誰がために

 碓井貞光うすいさだみつは幼年時代、荒太あらたと呼ばれていました。

 十二つき以上も母親の胎内にて育ち、生まれ出た時には通常の嬰児の倍近くも目方があったとされています。余りの難産のため、母親はその命と引き換えに貞光を出産しました。

 貞光は相模国碓氷峠うすいとうげ辺りを野の獣のように元気いっぱい駆けまわり、すくすくと育ちました。碓井家は幸運にも貧しい家ではなかったので、へとへとになるまで外で遊び、帰ってきては大量に飯を飲み込む貞光をきっちり養育することができたのです。そんな環境もあり、貞光の背は九つの時にはすでに大人と同じほどもありました。

 周囲に、体力で貞光に並ぶ童子はいませんでした。貞光は餓鬼大将として村の子を何人も引き連れて山を越え、隣の村の子供達にも喧嘩を仕掛けていました。

 この隣村には、同じく餓鬼大将の長春という子がいました。長春は貞光と比べると一回り以上体が小さく、手足も年相応に細くはあったのですが、その分すばしっこく、貞光の顔と言わず体と言わず痛烈な打ちや蹴りをぶつけては、ひらりひらりとその身をかわす喧嘩を得意としていました。そして貞光は当然のように、その恵まれた体躯を活かして力任せに戦うやり方を好んでいました。

 戦績は五分と五分。しかし時が経つにつれ、さらに体が大きく膨れ上がってゆく貞光に、長春は勝てなくなってゆきました。

 長春は不思議に思いました。自分ははなから力任せに戦っているつもりではない。なのに、さらに力が強くなってきた貞光に、どうして勝てなくなってきたのだ。あいつの戦法は昔から変わっていない、はず。なのに。

 ある日。

 また同じように貞光と喧嘩をしていて、長春は変化に気づきました。いつの間にか、貞光は力任せに戦ってはいなかったのです。長春の身のこなしを、自らの戦い方にじわじわと採り入れていました。いま腕はどう動いているか。足の位置はどこにあるか。体の角度はどうか。目はどこを見ているか。長春と何度も喧嘩を繰り返す中で、貞光は長春の動きを我が物としてゆきました。

 そこに貞光の生来の腕力が加わったのならば、もう勝てるわけもありません。長春は貞光との喧嘩をあっさりとやめました。その時貞光は十三歳。背はもう大人の男より頭一つ分出ていました。

 その後、貞光は武で身を立ててゆくために単身都へ上り、未修寺みしゅうじという寺に住み込んで下働きをしながら体術を学びます。師は道連どうれんという名の老いた僧で、体術の達人でした。

 道連は強く打たずとも、軽く拳を当てるだけで木切れを粉微塵にしたり、水に浸した紙を破ることなく指先で綺麗に両断したり、といった芸当を老体の身であるにもかかわらずなんなくやってのけました。そんな道連は早くから貞光の才を見抜き、自身が持てる技のすべてを貞光に託そうと考えたのです。

 それから何年もかけて、貞光は道連から広く武の道のことを、そしてこの世に生きてゆくあらゆるすべを学びました。

「道連様。武とは一体何なのでしょうか」

 貞光は道連に、そう問うたことがあります。すると少し考えたのち、道連は答えました。

「武は武だ。それ以上でも以下でもない。使い方を誤っては、ただの手に余る道具よ」

「しかし、それでは心の修業がともなってゆきませぬ」

「武をもって心の修業に挑むなどとは傲慢ごうまんの極み。心の修業を積むさなかに武が極まってゆくのだ。順序が逆だ」

「は」貞光は平伏しました。「――しかし道連様。私はいずれ武で身を立てようと思うております。心の強靭さなくして技の精錬なし。逆もまた然り。道連様はそう仰いました。私はこの先、如何にして心の修業を積めばよいのでしょう。どうかお導きを」

「やはりそんなことを思うておったか」道連はあごから長く伸びた白髭を何度もしごきました。「手っ取り早い方法があるわ。いや、考えと申した方が良いかな」

 貞光は額を床板に擦りつけました。「何卒、その方法をお教え下さいませ」

「貞光。おぬしは何のために戦おうとしている」

「は。強くなるためです」

「それは何のためだ」

「は。……と、申されると……?」

「一体おぬしは何のために強くなりたいのだ。答えてみよ」

 貞光はその問いに答えられず、黙り込んでしまいました。

 考えたこともなかった。俺は、生まれた時から体がでかかった。子供の時から強かった。大人にだって負けなかった。長春との喧嘩は苦労したが、しかし最後は俺が勝った。そのまま俺はもっと勝ちたい、もっと強くなりたいと思って鍛えてきた。ただそれだけなのだ。

「それがおまえに足りぬものだ、貞光」

「……は」

「守るものがなく、強いだけ。哀しいのう」



「――何を呆けておるのだ。貞光」

 綱の声で、貞光は我に返りました。

「……面目ない、この戦いに加わる前のことを考えており申した」

「ああ……。あの寺での修行のことか」

「左様で」

 貞光は馬上にいました。少し前には綱、さらに前を頼光が馬に揺られています。

「我らは天朝よりのめいで今こうしておるのだ。感傷も良いが場をわきまえよ」

「申し訳ございませぬ。綱殿」

「綱。まあ、よいではないか」

 先頭を行く頼光が軽やかな声で言いました。

「は。……しかし頼光様」

「そうかりかりするな。勅命ちょくめいとはいえただの山賊退治だ。我らの力を以てすれば造作もなきこと。そう重々しく捉えるでない」

「は。……差し出た真似を致しました」

 それにしても、と貞光は思いました。

 勅命とはいえただの山賊退治。頼光様の言葉通りだ。近頃、とみに被害が多く出ているようだ。であるから帝の配下である我々の職務も、国賊である山賊退治が増えてゆく。

 時折わからなくなる。自分が何のために戦っているのか。山賊退治ばかりが続くと、また次第に迷い始める。そのたび、道連様の言葉を思い出す。

「守るものがなく、強いだけ。哀しいのう」

 ――そうとも。自分の命のすべては帝のもの。自分の力のすべては頼光様のもの。誰かのために戦うということの意味。それらがもたらす力。今の自分は、それを知っている。自分は強い。自分達は強い。決して一人で戦っているのではない。

「……今度は一体何をにやにやしておるのだ? 貞光よ」

 貞光ははっとしました。綱が呆れ顔で貞光を見ています。

「面目ない。先ほどと別のことを考えており申した」

 綱が大きくため息をつきました。

「しっかりしろ、おぬし。山賊退治とはいえ、命のやり取りをすることには変わりはないのだぞ。気を引き締めろ」

「……は」

 綱の表情は締まっていました。頼光の顔も、いつの間にやら氷のような冷たい緊張が浮いています。

 そうだ。浮ついている場合ではない。

 わしは今、こんなに強い方々と肩を並べておるのだ。

 貞光は大きく息を吸い、深く吐き出しました。三度それを繰り返すと、もう別人の顔になっていました。

 山賊の根城までは、もうあとわずかでした。


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