弍/聖女蛮行 4

 早朝。学院へ出発する時間を見計らって、リリベルとシェーニッツは屋敷を後にした。


 その時間にしたのは、屋敷の者たちに怪しまれないようにするための、シェーニッツの提案だった。


 街の方へ行くと、用意していたローブをまとった。目深に被ったフードで素性を晒さないためである。


 シェーニッツ自身は聖都から出ること自体、無論乗り気ではない。


 だが、それでもリリベルの中にいる蛮族の王を止めることを諦め、せめて騒ぎにはならないようにと、精一杯の策を弄するほかない。


 ふたりは早朝の聖都のメインストリート。人もまだまばらな道を歩きながら話している。


「正気の沙汰とは思えませんね」


「付いてこいとは言ってはおらんが」


「あなたについていくわけではありませんよ。リリベル様の身を案じてこそです」


「案ずるな小娘の従者よ。この小娘には傷ひとつつけるつもりはない。いざとなれば、すべて蹴散らせば良い」


「だからです! あなたがリリベル様の身体を変に扱わないか、ちゃんと監視しておかなければなりません」


 シェーニッツは腕を組みながら言った。


 こうやってシェーニッツがリリベルに付いていくのもすべては、リリベルのためだ。


 突然王都へと向かうと言い出した蛮族の王を止める術はない。それは最初の夜の手合わせで、その逸脱した戦闘力で理解している。


 ましてや屋敷の人間に協力を仰ぐこともできない。それはリリベルの抱える秘密を明かしてしまうことになるからだ。


 一旦根本的な解決策として、教会の人間。より高位のイコンを持つ辞術師に相談することも考えたが、そもそも魂の転生、ひとつの肉体に別の魂が宿るなど、前代未聞だ。信じてもらえたとして、リリベルの身体を下手にいじられることも頭をよぎった。


 いまは、この聖女の身体をした蛮族の王に付いて、その行動を監視するほか、シェーニッツの選択肢はなかった。


「願わくば、神のご加護を」


 小さくもれたシェーニッツの祈りの声に、リリベルはふっと鼻で笑う。


「なんです?」


「神の加護か……その神の加護とやらのおかげでこの国は滅亡まっしぐらだ」


「昨日のことですか?」


「敵はいるのだ、確実にな。これまでこういった危機を隠し続けてきたあの男の言葉でもわかったであろう」


 昨晩のヴァントとの会話で、シェーニッツは自身の主人が自分の管轄内で起こる事件の類を隠蔽していることは、ほぼ確実にやっていることがわかった。


 それは当然家中の人間にとっては失望に値するものの、シェーニッツ自身はそこまでの失意は感じているようには見えなかった。


 それよりも、言葉の端々に出るリリベルへの心配のほうが勝るあたり、彼女の言っていた忠を誓う相手が、聖女自身であり、その母親であることは間違い無い。


 だからこそ、この国のことよりも、いまわけのわからない存在に乗っ取られているリリベルのことのほうがシェーニッツにとっては重要な案件である。


「この国がどうなるかは議会や騎士団が決めることです。あなたが出る幕はないと思いますが……そもそもあなたはかつて滅んだ北方蛮族の王なのでしょう? この国の有事に関わり合いのないどころか、むしろ滅んでくれた方がいいのではないですか」


 ふたたびリリベルはシェーニッツの言葉を一笑する。


「わかっておらんな。俺がやられた相手が作った国だ。誰とも知らん相手に滅んでしまっては困る。それにこの国の政治家どもがもし、もれなく腐っていたなら。俺が引導を渡したのちに、国ごといただく」


「いただく……ですか。蛮族らしいですね」


「あまり驚かんのだな」


「リリベル様が無事であれば、わたしはなんでも良いのです」


 シェーニッツがそう小さく言った。


「リリベル様ではございませんか?」


 そのときだった。ふたりの後ろから声がしたのは。振り返ってその声の主を見ると、小太りで鼻の下に整った髭を生やした男。そしてその隣には見覚えのある顔が見てとれた。


「ロズロ様! それにユナ様!」


 シェーニッツが言った。


 ふたりに声をかけたのは、リリベルの学友で幼馴染のユナであり、小太りの男こそ、その父ロズロだった。


 困惑するふたり。それは当然秘密の出発にあたって出鼻をくじかれたのもあるが、それよりもユナのあまりに大袈裟な出立ちにあった。


 背中には巨大な鞄が背負われていて、鞄の上には丸めた大きな布。靴も長距離に耐えうるレザーブーツで、そもそも制服を着ていない。


「おっす」


「……なんですか、その格好」


 シェーニッツは嫌な予感を感じるように、恐る恐る訊ねた。


「あー、シェーニッツさん。あのですね……」


「リリッ! なんでや! なんでウチ誘ってくれへんのや」


 ロズロの声を掻き消すように、ユナは持ち前の大きく、よく通る声で言った。通りにいた数人がその声に視線を向ける。


「……確か、小娘の友人だったな。誘うとは。はて?」


 首を傾げるリリベル。彼女は純粋にユナの言っている意味がわかっていない。


「言うたやん、困ったことがあったら何でも言うてって! リリベル、パパにいじめられてんねんやろ? そやから家出すんねんやろ? 聞いたで! 昨日の晩、屋敷からごっつ大きな物音が聞こえて、そのあと、ふたりが難しい顔して出てきたって」


 と、言うユナの目が潤んでいる。どうやら本気で勘違いをしているようだった。


「どこから、その話を聞いたのだ」


「商人は情報が命言うたやろ? リリのパパはウチのお得意様やから、ウチの手のものがぎょうさん入り込んどんねん!」


 シェーニッツは眉を顰めながら、ロズロに視線をやった。泳いでいるロズロの目が全てを物語っている。


 ユナはリリベルの手を取り、


「せやからな! ウチ一緒に行ったんねん! 子どもに暴力振るう大人なんか最低や! リリのパパが裏ではそんなことしてるなんてほんっとガッカリやけど、大丈夫! ウチが徹底的に家出をサポートしてあげる!」


「ちょ、ユナ様……色々と勘違いが……」


「うむっ! よくぞ言った友よ! それでこそ我が友だ!」


「ちょっとリリベル様?」


 気づけばユナに握られた手をリリベルが握り返している。


「友のために全てを投げ打って行くなど、この世の中もまだまだ真っ当な人間がいるのだな! よしっ! では行こう友よ! 目指すは王都だ」


 リリベルは明後日の方向を指差し、それに同調するように、おー、と答えるユナ。


「あの、止めていただけませんかロズロ様」


 頭を抱えながらシェーニッツは言うものの、ロズロはひとつ咳払いをして、


「……それは無理ですな。なんてったって、ユナはわたしの娘です。娘のわがままは全て聞くこと。それがわたしの子育て論ですから」


「いや、あの王都まではかなり遠いですし、道中なにがあるか」


「ご安心召されよ、すでに我が商会の隊商とキャラバンを準備しております。道中は安全な旅を約束いたします。また、すでに王都にも我が商会のつながりを通じて宿も手配いたします」


「手が早いですね」


「商人はスピードも大切なのです」


 シェーニッツは大きくため息をついた。


 ふたりの少女は肩を組み、意気揚々と聖都のメインストリートを歩いてゆく。そのあとを重い足取りでシェーニッツはついてゆくだけだった。

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