序/蛮族転生 2
唐突に視界が晴れて、彼は戸惑いを隠せなかった。
懐かしき故郷の澄んだ空のように、夜空に張り付く無数の星々と、それらを覆うようにたなびく虹色のカーテンが見えたからだ。
(どこだここは。俺は死んだはずだ)
「お疲れ……いや、おかえり。かな」
声が聞こえた。場違いなことばで蛮族の王フリッツにかけられた少年のような声。フリッツはその声の方向へ視線をやる。
そこには人影のような発光体が手を振っている奇妙な光景だった。フリッツは咄嗟に。
「そうか、ここはあの世か。随分と洒落のきいた場所だな」
「あの世? じゃあぼくはさしずめ天使かな」
フリッツは皮肉のつもりで言ったが、この発光体の方が皮肉屋だった。
「……貴様はなんだ? 俺はあの世などというものは信じない。神も天使もな」
発光体は、手を頭の後ろで組んで、なにやら不満げだ。
「面白くないなぁ。どうせなら、俺は地獄で悪魔どもを屈服させて王になる! みたいなこと言ってくれたら今後の展開は面白いのに」
「ふざけているのか? それなら先に貴様を屈服させてもいいんだぞ」
「いや、ちょっとした遊び心で、ね? 真に受けないでよ。それにここは天国でも地獄でもないから」
あたりは相変わらず星々の輝きが張り付く夜空のような空間だった。だが、地面はない。フリッツと発光体は宙に浮かんでいるかのようで、上や下といった感覚はなく、ふわふわとしたつかみどころのない実感だけがある。
「ここはどこだ」
「まあ、死後の世界。君たちの理解の範疇でいえばそうなんだけど。ここは君たちのような現実世界に生きる存在が、記述だけの存在になったときにたどり着く場所。根源とでも言おうか」
「記述? 根源? 何を言っている」
発光体は咳払いをするように、握った手を口元にあててから、
「君たちの世界とこの空間は薄皮一枚で隔てられたもの。ここには、文字や記号といった最小の単位が、君たちの世界で役目を終えて、帰ってくる場所だよ」
「……」
「訳がわからないよね。いいんだよわからなくて。世界の真理や仕組みなんてわかったところで、何の役にも立たないから。普通ここで意識を持つことなんてありえないんだけど、とにかく君はこうしてあっち側の記憶を保持したまま、ここにこうしてぼくと会話をしている。これはものすごく珍しい、いわばエラーみたいなものなのさ」
「お前もよくわからないと言うことなのか」
発光体は人差し指を立てる。
「ご名答! こんなことはシステムが構築されて初めての出来事! お客さん運がいいね!」
「……」
「と、まあ、そうは言ってもなにもわからないってわけじゃないよ。原因と対処法はある。先に対処法を言うね」
と、発光体の手元に分厚い本のようなものが浮かび上がる。これもまた例に漏れずしろく輝いていて、あくまでも本のような形をしたものといえる程度の代物だった。
「えっとね。君はもう一度現実世界に戻ってもらいます。つまり生き返るというわけ」
「むっ……それは本当か?」
「おおっ! 思ったよりも好反応! いいね、いいね。で、その先でもう一度生きて、しっかりと役目を果たしてもらうってわけ」
「なるほど、もう一度あの自由と放埒の日々を」
「ちょ……あのね、そういうわけじゃないのよ。君がこっちに戻ってきた原因というのが、その記述が強すぎる……つまりは、ええっと、我が強すぎるというか、魂が強すぎるというか。こっちに戻すといろいろ他の記述が食われてしまってバランスが悪くなるというか」
「どういうことだ」
発光体はしばらく指をあごにあてて思案する仕草をして。
「つまり君の得意分野である、奪うとか、殺すとか、冒すとか、そういうのが魂レベルで刻まれているから、みんなの魂があつまるこの根源に戻しちゃうと、良くないってこと」
「カカッ! なるほど俺はたしかにそういうことに関しては得意分野だからな」
「笑い事じゃないのよ、こっちサイドとしては。で、生き返る理由というのも、そういう性質を少しでも和らげてもらって、こっちに帰ってきてもらおうというわけ。つまりは更生してもらうってこと。オーケイ?」
「むぅ……更生? いまさら生きて帰ったところで、俺の本質は変わらんが」
「まあ、その辺は神のみぞ知るってところ。君の記述を弱めるためにいい感じの器に転生させて、更生をはかる感じかな。あとは君次第ってとこ。そうしないと何回もやり直しあるから」
「む、いまなんと」
「では、グッドラック!」
と、発光体がパチンと指を鳴らす。
刹那、上も下もなかった世界が背後から急速に引っ張られるような感覚に陥る。みるみるうちに発光体の姿が小さくなってゆく。
星々が光の線となり、視界の後ろから前へと過ぎ去ってゆく。それは加速度的にスピードを上げて、やがて唐突に暗闇になかへと落ちた。
(やり直し……いずれにせよ、生まれ変わるなら人の世だろう。それならばやることは変わらぬ)
バッシャン。背中に強い衝撃が走った。村で父親から凍てつく海に落とされ時のような、そういう不安と恐怖が押し寄せる。苦しい。息ができない。
そこから、這い出ようとフリッツは体をよじる。
そして、光が見えて、そこに手を伸ばした刹那。周囲がまばゆい光に満たされた。
「生まれましたよ! 元気な女の子です聖女様」
「素晴らしい! でかしたぞアルエル!」
なにかに抱き上げられるような感覚。フリッツは苦しさから解放されて、大きな声を上げた。
「元気な子! すごく大きな声で泣いてるわ」
「ほら聖女様。あなたの子です。抱いてあげてください」
暖かな感触。安らぎに満ちた暖かさ。
「うふふ、よかった元気に生まれてくれて。ありがとう……」
「アルエル……よかった。ほんとうに……アルエル!?」
その身に感じた暖かさが急速に失われていくのを、フリッツは感じた。
「アルエル? どうした? アルエル!」
周囲が慌ただしくなるのがぼんやりとした意識の中で聞こえた。フリッツはすぐにその体を抱き上げられる。
「アルエル様、お気をたしかに! 神父様気付け薬を!」
「アルエルしっかりしろ! アルエル! アルエール!」
……王国歴1432年。
聖女アルエルは死んだ。
聖なる記述をその身に宿した新たな聖女、リリベルに生を与えたその代わりに。
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