第2話 血のひとしずく

 魔界に戻ってきたレイではあるけれど、未だ全てを思い出しているわけではない。



 だからいまも窓の外を見ながら、



(魔界ってモンスターがわんさかいるわけじゃないんだなあ。荒れ果てた場所だと思ってたけど)



 とかそんなことを思っていた。



 まあ、箱入り息子だった彼はほとんど外を見たことがなかったので、記憶を取り戻していてもそう考えていただろうが。


 

 魔界の多くの地区は人間界とほとんど変わらない。社会や街が作られ、人間界で言うところの貴族である『本家』や『分家』が領地を治めている。



 その『本家』の序列一位がヴィラン家である。



 要するに、レイは人間界でも魔界でも貴族の家系に属している訳だけれど、魔界ではなおのこと位が高く、だからこそいま現在好待遇を受けていた。



 ハーピィ家の屋敷で。



 社交と言うより、接待。



 ハルピュイア族の家系であるハーピィ家は美しい女性が多く、その背に生えた大きな翼は純白で、レイのすぐ近くに座った彼女たちは惜しげもなくその翼を見せつけながら、レイの発言全てにコロコロと笑う。


 

 キャバクラみたいだとレイは思ったけれど、『キャバクラ』と言う単語が何を意味するのか記憶を取り戻していないレイには解らないし、そもそも転生前のレイはキャバクラに行ったことすらない。



 そして、チヤホヤされてもレイ本人は全く嬉しくない。



(人間界では失敗したから魔界ではちゃんと社交をしようと思ったけど、なんか随分好待遇だな。僕嫌われてるのにおかしいよね? なんか裏があるんじゃないの?)



 ひねくれている。



(もう帰りたい。この人たち近い。怖い。突然ナイフで脇腹刺してきたりしないよね?)



 レイはそう思いながら、味のしない紅茶をすすり、ケーキをちびちびと切り崩す――令嬢たちの甘い声にすでに胸焼けがして、ケーキなんて喉を通りそうになくて、口に運ぶこともなくフォークを置いて顔を上げ、



 そして、それを見つけてしまう。



 本当に偶然だったと言っていい。ただでさえハーピィ家の令嬢たちに身を寄せられて視界はほとんど翼に遮られている状態、そんな一瞬が目に入ったのは奇跡みたいなものだった。



 血の一滴ひとしずく



 配膳のためにかがみ込んだ兎人メイドの胸元、フリルになったエプロンの内側に、注意してみなければ解らないほどにわずかに赤褐色のシミがついていて、見た瞬間、レイは強烈な違和感に襲われた。



 それは転生前に培ってきた明らかな防衛本能。

 というか、被害妄想。


 

(血だ! なんかあるんだ! この家はきっと何かがおかしい!)



 本能に刻み込まれた防衛意識と洞察が警鐘を鳴らして鼓動を速める。



「どうかいたしましたか、レイヴン様」



 レイの前に座る美しい少女が不思議そうに言った。



 彼女の背には柔らかそうな白い翼が生えていて天使のように見えなくもないけれど、当然、彼女もハルピュイア族で、よく見ると首元やうなじにも羽毛が生えている。



 アリス・ハーピィ、十二歳。



 人間の貴族と同等かそれ以上に高価そうな衣服に身を包み、一見すればとてもお淑やかで、声など荒げたりしないように見える。



 しかし、



 一瞬、レイの脳裏に蔑んだ目をした彼女の姿がよぎる――笑みを浮かべ、媚びているような今の彼女からは想像もつかない邪悪な表情だった。



(僕はこの子に裏切られる)



 なぜか解らないけれど、そう確信した――当然、それは思い出しかけている記憶であり、不完全なゲームの知識である。



 実際のゲームでは今回の接待のような「甘やかし」や「もてはやし」によって、レイヴン・ヴィランは増長し、序列一位という家柄でありながら傲岸不遜のクズと成り果てて最後は裏切られて死んでしまう。



 要するに、裏切られるなど当然の結果である。


 

 レイはまだそのことを思い出せていない。


 

 だから、さっき脳裏に浮かんだアリスの蔑みの表情なんて、気のせいだろうとか、白昼夢を見たんだとか、簡単に流してしまうのが普通。



 けれど、人間不信――もとい、魔族不信のレイは違った。



(このままだとなにか起きるんだ。みんな僕を嫌ってるんだから。僕は彼女たちに何かされるに違いない!)



 持ち前の想像力で被害妄想を爆発させて、自己防衛のために鋭利に尖らせた洞察力を武器にして、レイは周囲から情報を集め始める。



 配膳を終えたばかりのメイドを見る。


 

 ラビット族で栗毛には垂れた耳。



 先ほどエプロンの裏に血の一滴がシミになっていた。



 妄想開始。

 


(あのメイドのエプロン裏についた小さな血痕は表からは見えない――ってことはあの血は返り血じゃなくて彼女自身の血だと考えるのが妥当。おそらく鼻血――上から落ちたからエプロンの裏に垂れちゃって、気づかずそのままにしてしまったに違いない。絶対そうだ。ってことは誰かに殴られたか、もしかしたら、常習的に殴られてて鼻の内側が切れやすくなって、ふとした瞬間に垂れたかのどっちかだ。僕には解る!)



 妄想終わり。


 

 別にメイドの顔に青あざが見える訳でもないのに、ただのエプロンのシミ一つでそんな邪推を繰り広げ、レイはひどい焦燥に突き動かされて、さらに他のメイドを観察した。



 ラビット族の隣、くるりと螺旋を描く羊角の生えたシープ族のメイドは、わずかに、身体が左に傾いている。



(そんなものただの癖だって皆は言うだろうけど僕には解るもんね。他のメイドは背筋をピシッと伸ばしているのに、あのメイドだけがちょっとだけ傾いているのはおかしい。解っちゃったもんね。きっと粗相をして足に何かされたんだ。この家はものすごく厳しい家なんだ)



 そこまで考えるのはいいけれど、



(ってことは、僕も粗相をしたら何かされるんだ! マナーを間違ったら足をぽっきんされるんだ!)



 何でそうなる、デスゲームかよ。



 すでに彼の思考回路は転生前のものに浸食されて、「自分は無条件で皆から嫌われる」という益体やくたいもない妄想にとらわれて、見るもの全てが自分を攻撃しようとしているんだと考え始めている。



(何とかして身を守らないと。逃げるって言ってもここには来たばっかりだし……。なにか方法は……そうだ!)



 レイは一計を案じて、不思議そうにこちらを眺めるハルピュイア族の少女、アリスに言った。



「あの、僕と友達になってくれませんか」



 そうお友達大作戦である。

 お前そればっかりだな。


 

 友達になればきっと少しくらい粗相をしても許してくれるし、足を折るなんて絶対しないだろう、という浅はかな考え。



 それにレイは友達が欲しかった――生まれてこの方、どころか転生前を含めても、友達なんて一人も持ったことがないボッチだったから。



(この子が裏切るのは解ってる。でもきっとそれはこの子だけじゃない。僕のことならみんな裏切る。なら、初めから僕を裏切るって解ってる子を友達にすれば、突然裏切られてもそんなにショックじゃない! ナイスアイディア!)



 悲しくねえのかお前は。



 そんな薄っぺらい作戦に自画自賛しているレイの前で、アリスは両手を胸の前で握りしめて、そこらの男ならコロッと恋に落としてしまえる笑みを浮かべた。



「本当ですか、レイヴン様! 私とっても嬉しいです! 是非お友達になってください!」


(さすが僕を裏切る嘘つきだな。どこの世界に僕が友達になってくれと言っただけで友達になってくれる奴がいるんだ)



 レイはひねくれていた。


 

 だからこそ、友達として意識してもらうためにはもう一押し、いや、さらに数手必要だと考えていた。



 例えばそう、共通の話題。



 転生前、レイの近くで談笑していた集団はいつも、レイの知らない話題で盛り上がっていた――レイはそれを自分の悪口だと思っていたけれど。



 ともあれ、その知識を生かしたレイは、友達になるために思いついた共通の話題――と言うより共通の知人について話し始めた。



「アリス様は……」


「嫌です、レイヴン様。友達になったのですから、私のことはアリスとお呼びください」



 少し頬を膨らませて、アリスは言う。


 

 あざと可愛いというやつだが、レイは友達になることに心血を注いでいるので気にもとめない。



 彼は咳払いをして、

 

 

「……じゃあ、アリス」


「なんでしょう?」


「社交を重ねているアリスにはたくさんの友人がいると思いますけど……」


「レイヴン様が一番の友人ですよ。ええ、他の方も大切ですが、これからはレイヴン様の為に予定を優先して開けましょう」


「……ありがとう」


「いえいえ。レイヴン様のためですから。それで、私の友人がどうかいたしましたか?」



 レイは崩された調子を取り戻すべくまた咳払いをした。



「その中でおそらく僕は一人知っている方がいるんです」


「さて、誰でしょうか? あ、友人当てゲームですね。うふふ。レイヴン様、私を楽しませるのがお上手ですね。ワイバーン家の方でしょうか? アールヴ家の方? うーん、解りません。ヒントをいただけないでしょうか?」


「ヒントですか? うーん……12?」


「12ですか? 本家の方々の序列は6までしかございませんよね? 私たち分家を含めた序列なんてありませんし……降参です。どなたでしょう?」



 早々に諦めてアリスはかわいらしく首を傾げた。

 レイはそのヒントじゃわからないだろうなと思いながら、答えを告げる。



です。ご存じですよね?」



 レイがその名前を言った瞬間、アリスの顔が明らかにこわばった。


 

 彼女だけではない、レイの両隣に座っていたアリスの姉とおぼしき女性たちも、メイドたちでさえ緊張して身を固めている。



(あれ? なんかおかしなこと言ったかな? 確かアリスって、ネフィラと関係があったはずなんだけど。共通の知り合いだから話が弾むと思ったのに……)



 レイはそう考えたが、ゲームの知識や転生の記憶が混じって情報がごちゃついているのに彼は気づいていない。


 

 そして、その間違いは致命的だった。



 アリスとネフィラは友人ではない。


 

 どころか、アリスはネフィラを虐げている。


 

 ゲームの中でネフィラ・スパイダーはアリスから奴隷同然の扱いを受けていたところを主人公に助けられ、人間たちと共に戦い魔族に復讐をする低レアキャラだった――当然、悪役たるレイヴン・ヴィランもネフィラとは敵対する存在になる。



 そのネフィラが、今この時点でどこにいるかと言えば、



 それはレイが今いる、この屋敷の地下牢である。



 さらに言えば、レイが薄弱な根拠から類推した被害妄想などいつもはほとんど間違っているのに、このときばかりは当たっていた。


 

 メイドたちの被害は、すべて真実。


 

 兎人メイドは殴られたアザを化粧で隠しているし、


 

 シープ族のメイドは足をかばっている。



 レイの被害妄想を遙かに越えて、



 ハーピィ家は、真っ黒だった。


 

 もちろん、今は友人を作ることに全力のレイがそんなことなど知るよしもなく、



(友達になってくれるといいなあ)



 とか暢気なことを考えていた。

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