第13話 2024/06/30 私の出自 その二

 私の先祖代々は、江戸時代初期から明治維新までオランダ通詞(通訳・翻訳)として長崎で働いていた役人である。ただ、その前が中国人の海賊をやっていたと父親は言っている。また、ネット上にこのことを書くなと言われているが、事実なので書いている。私は、ひとりで静かに過ごすのが好きなのだが、暴力的なところもあり、父親にはそのことを怒られ、バンドのベースのたまちゃんに何気にワイルドですねと指摘されている。これは、私が若い頃に荒い武道をやっていたこととも関連していると思うのだが、やはり海賊の悪い血が発露しているのだなとも思う。


 話は、戻ってオランダ通詞の話だが、役人だったので他の在日中国人との縁が切れてしまった。在日韓国人なら韓国民団、在日朝鮮人なら朝鮮総連といった団体がある。また、在日中国人なら華人華僑の団体があるが、そことの縁がまったく切れてしまっている。ただ、私の苗字が誰がどう考えても中国人なので、自己紹介したらこいつ日本人じゃねえなと思われている。もう私で在日中国人十何世なのだが、これを日本人は許してくれんのだよねえ。そういう事もあって、私はアメリカ移住ということを試みたというのもあるんだけど。


 ただ、当地は当地で、お前は韓国人か?ということをよく聞かれた。ニューヨークでは、リトル・イタリーと韓国人街が道一つ隔ててあり、銃撃戦をやっていると聞いてファンキーだなとは思うが、はっきり言って韓国人は嫌われているようだ。1970年からの韓国人のアメリカ移民は、莫大な数に上るのだが、問題は彼らが黒人を奴隷扱いしてしまうことにあると、確か作家の野村進のコリアン世界の旅に書かれていたように思う。それが、1992年のロサンゼルス暴動(襲撃)につながったと。ただ、スーパーマーケットなど韓国人経営の店は、収奪にあったが日本人の店は襲撃されなかった。日本人のオーナーが黒人を人間扱いしていたからだった。


 と、まあ、アメリカ滞在後期は、お父さんが日本人でお母さんが台湾人、中国系タイ人とつるんでいることが多かった。やはり、なんとなく気が合ったのだろうか。それまでは、少し年下の韓国人との付き合いもあったが、彼が日本にジェット・プログラムで英語を教えに来た時、7人の日本人女性とやったと自慢するものだから、写真持ってこいと言ったら、持ってきたがどれも大したことはなく、あ、そうですましたのだが。また、話を戻すと華人華僑の団体に入るにしても精神障害者で福祉の事業所で働いていると言ったところで怯えられるだろうから、ほんま肩身狭いっすわ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る