第19話 意識の変化の中での葛藤

 日の出から約6時間が経った正午前、アリスはやっと目覚めた。顔の横には心配そうにアリスを見るポプがいた。

「ポプ…。あれ?ここは…?」

見知らぬ空間にあるベッドの上に寝ていることに気付いたアリスは、体を起こした。だいぶダメージは収まってきているが、さすがフューダで、まだ苦しさが残っている。胸を締め付けられるような感覚に襲われたアリスは、体を起こしたまま胸を押えて苦しみだした。

「お、おい。無茶はするな。まだ寝かせてもらっとけ。」

ポプがそう促すも、アリスは従わなかった。このまま横になったら、またしばらく起き上がれない気がしていた。深呼吸をして、どうにか抑え込んだ。

「大丈夫ですよ。だいぶ楽になりました。」

笑顔を向けるアリスを、ポプは心の底から心配した。シャイーリャで育つことができなかったアリスは歴代の一族の中でも耐性がないはずなのに、という考えが過った。そこへ、1人の老婆が部屋に入ってきた。

「ほう。意識が戻ったか。」

杖も何も持たず、自力でシャキシャキと歩く老婆は、アリスに近づいた。

「うーん。まだ呼吸が荒い。もうしばらく寝てなさい。」

「あ、いえ…。そういうわけには…。その…、私、化け物と言われてる者で、このまま甘えてしまうとあなたにも危害を加える方が出てきてしまいます。」

「大丈夫だよ。」

聞き慣れた男性の声がした。顔をのぞかせたのはジョージだった。

「え?ジョージ?」

「そう。で、この人、僕のおばあちゃん。ここ、僕の実家。ほら、2人もおいでよ。」

ジョージに呼ばれて、女性がもう2人現れた。

「こっちが僕の母さんで、こっちが妹。」

「はじめまして。アリスよね?街を守ってくれてありがとう。」

「ゆっくりしていって。気にすることはないから。」

みんな笑顔だ。そんなジョージの家族の対応に、アリスは戸惑って何も言えなかった。ジョージの母と妹は食事の準備のために部屋を出た。残ったジョージとジョージの祖母はアリスを半分強引に寝かせ、祖母は横に椅子を持ってきて座った。

「じゃあ、おばあちゃん、アリスのこと、よろしく。アリス、おばあちゃん、格好いいから、構わず甘えなよ。」

「ここは任せておけ。ジョージはジョージのやるべきことをやってきな。」

ジョージは祖母に手を振って部屋を出た。昨晩の騒動の調査と瓦礫の撤去を手伝うそうだ。他の実動部隊の隊員もその対応に当たっているという。自分だけ役に立てていないという喪失感が、アリスを一気に襲い始めた。

「いやぁ、大変だったねぇ。本当に。」

ジョージの祖母の言葉に、アリスはビクッとした。

「ご、ごめんなさい。街中が滅茶苦茶ですよね…。」

「ん?何を言ってるんだい?アリスが大変だった、って話だよ。」

「わ、私ですか?」

アリスはキョトンとした。ポプはそんなアリスのお腹の上で座ってクスクス笑っている。

「当たり前だよ!街も人も守ったのに、あんな仕打ちはあんまりじゃないか!」


 目の前が真っ白になった時、アリスは夜明けだと思っていた。が、実際は出血もダメージも酷く、意識を失ってその場に倒れてしまった。実動部隊の全員が駆け寄ってアリスを抱き上げ、病院で診てほしいと大声で訴え続けた。だが、誰も引き受けてくれない。皆が自分は関係ないと言わんばかりに目線を合わせようとしない。そんな市民の後ろから、1人の老婆が声を上げた。

「うちに連れてきな!」

「…おばあちゃん!?うちは医者じゃないよ?」

「ふん!雨風しのげるところで寝かせるだけでもマシだろう?さあ、早く!」

それがジョージの祖母だった。すぐに横になれるのなら、と実動部隊はその言葉に甘えた。ジョージの母と妹に先導され、ジルバがアリスを抱きかかえて運んだ。その隣でニコラがアリスに声をかけ続け、ダグラスは偶然近くにいた自分の妻に事情を説明して一緒にジョージの家に向かった。ジョージとビルはジョージの祖母に礼を言った。

「助かりました。ありがとうございます。」

「当たり前のことをしただけだよ。それより、なんだい?お前たちは?」

2人を押しのけて、大勢の市民の前に出たジョージの祖母は、全員に聞こえるように聞いた。

「フューダじゃないけど、多様性って言っておきながら、肝心な時に排除するじゃないか。あの子がいなかったら街も人も全滅だった。頭では分かってるんだろう?」

市民たちは顔を上げられない。ジョージの祖母が言っていることは事実だ。事実と分かってはいるのだが、どういうわけか受け入れるのに抵抗がある。そんな市民たちの様子を見かねたジョージの祖母はさらに続けた。

「確かにあの子には不思議な力がある。顔立ちもアジア系だし、肌の色も白くない。けど、それがなんだっていうんだい?実際に守るための行動をしたのはあの子だろ。力のない欧米系のお前たちは逃げるだけ逃げて、守り切ったあの子を傷付けただけだ。それが偉いのかい?その他大勢の人種の1人の意見だけど、あんたら恥ずかしいよ。全然偉くない。そんなので先進国だなんて、いい加減にしな。」

ビルとジョージは圧倒された。なかなかこれだけの人数の欧米系の人だかりに向かって1人で批判を述べることができる人はいない。アフリカから移民としてやってきたジョージの家系は、古くは白人から酷い扱いも受けてきた。ジョージでさえも心無い言葉や暴力を受けたことがあるが、ジョージの祖母はそれ以上に酷い経験をしているはずだ。時代は変わり、ジョージが国際防衛機構実動部隊に入隊したことで、世間の扱いは変わり、だいぶ暮らしやすくなった。とはいえ、過去の記憶が消えるわけではない。アリスへの仕打ちを見て、思いが大爆発したのだろう。

「折角、教育や日々の生活が保障された豊かな国に住めてるんだ。感謝と謝罪ができないなんて、お前たちは勉強しか出来ない寂しい人間になるのかい?」

そこまで言うと、ジョージの祖母も自身の家に向かって歩き始めた。ジョージが横について歩き、ビルはその後ろについたが、一度市民のところまで駆け足で戻った。

「考えを変えるのは、すぐには出来ないかもしれません。しかし、暴力は絶対にダメです。アリスは我々の大切な仲間であり、今回のこの騒動で一番活躍した隊員です。我々は、皆さんから憧れを得るために活動しているのではなく、皆さんを守るために活動しています。そのことは忘れないでいただきたい。」

ビルはそう言い残し、前を行く2人の後を追った。


 話を聞いたアリスは驚いた。まさか自分が意識を失っていたというのもそうだが、意識のない間に起こったやり取りを聞いて、頭が真っ白になった。すぐに言葉は出なかったが、だんだん事の大きさに焦りを感じ始めた。

「あ、あの…。本当に大丈夫なんですか?」

「ん?ああ。好きなだけ寝ててくれていい。」

「いや、そうじゃなくて。私が寝てる間に嫌がらせをしてくる人はいなかったんですか?」

「ああ。そんな奴はおりゃせんよ。」

「はいはい。人の心配もいいけど、まずは自分の心配をしましょうね。」

また違う人が現れた。アジアとヨーロッパが混ざったような綺麗な女性と、そんな女性にピタッとついて離れない可愛らしい女の子だ。

「初めましてですね。私、ダグラスの妻です。普段は看護師をしてます。ある程度までなら診れますから安心してください。こちらは娘です。」

「こんにちは。お姉ちゃん、昨日はありがとう。もうすぐご飯だよ。楽しみにしててね。」

「あ、はい。ありがとうございます。」

色んな情報が一気に押し寄せてきたアリスは、礼を言うことしかできなかった。ダグラスの妻は手際よくアリスの怪我と体調の具合を診た。ダグラスの娘はというと、アリスのお腹の上のポプが気になっているようだ。手を伸ばすも、ポプはアリスを盾にして隠れた。

「ごめんなさい。この子、少し恥ずかしがり屋さんなんです。名前はポプって言いますから、名前を呼んであげてみてください。」

残念そうな顔をするダグラスの娘に、アリスはそう声をかけた。娘はそれに従ってポプの名前を呼んだ。ポプは渋々顔を出し、ひょっこり現れたポプを見た娘は機嫌が直った。

 ダグラスの妻が包帯やガーゼを替えて熱も確認して部屋を出るのと入れ違いで、ジョージの母と妹がご飯を持ってきた。アリスはゆっくりとどうにか起き上り、出された食事を口にした。野菜たっぷりのスープに鶏肉のソテー、小麦粉を水で溶いたものを薄く焼いたものだった。全て美味しく平らげ、満腹感からか眠気に襲われてそのまま寝てしまった。次に起きた時は翌日の朝になっていた。それに気づいた瞬間、眠気が吹き飛び、ベッドから飛び起きた。

「そんなに焦らなくてもいい。」

ジョージの祖母はすでに起きていた。自分の周りに違和感を感じたアリスは寝ぼける頭を叩いて違和感の正体を見た。実動部隊の隊員全員がこの部屋にいる。

「…何で?」

「みんな、アリスが心配だって言ってきたんだよ。床で寝ることになるよ、って言ったけど、構わないって言うから入れたんだ。良い仲間じゃないか。大切にするんだよ。」

「ええ、喜んで。」

こんなに自分の事を気にかけてくれる人に出会える時が来るなんて、少し前のアリスはそんなことは思っていないだろう。生きるのも悪いものではない、と心の底から思えた瞬間だった。

 実動部隊全員が目を覚まし、アリスと言葉を交わした。アリスの身体の傷はほぼ癒えており、ダグラスの妻もジョージの家族も驚いた。しかし、さすがは実動部隊の隊員の家族で、そこはそういう人なんだとすぐに受け入れた。アリスはまだふらつきが残っていたため、もう1日、実動部隊の調査が終わるまでジョージの家で世話になることになった。

「あの、すみません。私、毎回復帰した直後に動けなくなってしまって、皆さんに迷惑を掛けてしまって…。」

アリスが寝かされている部屋で実動部隊の全員が朝食を食べている時に、アリスはそう言った。確かに、エメラード事件はアリスが入隊した日、その後の暴行事件や鉱山事故、陥没事故に今回のダイアモでの騒動はアリスが職場復帰したその日に起きている。その全てで、瀕死に近い重傷を負っている。しかし、回を追うごとに回復は早まっており、今回はフューダから食らったダメージのみが長引いているだけだ。

「謝ることはない。むしろ、アリスにばかり負担が掛かっていて申し訳ない。」

ビルはジョージの家族が用意した朝食を美味しそうに頬張りながらそう言った。隊長として、毎回怪我をして世間の批判に晒されるアリスには申し訳なさを募らせていたのだ。今回はフューダが直接絡み、アリスにほとんどの事を抱え込ませたという、自身に対する無力感を覚えていた。ビルだけではない。他の隊員も感じていた。

「なあ。いつも思ってたんだが…」

暗くなった雰囲気の中、ダグラスが切り出した。

「アリスはフューダから戦闘術を教わったんだよな?」

「はい。正確には、フューダの手下に毎日稽古を付けられて、たまにフューダが実戦形式とかなんとか言って戦う感じでした。」

「受け身は習わなかったのか?」

「受け身…?とは?」

ああ、やっぱり。とダグラスはジョージと顔を合わせた。2人には思うところがあるらしい。

「ダグラスとたまに話題になってたんだ。アリスの戦い方は捨て身すぎるって。なんか、こう…、死んでもいいっていう戦い方だねって。」

それを聞いたビルもジルバもニコラも確かにそうだと思った。アリスはとにかく突っ込んでいくし、周りにダメージを与えないようにできる割には自分は真正面からダメージを受けに行く。

「ああ。自分を守ってる間に相手は攻めて来るから、そんな暇があるなら突っ込んで攻撃しろ、と教えられまして…。確かに、フューダやその手下達はどんどん攻撃を仕掛けてきますから、守ってる暇なんてなかったですよ。」

なんて教え方をしてくれてるんだ、と全員が心の中で憤った。本当に自分以外の人間のことは道具と思っている人のやり方である。フューダに対する怒りがさらに増し、本部に戻ったらアリスに防衛術を教えよう、と誰もが思った。

 朝食後、アリス以外の5人はダイアモの街に出て各々の作業に取り掛かった。瓦礫が多いところもあるにはあるが、言うほど建物への被害は出ていない。最初の爆発以外はアリスが抑え込んだため、街が壊滅的被害を受けるということはなかった。学生が多くいた辺りでは死者が出たが、その他は重軽傷者で済んでいる。爆弾が仕掛けられた場所に、ちょっとしたクレーターが出来たくらいで、実動部隊が調査し、警察や消防が安全を確認した後、業者が埋めていくという作業で間に合っている。

 全てのクレーターの調査を終えた実動部隊は、最初に爆発があった箇所を見て回った。市民が避難バスを待っていたところの近くで、追い打ちをかけるように少し離れたところでも爆発が起こった。爆弾の残骸を回収し、詳しく調べることとなったが、それでどこまでフューダという人物に近付けるかは期待が出来ない。どう見ても、特別なものではないからだ。闇の力が加わっているとしても、科学的に解析することは出来ない。

「大体の調査は終わったな。みんな、お疲れ様。エメラード事件と違って、被害の規模は小さい。今後の片付けはダイアモ市民で頑張るそうだ。要請があれば、私達が出動することになる。」

調査中に声を掛けてくれる市民は、みんな前向きだった。これくらいなら大丈夫だ、あとは自分達でやれる、実動部隊は実動部隊の仕事をしてほしい。そんな風に言ってくれた。どれもありがたい言葉だったが、アリスがいたら同じことを言ってくれてただろうか、と隊員は皆思い、複雑さも抱えていた。

 5人は歩いてジョージの家に向かった。すると、家の前に人集りができていた。アリスを受け入れたことに反対する市民が集まってきた、と実動部隊全員が思い、全員が焦った。駆け足で人集りに近づくと、思ったより静かな集まりだった。批判している雰囲気はない。

「皆さん、どうかしましたか?」

ジョージが集まった人達に声を掛けた。家族もいて、ダグラスの妻と子どももいて、アリスもいる。自分の家で何かあったのなら一大事だ、と内心一番ハラハラしていた。

「あ、いや…、その…」

言いにくいことなのか、集まった人達はみんな黙ってしまった。見かねたビルが呼び掛けた。

「何かあるのなら、遠慮せずに仰ってください。我々は皆さんに危害を加えたりはしません。」

しばらくして、その言葉に背中を、押された1人の市民が前に出てゆっくりと話しだした。昨日、アリスに暴行を加えていた男性だった。実動部隊の隊員は少し身構えた。

「その…、俺は謝りに来たんです。ここのお婆さんの言う通りだなって…。俺、不安で…、フューダと接触があるあの子を傷付けないと不安が収まらなくて…。酷いことをしてしまったって、あの後すごく後悔したんです。だから…、来ました。」

その発言を批判する者は誰もいなかった。ここにいる全員が、アリスに対して申し訳ないことをしたと思っているらしい。ジョージの家の玄関が開き、ジョージの祖母が出てきた。その姿を見た男性は、ジョージの祖母の正面に立った。

「あ、あの!昨日はすみませんでした!あなたの言う通りです。本当に、自分が間違ってました!」

この男性以外にも、集団の中から謝罪の言葉を口にする者が多くいた。騒ぎを聞いたジョージの祖母は呆れていた。

「あんたら、いい加減にしな!謝る相手が違うだろ?!まったく、どこまで勘違いしてるんだい?!」

そう言って家の中に入り、アリスを引っ張り出して背中を押し、玄関を閉めた。まだふらつきが残るアリスは驚きながら閉まる玄関を振り返り、そのまま後ろ向きに倒れた。自力で起き上がったアリスは、目の前に多くの市民が集まっているのが目に入ると、唾を飲み込み1歩後退りした。しばらく、集まった市民もアリスも何も言わない静かな時間が続いたが、アリスがその沈黙を破った。

「あ、あの!私、今日にはこの街を出ますので、ご安心ください!あと、この家の方は皆さん素晴らしい方です!どうか、暴力暴言は私にだけでお願いします!」

アリスはそこまで言うと、深々と頭を下げた。ふらつきに耐えるため、脚は少し広めに開いて立っているが、体は若干左右に振れている。そんなアリスの言葉と様子を見た、最初に声を上げた男性は、アリスに近づいた。

「顔を上げてくれ。君は悪くない。街を守ってくれた恩人だ。悪いのは俺だ。暴力を振るって、ごめん。」

アリスは驚いた表情で顔を上げた。自分を批判する様子のない市民達を見て、アリスは戸惑いを隠せない。そんなアリスに歩み寄ろうとしたジルバとニコラだが、年長者3人に止められた。ビル、ダグラス、ジョージは温かい目で見守っている。そんな中、アリスは男性に言葉を掛けた。

「あなたの気持ちは分かります。フューダの下でずっと生きてきた、得体の知れない力を振るう人が味方だと突然言われても、信じられませんよね。防衛行動として、間違ってません。」

アリスに対する暴力や暴言に関して、アリス自身は市民を責めることはしなかった。市民達は余計に自分達がしたことを後悔した。まだ若く、どんな酷い扱いをされても優しさを忘れない、小柄な女の子の心の綺麗さに驚きもした。

「ですが、私に関わった方をむやみに批判するのはやめてください。実動部隊の皆さんは得体の知れない私を躊躇わず助けてくださいました。今だって、困ってたら助けてくれます。実動部隊でなくても、私に優しくしてくれる方はいます。今回も休む場所を提供してくださったり、ケガの手当てをしてくださったり、たくさんの優しさをいただきました。その優しさを批判しないでください。皆さんの敵になったわけではないですから、お願いします。」

アリスはまた頭を下げたが、今度はすぐに顔を上げた。アリスの目は力強く、揺るぎないものがあった。市民達は何も言わずに首を縦に振った。そんな市民をかき分けて、5歳くらいの女の子がアリスの前に出てきた。女の子は真っ直ぐアリスに向かって走り、アリスに抱きついた。突然の出来事に驚くアリスだが、女の子は笑顔だった。

「お姉ちゃん、守ってくれてありがとう!空を飛んだお姉ちゃん、格好良かったよ!」

頑丈な建物に避難したこの女の子は、建物の窓からアリスの行動の一部始終を見ていたようだ。素直に感謝を伝える女の子に対して、アリスはどう対応したらいいのか分からなかったが、自然と笑顔になっていた。

「ありがとうございます。そう言っていただけて、私も嬉しいです。」

アリスも女の子を抱きしめた。女の子の母親らしき女性が人混みから現れて心配そうに見つめるのに気付いたアリスは、女の子に母親かどうかを尋ねた。女の子が首を縦に振ると、アリスは女の子の背中を軽く押して戻るように促した。女の子は笑顔で母親に向かって走っていった。

 大きな混乱は起こらず、市民達はアリスに対して頭を下げ、感謝と謝罪の気持ちをアリスに伝えた。アリスは戸惑いながらもその気持ちを受け止めた。半分以上の市民が帰って、ようやく実動部隊がアリスと話す余裕ができた。

「アリス、大丈夫?」

ニコラがアリスに声を掛けた。5人の姿を見たアリスは膝から崩れてその場に座り込んだ。

「おいおい。大丈夫じゃねぇじゃん。」

ジルバは思わず声が出た。アリスは笑いながらどうにか姿勢を保っている。

「いえ、体調が悪いのではないんです。ただ、大勢の人の前に出ると、ドキドキしてしまって…。皆さんの姿を見たら安心しました。ありがとうございます。」

冷や汗をかきながらも笑顔で言うアリスに、ジルバが無言で手を差し出した。差し出された手をアリスは迷いなく握った。たったこれだけでも、アリスの変化を感じられて、実動部隊は安心した。立ち上がるように引っ張られたアリスはバランスを崩したが、ジルバがしっかりと支えた。

「身体の内側のダメージがまだ治りきってないみたいだな。あまり無理するなよ。」

「…はい。ありがとうございます。」

アリスが玄関から出てからの様子を家の中から見守っていたのだろう、ジョージの家族とダグラスの家族が出てきた。いつの間にか、ポプもアリスの頭の上に乗っていた。

「おばあちゃん、相変わらず強引だねぇ。」

ジョージが祖母に声を掛けた。それを聞いたジョージの祖母は少しムッとしたが、すぐに笑みを浮かべた。

「ふんっ。こうでもしないと、お互いに分かり合えないだろう?見てて腹が立つんだよ。」

「はは…。おばあちゃんらしいや。」

ジョージの祖母はアリスの腕を引いて自分の方を向かせた。アリスを見つめるその顔は、穏やかで優しい顔だった。

「人間ってのは、誰でも間違う。それに気付かなかったり、素直に謝れなかったりする奴は愚かさ。けど、みんながそうじゃない。気付いて謝って、正そうとする人間のほうが多い。大丈夫。アリスは必ず受け入れられる。」

そう言うと、ジョージの祖母はアリスを抱き締めた。アリスは自分がどんな気持ちなのかも分からなくなっていた。自分が自分の中で迷子になったような感覚だ。辛い、とは決して言わず、当たり前のこと、として受け入れてきたアリスにとって、この優しさは想定していなかった。ただ、ジョージの祖母の言う通り、分かってくれる人もいる。今、ここにいる人達がそうだ。それだけは理解している。そんなアリスを見た実動部隊やジョージとダグラスの家族は、言葉が見つからなくなっていた。

 その日のうちに、実動部隊は国際防衛機構に戻った。別れ際、ジョージとダグラスは家族と笑顔で抱き合い、アリスはそれぞれの家族にお礼を言った。ダイアモの市長から、落ち着いたら祭りを開催することを伝えられ、実動部隊もぜひ来てほしいという誘いを受けた。ビルは快く引き受け、隊員も笑顔で車に乗り込んだ。

 戻ってからはバタバタだった。関係各所への報告、機材の修補・整備、今回のような事態を想定した改善案の提示など、頭を悩ませる課題が多くある。アリス以外の5人はてんてこ舞いだ。事務仕事をしたことがないアリスは、見守ることしかできなかった。街でやるだけやって、国際防衛機構では何もできない自分が惨めに思えた。忙しさを極めたビルに連絡が来たのは、アリスがそんな風に思っていた頃だった。

「アリス。長官がお呼びだ。長官の部屋に行ってこい。」

そう言われた瞬間、アリスは全身が強張った。今度は何を言われてしまうのか、怖くて仕方なかった。しかし、スコットが呼んでいるなら行かなければならないだろう。強張る体を気持ちで動かして、アリスはスコットのところへ向かった。

 ドアをノックして入ると、そこにスコットの姿はなかった。部屋を間違えてないことを確認し、アリスは中で待つことにした。廊下で待っていても、職員が全く通らないわけではないので、互いに気になるのだ。人目を避けるように部屋に入ったアリスは、窓の外を見た。もうすぐ夕暮れ時だ。今回の自分の行動を振り返ると、ため息しか出ない。フューダ本人やその仲間がいたかもしれないのに、全く気付かなかった。最初の爆発を許してしまった。フューダの気配を感じ取ってしばらく、背筋が凍りつくだけで動けなかった。その後は必死に動いたが、ダイアモ市民の心を揺さぶられた。自分に対する意識を変えてくれたのはジョージの祖母だった。ある意味、フューダもそのきっかけを与えた。最初から最後まで、未熟だった。そして、今も、実動部隊の仕事を手伝うことが出来ていない。

「おい。なんで自分を責めるんだよ?アリスがいなかったら、今頃ダイアモは消滅してただろうし。十分やれる事をやったじゃないか。」

ポプはアリスの頭の上でそう言った。ポプには考えていることが全てお見通しのようだ。そんなポプを、アリスは両手で持って自分の目の前に構えた。

「ありがとうございます。ですが、ジョージのおばあさんがいなければ、あんなに私に対する風向きは変えられませんでした。今回の場合、その面で言えば、フューダにも助けられたような気がします。自分じゃ何も出来なかったですよ。」

無理矢理作った笑顔が痛々しい、とポプは思った。きっと、アリスは自分の力不足を情けなく思って、そんな自分を笑っているのだろう。しかし、ポプにはそれが表向きで、本当は酷く泣いているように思えた。

「なあ。そろそろ本音を言ったらどうだ?」

「え?」

「アリスは気付いてなかっただろうけど、婆さんに抱き締められてた時、お前、凄い顔になってたぞ。泣きそうなのに、獲物を睨む蛇みたいな、不気味な感じだった。」

そう言われて、アリスはポプから視線を逸らした。明らかに気不味そうにしている。ポプはアリスの肩に場所を移した。窓ガラスに映るアリスの顔は、どう言葉にしたら良いのか、迷いのある顔だった。

「時と場合によるけど、あの場は本音を言っても良かったんだぞ。」

ポプがもう一押しすると、アリスはようやく口を開いた。

「分からないんです。どこまで甘えていいのか。今でも十分甘えてるのに、優しさに溢れすぎてると、どう受け取ったらいいのか…。」

「ふん。贅沢な悩みだな。」

「ごめんなさい。私、もっと生きて、もっと色んなことを知りたいんです。けど、私のせいで誰かの迷惑になるんなら引かないといけない。もし、あの時、甘えていたら、ジョージやダグラスのご家族が嫌がらせを受けたかもしれない。可能性を拭いきれないなら、引くべきだと思いました。」

「集まった連中の話、聞いてなかったのか?アリスに謝ってただろ?嫌がらせなんてしねえよ。」

それを言われると、アリスは言葉が出なかった。確かに、謝罪の言葉はあったし、感謝もされた。アリスにとって、市民の考え方の変化は大きな一歩だ。活動しやすくなるし、心のモヤモヤも晴れて気持ち的にも楽になる。市民の考え方の変化を、アリスは確かに受け取った。

「皆さんは悪くないんです。悪いのは私。私が変われてないんですよ。助けられてからもずっと、フューダに縛られたままです。」

夕焼け空と夜空が混ざり始めていた。ずっと立ったままだったせいか、アリスは少しふらついた。すぐに体勢を立て直し、窓の外を見たままポプに尋ねた。

「ポプ。私はまだ、素直に人を信じることが出来ません。だから、フューダの仲間と思われても、仕方ないですよね…。」

アリスの目から、一筋の涙が溢れた。ポプは少し驚いた。

「誰のことも信じてないのか?」

「そんな事はありません。実動部隊の皆さんのことは信用してますし、他にも何人かいます。」

実動部隊、ブラス、ボンゴレ、スコット、セイン、ジェイ…。アリスが信用している人はいる。それ以外にも良い人はたくさんいるし、アリスの事を疑いはしてもそれなりの対応をしてくれる人もいる。アリスは感謝しているし、申し訳ないとも思っている。しかし、助け出されるまでの17年間の長い間に経験したことと、助け出された後に経験したことは、アリスの気持ちを固く拘束するには十分過ぎた。

「生きる、ってだけでも難しいですが、普通に生きる、って本当に難しいですね。」

悲しく笑いながら言うアリスを見て、ポプも悲しくなった。まだ、アリスは見てない物事が多すぎる。なのに、辛い経験ばかりが積み重なっていく。それだけじゃない、固くなるな、とポプは無言で首を横に振った。

「普通って何だ?」

「え?」

ポプの問いに、アリスは答えられなかった。キョトンとしているアリスの肩から頭の上に場所を移したポプは続けた。

「普通ってのは、人によって違う。光の力を使えたり、オイラと話せたり、アリスにとって普通のことが他人にとって普通じゃない。両親と仲良く暮らすのが普通の人もいれば、家族の仲が悪くて口を利かないのが普通の人もいる。」

アリスはポプの言葉を真剣に聞いていた。窓の外は完全に夜の闇に飲み込まれていた。

「簡単に生きてる人間なんて、どこにもいないんだ。だったら、アリスは自分の普通を貫けばいい。心から笑って過ごせれば、それで十分だろ?その中で、誰を信じるかもアリスが自分で決めればいい。アリスの自由なんだから。」

ポプに言われて、アリスは全身に何かが駆け巡ったような気がした。胸が締め付けられるというような悪いものではなく、指先の細かなところまでがスッキリするような、そんな感覚だ。窓の外の夜空には雲がかかっているが、月がぼんやりと透けて見えている。

「私も…、私も笑っていいんですか?」

「当たり前だろ。堂々としてればいいんだ。」

「このまま過ごしていれば、少しずつでも人を信じられるようになれますか?」

「さあな。アリス次第だ。無理に信じる必要なんてないぞ。」

「…ふふ。ありがとうございます。ポプのお陰で、少し気が楽になりました。」

電気も付けず、僅かな月明かりで談笑するアリスとポプは、相棒としての第一歩を踏み出した。明らかにポプと会話しているアリスの様子を、ドアの隙間から、スコットは驚きながらも優しい眼差しで見守っていた。

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