第21話 流れない涙
ずしんずしんと重たい足音を響かせて帝城の広い廊下を白金の鎧のオークが進む。
白輝将軍アドルファス……帝国一の紳士と呼ばれる男。
そんなオークの将軍をロビーで出迎える者がいた。
宰相アークシオン・ブロードレンティスである。
「やあ、お帰り将軍。お勤めご苦労様だったね」
笑顔で両手を広げて歓待の意を示す宰相。
「これは宰相殿。わざわざのお出迎えとは痛み入りますですな」
胸に手を当て優雅に頭を下げる将軍。
アークシオンも長身なのだがそれでもアドルファスには遠く及ばない。
1m以上も上から見下ろされる体勢である。
「まあ、あの程度の相手では精強の我が軍の相手は務まりませぬ。演習気分ですよ」
太く大きな指先で器用に髭先をつまんで整えている将軍。
彼の軍は大陸南方の帝国に未だ恭順していないいくつかの部族の連合体を制圧してきたのだった。
「やりすぎてはいないよね?」
「当然でございますとも。全て軍紀に則り整然と。略奪も不必要な武力の誇示も致しませぬ。もしもそんな事があればワタクシの紳士的鉄拳が炸裂しますぞ」
将軍の答えにアークシオンが満足げにうなずく。
「それはなによりだ。さあ陛下がお待ちだよ。君の土産話を楽しみにしておいでだ」
「ええ。それでは失礼いたします。ご機嫌よう、宰相殿」
一礼してのしのしとアドルファスが歩み去っていく。
その後ろ姿を微笑んで見送るアークシオン。
ただその目だけは酷く冷静に将軍を観察していた。
「感触はいかがでしょうか? ブロードレンティス様」
傍らに無言で控えていた側近の文官が小声で尋ねる。
控える四名の文官は全員色白で痩せて無表情でありまったくの赤の他人で顔立ちも異なる者の集いであるのに四つ子のような奇妙で不気味な統一感がある。
「どうかな。彼は紳士的で友好的だが、それは誰に対してもそうだ。……
やれやれ、と悩まし気に頭を軽く振ったアークシオン。
そういう仕草の一つ一つもいちいち嫌味なほど絵になる男だ。
「欲望で動いてくれない人は本当に僕とは相性が悪いよ」
苦笑する宰相であった。
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そして一夜が明けて次の夜のこと。
レンは主人にお茶を出しながら日々の報告を行う。
「そう。白輝将軍を見てきたのね」
「はい。物凄い存在感の御方でした」
レンの素直な感想にファルメイアがフフッと笑った。
「でしょうね。見た目にビックリさせられたでしょうけど中身は見た目以上の傑物よ。……ま、傑物でない者なんて七将にはいないけどね」
それは当然自分も含めてだと言いたいのだろう。
さっと髪を掻き上げて自慢げにやや胸を反らしたファルメイア。
「それにしても、あんた少し顔つきが柔らかくなったんじゃない?」
「そう……でしょうか」
言われて何となくレンは自分の頬に触れてみた。
自覚はない。
ここへ来た当初も、そして今も自分ではなるべくポーカーフェイスを保とうとはしているのだが。
「しんどそうな顔してるのずっと気になってたんだけど最近は少し明るくなったわ。……よかった。あんたが楽しそうにしてたら、私も嬉しいわ」
白い歯を見せてファルメイアが笑った。
邪気のない輝くような笑顔だ。
「………………………」
何故ですか? と口に出かかった言葉を辛うじて飲み下す。
何故、どうして自分の楽しさを彼女が自分のものとして喜ぶのだろう。
鏡や顔が映るものが近くにないのでわからない……自分は今ちゃんと作り笑いができているだろうか?
しんどそうにしていたのだとしたら、その理由に想像は付きますか?
声にはできないその言葉がドロドロとぐるぐると胸を巡る。
認めたくない。
……その事実が恐ろしい。
だがもう否定はできない。
自分がこの聡明で明るい、飛びぬけて美しい1つ年上の女主人に惹かれているのは紛れもない事実だ。
彼女が自分に親しく優しくしてくれる事を嬉しいと思ってしまっている。
……殺さなくてはいけないのに。
怨念の矛先であるのに。
彼女が自分の故郷を焼いたことが……皆を殺したことが何かの間違いであってくれればとそう考えずにはいられない。
だがそれは虚しい希望だ。
……あの日、深夜になってようやく故郷に駆け付けた自分は焼け落ちるシンガンの街とその中に立つ彼女の姿を見ている。
数日が過ぎてほんの僅かな生き残りが収容されているキャンプを訪れた時の……そこに家族も友人も誰もいなかったことを確認してしまった時の……あの絶望的な気分は未だに幾度となく胸の奥に蘇り叫び出したいほどの悲しみと怒りを自分にもたらし続けている。
そして彼女は帝都に帰還し『シンガンの街は自分の要求を拒絶した。だから全てを焼き払った』と自らそう宣言しているのだ。
もはや後戻りはできない。
不可逆の破滅への坂道へ自分はとっくに踏み出しているのだ。
後は……その地獄への道行きに……。
何としても彼女に道連れとなってもらわなくてはならない。
そこからどのように会話を〆て彼女の部屋を退出したのかレンはよく覚えていない。
彼は廊下の壁に乱暴に背をぶつけて天井を仰ぎ見る。
「……ぐぅ……ッッ」
喉の奥から漏れ出したのは怒りと悲しみと絶望がない交ぜになった呻き声だ。
胸を鷲掴みにして彼は嘆いている。
……こんなに苦しいのに。
こんなに悲しいのに。
涙は……やはり流れてくれなかった。
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深夜、帝城ガンドウェザリオスの敷地内にある大きな屋敷の一室。
そこは帝国三宰相の一人にして皇帝ザリオンの次男ゼムグラス・ヴェゼルザークの書斎である。
机に向かいある手紙を見ているガウン姿のゼムグラス。
ランプの光が彼の顔にどことなく憂鬱そうな影を作っていた。
「あなた、まだ起きていらしたの? そろそろお休みになっては如何?」
ノックして書斎に顔を出したのは夫人である。
ふくよかで柔らかい雰囲気の上品な中年女性だ。
「ああ。そうだな。……そろそろ寝なければな」
振り返ったゼムグラス。
その手にある紙に夫人が気付く。
「お手紙?」
「ああ。兄からだよ。アドルファス将軍が帝都に戻ったら接触しろと言ってきた。我々の派閥に加わってもらえるように説得しろという事だ」
やれやれ、と苦笑して軽く頭を振った宰相。
その手の手紙の最後に記されている署名は……。
天魔七将『金剛将軍』
ガイアード・ヴェゼルザーク。
……皇帝ザリオンの長子にして七将筆頭である男。
そして、自ら皇帝の跡取りとして二代目の帝位につく事を公言して憚らない男である。
「私が口説いたくらいで靡いてくる相手なら苦労はないんだがね」
とは言うものの動かないわけにはいかない。
兄の派閥のブレインとして……難しい立場のゼムグラスである。
……そして妻を見た彼は仰天して飛び出さんばかりに目を見開く。
「あらごめんなさい。ヤキソバ食ってて聞いていませんでしたわ。で、なんですって?」
夫人はヤキソバを食べている。
道理で急に周囲がソース臭くなったと思った。
「そんなさ。あれさあ。夜中亭主の書斎に訪れていきなりヤキソバ食う? 普通」
「あらあなた。別に私、ここじゃなくてもどこでも夜中にヤキソバ食ってますけど」
嘆きの表情で書斎の窓を大きく開け放つゼムグラス宰相。
夜風が肌寒いがしょうがない。
何せ書斎がソース臭くなっちゃったので。
「もう夜中にあちこちでヤキソバ食ってるおばちゃんはほとんど怪異なんだよなあ」
宰相の嘆きは夜風に乗って消えていくのであった。
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