繋いだ。この街で過ごした日々、出会った人々、全てが私たちを形作っている。

 これからも、この街で生きていく。苦しみも、悲しみも、喜びも、全て受け入れて。そう心に誓った瞬間、私の中で何かが解き放たれるのを感じた。

 私は、自由になったのだ。過去に縛られることなく、自分らしく生きていける。その確信が、心を温かく満たしていく。

 歌舞伎町の片隅で、二人の影が寄り添っている。それは、新たな始まりの予感。この街が、二人の物語を、優しく見守っているかのようだった。


第5章


 あれから数年が経った。私と正太郎は、歌舞伎町で小さなバーを開いた。『ミラージュ』と名付けたそのバーは、この街で傷ついた人々の心を癒す場所になればと願って。

 今日も、バーのドアが開く音が響く。カウンター越しに見える正太郎が、温かな笑顔で客を迎え入れている。その横で、私はグラスを磨きながら、ふと窓の外を見やる。

 歌舞伎町の夜景は、相変わらずネオンに彩られている。だが、以前とは違う。煌びやかな光の向こうに、人々の笑顔が透けて見えるようだ。

 ドアが再び開く音に、私は振り返る。そこに立っていたのは、意外な人物だった。沙耶だ。

「久しぶりね、美優」

 沙耶は、柔らかな微笑みを浮かべている。その表情は、まるで昔に戻ったよう。私は嬉しさに、思わず笑顔になる。

「沙耶、よく来てくれたわね。元気そうで良かった」

 二人でカウンターに座り、ゆっくりと話す。沙耶は今、福祉施設で働いているという。かつて自分を苦しめた経験を、今度は他の人を助けるために活かしているのだと。

 その言葉に、私は深く頷いた。過去は変えられない。だからこそ、その経験を未来につなげていくことが大切なのだ。

 ふと、目に涙を感じる。しみじみとした幸福感が、心を満たしていく。

 正太郎が、静かに微笑んでいる。彼もまた、同じ気持ちなのだろう。

 夜更け、最後の客が帰った後。私と正太郎は、いつものようにバーの片付けをしている。ふと、正太郎が口を開いた。

「美優、ここで良かったな。君と一緒にこの街で生きていくことを、選べて良かった」

 私は、カウンター越しに正太郎の手を取った。温かな感触が、心地よい。

「私もよ。正太郎さんと一緒なら、どんな困難も乗り越えられる。二人で、この街に希望の光を灯し続けていきたい」

 私たちは、深く見つめ合う。その瞳に映るのは、揺るぎない愛情と信頼だ。

 この街で生きること。それは、私の選択だった。苦しみも、悲しみも、全て受け入れて、前を向いて生きていく。そう決めた日から、私は自由になれたのだ。

 窓の外を見れば、歌舞伎町の夜が更けていく。ネオンは、まるで星のように瞬いている。かつては、その光に心を蝕まれそうだった。だが今は違う。その光は、私の心を優しく照らしてくれている。

 カウンターに肘をつき、私はゆっくりと目を閉じる。すると、かすかに音楽が聞こえてくる。あの頃、街角で聴いたギターの音色だ。優しく、切ない旋律が、心に染み渡っていく。

 思い出が、走馬灯のように駆け巡る。母との別れ、父との確執、沙耶との再会、正太郎との出会い。苦しみも、悲しみも、喜びも、全てが私の人生の一部となって、煌めいている。

 私はゆっくりと目を開ける。正太郎が、優しい眼差しで私を見つめている。

「さあ、帰ろう。明日も、希望に満ちた一日が待っているよ」

 私は頷き、正太郎の手を取る。二人で、歌舞伎町の夜の中を歩いていく。

 かつて、私はこの街で迷子になった。自分を見失い、孤独に苛まれていた。だが今は違う。私は、自分の居場所を見つけたのだ。

 愛する人と、かけがえのない仲間たちと共に、この街で生きていく。そう、歌舞伎町は、もう私の故郷なのだ。

 私は空を見上げる。満天の星空が、街を優しく包み込んでいる。その星の一つ一つが、この街で出会った人々の想いを映し出しているかのよう。

 私たちの歩みは、夜の静けさの中に吸い込まれていく。だが、私の心は躍動している。新しい一日への期待に、胸が高鳴るのを感じる。

 歌舞伎町の片隅で、私たちの物語は続いていく。この街が、見守り続けてくれるように。

 ネオンが瞬き、星が煌めく。その光が、私たちの未来を照らし続ける。歌舞伎町の夜に抱かれながら、私はただ愛おしい人の手を握り締めた。心の中で、静かに誓う。

 生きていく。この街で、愛する人と共に。悲しみも、喜びも、全て受け入れながら。

 それが、私の選んだ人生だから。そう、私は今、心からそう思えるのだ。

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歌舞伎町ブルース 島原大知 @SHIMAHARA_DAICHI

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