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2024年9月4日 00:07
京都の被差別地区の話で思い出した事があります。私の知り合いの在日韓国人の女性は現在、米国へ帰化していますが、お父様は、戦前から、京都で皮で履き物を造る職につき、着物用の草履で有名になりました。人気があり過ぎて、老舗の着物屋からの注文だけしか受ける事できなかったほどでした。皮製品の作成は、動物の死骸から作る物として、日本では蔑まされていた職業でしたが、なくてはならない物で、被差別者に頼っていたのでしょう。世の中の歪とでも言うのでしょうか?その逆境を覆し、息子達を医者と、東大卒で後には米国の有名大学の教授にまでなった娘を育てたお父様でした。この方は例外の一人だったかも知れませんが、自分の作り上げた草履の作り方を他の職人に伝授してもいました。
作者からの返信
お父さんが被差別部落出身でお母さんが在日韓国人ですね。この両者の中でも在日が部落を差別することもあると聞きました。日本でも士農工商エタ非人でエタが非人を差別する仕組みになっていたようです。そして、この非人は、一揆で負けてしまった人たちがもとになっているとも何かの本で読みました。それほど、お上に立てつくことは勇気のいることだったし、それでも、これ以上、ひどい扱いをするな!という農民の怒りも強かったということですね。医者と米国の教授ですか!それはすごい!私の知り合い(だった)の韓国系のアメリカ人のお兄さんが医者になりました。移民一世ですね。韓国人って本当によく勉強しますよね。あれには感心させられます。
京都の被差別地区の話で思い出した事があります。
私の知り合いの在日韓国人の女性は現在、米国へ帰化していますが、お父様は、戦前から、京都で皮で履き物を造る職につき、着物用の草履で有名になりました。人気があり過ぎて、老舗の着物屋からの注文だけしか受ける事できなかったほどでした。皮製品の作成は、動物の死骸から作る物として、日本では蔑まされていた職業でしたが、なくてはならない物で、被差別者に頼っていたのでしょう。世の中の歪とでも言うのでしょうか?その逆境を覆し、息子達を医者と、東大卒で後には米国の有名大学の教授にまでなった娘を育てたお父様でした。この方は例外の一人だったかも知れませんが、自分の作り上げた草履の作り方を他の職人に伝授してもいました。
作者からの返信
お父さんが被差別部落出身でお母さんが在日韓国人ですね。この両者の中でも在日が部落を差別することもあると聞きました。日本でも士農工商エタ非人でエタが非人を差別する仕組みになっていたようです。そして、この非人は、一揆で負けてしまった人たちがもとになっているとも何かの本で読みました。それほど、お上に立てつくことは勇気のいることだったし、それでも、これ以上、ひどい扱いをするな!という農民の怒りも強かったということですね。
医者と米国の教授ですか!それはすごい!私の知り合い(だった)の韓国系のアメリカ人のお兄さんが医者になりました。移民一世ですね。韓国人って本当によく勉強しますよね。あれには感心させられます。