蛮族、聖女に転生す〜最凶最悪の蛮族の王は英雄に討ち取られた後、一千年後の英雄の国の聖女に転生させられました。それにしても千年後の英雄の国がぬるすぎて今にも滅亡しそうです。

蒸気脳/Steam brain

序/蛮族転生

 雪が混じる強い風。じきに、この大陸北方の地リタに吹雪がやってくる。


 厳しい寒さと氷で覆われた大地では、一面の雪景色などという美しい表現が似つかわしくない。


 一年のほとんどが雪で閉ざされるこの地では、人が生きていくにはあまりにも過酷すぎるからだ。


 人界を形成するにはあまりにも過酷な土地の、とある小さな丘に、二人の男が向かい合っている。


 その周りには累々と転がる兵士や戦士の骸が、白い大地を赤く染めている。


 凄惨な戦場の光景。その中央に立つ二人の男……


 一人はこの極寒の大地で尚、剛力を発揮する巨大な体躯を見せつけるように、上半身を露わにしている。


 露わになった上半身には、幾重にも絡みつく龍のような捻り曲がった曲線のタトゥーが刻まれている。


 男の名は、この大陸北方の地に住んでいた古代伝承の怪物を駆逐し、いくつかの原住の蛮族を屈服させ、まとめあげ、一つの国を作った蛮族の王。


 名をフリッツという。


 そしてその向かいに立つ男は、雪と氷に覆われた大地と同じ純白の甲冑を身にまとった騎士であった。


 大陸中央の肥沃な土地を支配し、騒乱の世界の統一を目指すエリニア王国。エリニアにおける彼の活躍はことごとく伝説となり、国民から愛され、尊敬と憧憬を一身に浴びる男。


 男の名はミハイ。王国一の剣士にして、最高峰の称号、九星剣王を拝する剣聖。


 北方の蛮族の討伐を名目に、大陸よりこのリタへの遠征に来たミハイを、フリッツは迎え撃ち、白い大地は熾烈な戦闘が繰り広げられていた。


 しかしてその戦闘もいま終わろうとしている……たった二人の英傑同士の決着を以て。


「剣王ミハイ。我は貴様を許さんぞ。我が先祖をこの氷で閉ざされた地に追いやった挙句、神の名の下という理屈で、我らリタ人を討伐するなど……それが神の国を自称する国がすることか」


 そうフリッツは怒りを奥底に秘めた低い声で言う。


 その両の手、両の足は黄金に輝く光の鎖によって縛られ、捕えられている。ミハイの唱えた奇蹟「レガントの鎖」だ。


「是非もない、蛮族の王よ。そなたはやりすぎた」


 ミハイはそう静かにフリッツに言った。

 透き通るような青い瞳が、真っ直ぐフリッツを見すえながら。


 だが、そこに敵であるフリッツに対する敵愾心や、『蛮族』と呼ばれる彼が浴びせられてきた一種の蔑みのような色はない。ただ、ほんの少しの悲しみがそこにある。


 未だ世界は多くの部族と人種、種族とに分断され、世界最大の大陸では、戦が絶えず続いていた。


 そのなかで世界の統一に最も近い国エリニアは、諸国、諸都市を神の名の下の統一という大義のもと、諸国遠征を実行している最中だ。


 だがいかに神命のもとの大義とはいっても、北方の蛮族であるフリッツにとっては関係のないこと。


(これは侵略だ……)


 フリッツとミハイの間には、大きく深い、異質な大義という溝が横たわっている。


「やりすぎた、だと? このような草木も育たぬ地に先祖の代から押し込められ、我らは百年もの間耐えてきたのだ。そんな我らが生きる道は唯一、侵攻し、奪い、殺し尽くすことだけだ。さもなくば村の子は飢え、寒さによって人々は死を待つだけなのだ。すべては生き延びるため。貴様ら王国も、神の名の下という思想のために、侵攻し、奪い、殺す。蛮族と貴様らは言うが、やっていることは同じ。生を本質とする我らより非道であろう」


 大陸の北側、厳寒の土地に生きるリタ人の悪名は世界に轟いている。北の蛮族は突如と現れては、街々を巡り、通り過ぎたそのあとは何も残らない、と。


 対して大陸に覇を唱えようとするエリニア王国は、いまや多くの領土をその傘下に入れ、その悲願を達成しようとしている。


 略奪と侵略。ふたつの国が行なっていることは同じだ。どちらが善で、どちらが悪か……それを断じることのできる人間は一体この世の中にどれほどいるだろうか。


 ただどちらの英雄にもいえることは、その行為のすべての責を負おうとしていることだ。ゆえに二人が相容れぬ存在であることは、紛うことなき事実である。


「蛮族の王、フリッツよ。世界には勝者が必要なのだ。百年近く続いた騒乱の時代。諸国間で続いた戦は民を疲弊させている。わたしがすべて導き、千年続く平穏の世界をつくることを約束する」


「カカッ! 救うだと? どうやると言うのだ」


「神がいる。世界創造の神だ。我々エリニアに残る世界最古の文書には世界創造の真実が描かれている。神の存在がバラバラになった世界を一つにまとめる」


 フリッツは両手に絡みつく光の鎖に目をやる。


 宙から突然現れた光の鎖が、この地に眠っていた竜の口すらこじ開けるフリッツの剛腕すら捉えて離さない不壊の鎖が、フリッツを束縛している。


(なるほど神の奇蹟か)


 ここ十数年で大陸中央の小国が、数十の国と都市を併合し、大国となった理由がそれだった。


 世界最古の古文書には、世界創造の神たちが起こした奇跡の数々が記されていると言う。その文字を解読したエリニアの教会が作り出した秘術こそ、神話再現とも呼べる、神々の力の現出の法だった。


 フリッツにかけられた束縛の術、レガントの鎖も、かつて神と魔が戦ったという記述に残されたもの。押し寄せる巨獣を光の神レガントが、決して引きちぎることができぬ鎖で拘束したと言う神話からだ。


「わたしはこの奇蹟を使い、たった一つの事実によって生まれた世界であると証明する。ひとつの教理が絶対のルールを作り、絶対のルールは長き平穏をもたらす。そのうえで……」


 ミハイが話している最中、ぎちぎちと音を立てる鎖。絶対束縛の法であるレガントの鎖が、形を歪にし始めた。


 蛮族の王、フリッツ。その力は神の法すら冒し始めていた。


「神の法? 絶対のルール? 笑わせるな?」


「……!」


 フリッツの全身に力が迸っている。血管が浮き上がり、筋肉が膨張している。全身の入れ墨が、淡い光を放ち始めている。


「そんなもので、人がおとなしくその身に持つ本質を抑え込めると思っているのか?」


「これは……」


 ミハイが腰の剣を抜く。とっさに構えの姿勢を取った。


 レガントの光の鎖に亀裂が走る。絶対不壊の鎖が……


 ちぎれる。


「馬鹿な」


「お前は忘れている。人の奥深くにあるその性を。奪い、殺し、自分と自分の所有物に固執し、他を冒涜する底知れぬさがを……!」


 フリッツは恐るべき速さで足元に落ちていた大斧を、常人には扱えぬ巨大な戦斧を左手に取り、横薙ぎに振る。


「そうか……」


 それは束の間の、時間にしてほんの一握りの刹那の間だった。


「そなたも、神に力を与えられた者か」


 ミハイの右腕が鮮血とともに飛ぶ。


「くっ……はぁっ!」


 そして白い大地に血が滴り落ちる。漏れ出た声と血。それはフリッツのものだった。


「ローオニルの絶対貫通の刺突……あらゆるものを貫く」


 一撃。刹那の攻防によって勝敗は決した。どんな刃も通さない鋼の身体は、神の記述によって奇蹟となったミハイの剣によって、心臓ごと貫かれていた。


「右腕を……犠牲にして……見事だな」


 両膝をつくフリッツが、聖なる騎士の覚悟に賞賛の言葉をはく。


 あらゆる奇跡すら、ほんの一瞬の隙を作るほどにしか、この蛮族の王には通じなかった。もっとも弱き筋肉の隙間。その一点のみに、神の奇蹟を通すところはなかった。


「そなたは強い。わたしにはない、勇なる強さ。この時代でなければ、もしや友になれたやもしれぬ」


「……ほざけ。いたずらに護るものを増やし、理想などと言うものに心を奪われた哀れな聖騎士め。我々は弱い。多くを持てば、その身を滅ぼすことになる。たとえ一千年の王国を作ろうと、その輝きはいずれその国すら滅ぼす毒となろう……」


 フリッツはその言葉を最期に、雪の大地に倒れ伏した。


「そうやもしれぬ……だが、いまはそれしかできぬ。わたしは……弱いわたしには……」


 いつのまにか、風は止んでいた。視界はやがて吹雪始めた雪風に白く染められていく。ふたりの姿もまた見えなくなってゆく。

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