第16話 一緒に遊ぼう。

 アリスは目をつけたモミの木を根元から引っこ抜き、両手と肩で大きなモミの木を支えて走って街に向かった。道草をしていて遅れては、また何か言われかねない。自分だけならまだしも、今は実動部隊の任務としてここに来ている。実動部隊が悪く言われては困る。10メートルはあろうかという木を担いで、焦りと不安に駆られていた。

 街が見えて来た。どうにか遅れを巻き返せたらしいが、街の入り口でジルバが祭りの実行委員と揉めていた。

「お前らバカか?!あんな大きな木を1人で取りに行かせて、何考えてるんだよ?!」

「うちらも大変なんだ!世間体ってやつだよ!君ももう子どもじゃないんだから分かってくれ!」

その様子を坂の上から見ていたアリスに気付いたジルバは驚いた。体の小さなアリスが、自分よりもはるかに大きい木を肩の上に縦に乗せて両手で支えている。

「あ、…アリス?どうしたんだ、それ…。」

「…取ってきてほしいと頼まれたので、取ってきました。あっ、実行委員の方ですよね?遅れてすみません。これで良かったですか?」

アリスは明るい口調で言っているが、無理をしてそうしているのは見るに明らかだ。ジルバにはそれが余計に痛々しく思えた。

「あ、ああ。十分だよ。ありがとう。」

「いえ。これくらいどうってことありません。本来、木を持ってくるはずだった方の腰の具合はどうですか?」

「ま、まだ完全じゃないけど、快方には向かってるらしいよ?」

「そうですか。なら良かったです。私にできる事なら何でもしますので、いつでも仰ってくださいね。」

「あ、ああ。はは…。」

アリスが持ってきた木はトラックの荷台に積まれ、街の中心に運ばれた。ジルバと言い争っていた実行委員は皆トラックに乗り込んだので、ジルバとアリスの2人だけになった。

「…おい。いいのか?あいつら、アリスを意図的に祭りに近付けないようにしたんだぞ?」

怒るジルバとは対照的に、アリスは表面上は笑顔を作ってみせた。

「それでも、私に祭りのシンボルでもあるツリーの木を取ってくるという仕事をくださいました。それだけでもありがたいことです。まあ、あの方々の言い分も分かりますよ。」

どういう心境の変化なのか、ジルバには分からなかった。今までなら、迷惑が掛からないようにと言ってすぐにどこかへ行ってしまっていたアリスが、少し積極的に人と関わろうとしている。無理して笑顔を作ったり、相手の気持ちを探ったり、相変わらず気遣いが過ぎるが、それでも成長している。

「なあ、気になってたんだけど、アリス、お前、ジョージから何を言われたんだ?あいつに聞いても、自分の昔話しかしてないって言うし。」

「え?ああ、あの時の話ですね。はい。ジョージの生い立ちを聞きました。それだけです。」

アリスが変わる直前の出来事といえば、ジョージと話してたくらいだ。それまではずっと自室で意識不明だったのだから、そうかんがえるのが自然だ。しかし、ジョージの昔話を聞いたところで心境の変化が生まれるのか、という疑問があった。これはジョージを含めた実動部隊の隊員全員の意見だ。

「いや、お前、なんか変わったなって思ってさ。ジョージにそんないい話を聞いたのかってみんな疑問だったし、ジョージもそんないい話はしてないって言うし、気になってたんだ。」

ジルバは少し気まずそうに言った。正直、踏み込んでいい話かどうかも自分の中で判断しきれていなかった。聞くことでアリスを傷付けてしまうのが怖かった。

「いい話ではありませんでした。ジョージのお父さんがいたときも、フューダの仲間になってしまった時も、すごく辛い思いをした話ですからね。いいはずがないです。」

真面目な顔をして言ったアリスは、少し間を置いて笑顔を見せた。その笑顔が、ジルバには辛そうに見えてしまった。

「フューダの関係のないところでなされる差別は、私にはどうすることもできません。ですが、フューダが関与したところで悲しい、辛い思いをした人がいるなら、私が落ち込むのは違う気がして…。辛い経験をしても、その人はその後、ものすごく頑張ってます。ジョージの話でやっとそのことに気付けたんです。だから、私も頑張ります。」

ジョージの過去を話すということは、フューダに関与したことを隠していたことを話すことだ。アリスはフューダに育てられ、不思議な力もあって、人々から恐れられ、批判されている。そんな批判をアリス1人に背負わせていたことが知れたら、アリスが実動部隊さえも信用出来なくなると考えていた。

「強くならなきゃいけないんです。身体も、心も。私はまだまだ弱いから、攻撃の対象になるんです。」

アリスはトホホと笑顔でそんなことを言う。ジルバは言葉が出なかった。そんなことはない。アリスは十分強い。たったそれだけの言葉でも、無理をしているであろうアリスの心を壊してしまう気がした。

「さあ、私達も行きましょう。ジルバは皆さんから必要とされてますし、私も何か雑用があるかもしれません。」

アリスはジルバの腕を掴んで街の中心に向かって歩き始めた。何も言わずに引っ張られて歩くジルバを見て、しばらくしてからアリスは聞いた。

「あの、私もジルバにずっと聞きたかったことがあるんですが、いいですか?」

「お、おう。何だよ?」

心の準備ができていなかったジルバは、その場の流れだけで返事をした。アリスは掴んでいたジルバの腕を離し、立ち止まって振り返った。

「私をフューダの下から助けたこと、後悔してませんか?」

建物の影になっているところに立つアリスは、真顔だった。喜びも悲しみも、そんな感情を一切感じることのできない、そんな顔だ。

「国際防衛機構に来てから、何度か見たんです。ジルバが職員の方に責められているのを。なので、後悔してるんじゃないか、と思ったんです。」

いつか見られてしまうんじゃないかと、ハラハラしていた。アリスの言う通り、ジルバはアリスを助けてから、職員にチクチク言われることが増えた。どうしてあんな子を助けたんだ。どうして組織全体が批判されるようなことをしたんだ。どうして始末しなかったんだ。思ったことをそのまま答えたら、そんなのはエゴだ、と責められる。どこで見られていたかは分からないが、とっくにアリスに知られていた。ジルバは頭を抱えた。

「だっせえ。」

「え?」

「自分がダサくて嫌になる。気分の悪い場面を見せちまって、悪かったな。」

雲が流れて、隠れていた夕陽がジルバを照らした。いつか見られてしまう、という自分の不安はなくなった。

「もし、あの時、俺がアリスを助けなかったら、俺は絶対に後悔してた。目の前の手の届くところに明らかに助けなきゃいけない人がいるんだぞ?」

「明らかって…。あの時は本当に、何もかも諦めて、何も食べずに自然と世の中から離れようとしてたんです。身なりの汚い小娘が、汚い生き方をしていただけですよ。」

「そんな風に言うなよ!」

思わず声が大きくなった。日陰にいるアリスは驚いて肩を少しビクつかせ、周りにいた数人の市民も声の方向に目をやった。市民の視線が確実に自分達に向いていると気付いたアリスは日陰にいながらジルバの腕を掴んだ。人のいないところに場所を移そうとしたのだ。このままでは、一緒にいるだけでジルバが批判されかねない、と思った。しかし、ジルバはその場から動かない。アリスの手を振りほどき、逆にアリスの腕を掴み、陽当たりにアリスを引きずり出した。

「自分の気持ちに蓋をして、批判を受け止めて、自分で自分を貶して…、辛すぎる!どう考えたって、助けなきゃいけないだろ?もっと甘えろよ!せっかくフューダから逃れたんだから!」

市民の視線が痛かった。しかし、ここで逃げたらジルバのこの行動が全て無駄になる。かといって、頼りすぎてもジルバを困らせる。アリスはしばらく下を向いて目を瞑っていた。自分の取るべき行動が分からなくなっていたのだ。そんなアリスの顔をジルバは両手で頬を挟んで自分のほうに向けた。思いがけないことで、アリスは目を開けた。

「いいか?一度しか言わないからよく聞け。俺はアリスを助けたことを後悔なんてしてない。誰が何と言おうと、あの時アリスを助けたことは正解だ。俺は正しいことをしたんだ。だから、お前ももっと胸を張って1日を過ごせ。それだけだ。行くぞ。」

アリスが何かを言う間もなく、ジルバはアリスの右手をしっかりと握って街の中心部に向かって歩いた。アリスは早歩きで進むジルバに戸惑いながらもついて行った。そんな2人を、居合わせた市民は複雑な思いで見ていた。

 街の中心部に設置されたメインステージは完成間近となっていた。アリスが取ってきたモミの木も、根元の部分が加工され、安全に立てられていた。

「あっ!やっと戻ってきた!2人とも、遅いよ!何してたの?」

ニコラがジルバとアリスに声を掛けた。ビルとダグラス、ジョージも手を振っている。

「悪い。色々あってな。どこまで進んだ?」

「ステージはもう少し。あとはツリーの飾り付け。やれるところまでやったら、明日は最後までやりきるよ!」

ニコラは楽しそうだ。年に1度、楽しく仕事ができて祭りにも参加できるとあって、ワクワクしているのだ。美人で笑顔が素敵、さらに明るい性格とあって、街の人達もニコラのことを気に入っている。ニコラと関わる人達も皆楽しそうだ。そんなニコラはふとアリスを見た。

「あら?アリス、そのイヤーカフどうしたの?」

「い、イヤーカフ?」

「イヤーカフ?何だよ、それ?」

「ジルバ、一緒に来といて気付かなかったの…?ほら、アリスの右耳。」

「ああ、言われてみたら、青いのが付いてるな。お前、そんなの持ってたっけ?」

興味津々の若い2人を見て、ビルとダグラス、ジョージも寄ってきた。

「綺麗な宝石だな…。サファイアか?」

「何か違いません?色の深みが格別ですよ?」

「何かは分からないけど、アリスに似合ってるよ。」

「で、ニコラも言ってたが、どうしたんだ?これ?」

若干詰め寄り気味で来られて、アリスは少し引いてしまった。耳に付けたこれがイヤーカフというものだと今知った。小さくて不思議な小さい動物に貰った、とはさすがに言えない。実動部隊とはいえ、信用してもらえなさそうだ。短時間で頭を働かせ、絞り出した。

「えっと…、モミの木を引っこ抜いたときに土の中から出てきまして…。出来心で付けて見たら取れなくなっちゃいました。ははは…。」

「へえ…、そんなこともあるんだな。」

どうにか飲み込んでもらえたようだ。無理のある説明だったが、隊員は皆、嘘だと分かったが、言いづらいアリスのことを気遣ったようだ。

「さあ、みんな、今日はまだ仕事が終わってないぞ!やれる事をやろう!」

ビルは隊員に呼びかけた。隊員は皆笑顔で作業に戻った。アリスはどうにかゴミをゴミ捨て場まで持っていく雑用を得た。


 変化が起これば波が起こる。感覚は間違ってはいなかった。ドアをノックされ、入るように言った。

「失礼いたします。フューダ様、ご報告がございます。」

「そうか。俺も確認したいことがあったんだ。来てくれて丁度良かったよ。先に、君の報告を聞こうか。」

側近は深々と一礼し、フューダが座っている椅子に近付いた。窓の外を向くフューダの背中に向かって報告をした。

「アリスが例の石を手に入れたようです。シャイーリャが上手く隠していたようで…。ですが、アリス自身、それが何なのかはまだ分かっていません。」

それを聞いたフューダは笑いながら側近のほうに向き直った。側近もそんなフューダに全く怯むことはなく、良い姿勢で立っている。

「俺も見えた。確証を得たくて、君を呼ぼうとしてたんだ。…そうか。シャイーリャもやってくれる。」

言葉では悔しがるフューダだが、表情も声色も楽しそうだ。しばらく立って窓の外を見て、何かを思い付いた。

「石を得たアリスを試したい。やってくれるか?」

そう言ってフューダは側近に向かって指を差した。テレパシーのようなものなのか、それで側近に伝わったようだ。

「ダルクヮイの力なら、何の問題もございません。早急に事を進めます。」

側近は一礼して部屋を出た。フューダはこれから起こることを考えると楽しくて仕方なかった。

「さあ…、アリス。少しは成長しててくれよ。一緒に遊ぼう。」

フューダは部屋で1人、笑いが止まらず頭を抱えながら天を仰いだ。


 1日の作業が終わり、実動部隊はメインステージの前で1日の振り返りを行った。この日はダイアモに泊まるのだ。

「それじゃあ、明日もここに8時に集合だ。みんな、お疲れ様。」

「お疲れ様でした!」

一斉に挨拶をしたところで、ダグラスとジョージはそれぞれの方向に向かっていった。

「毎年すみません。」

「いいじゃないか。仕事の関係でなかなか会えないんだ。こういう時に家族と過ごすのは良いことだ。」

「ありがとうございます。それじゃあ、また明日。」

2人の家族はダイアモに住んでいる。ダグラスは妻と娘、ジョージは祖母と母、それに妹だ。それぞれ見た目の違いから最初は苦労したが、実動部隊に入隊してからは周りに認められ、今は家族も不自由なく暮らせている。普段は国際防衛機構内の寮で寝泊まりをしているため、たまの休みと祭りの準備で街に来る日は家族との時間を大切にしている。ビルもそれを当たり前のこととして推奨している。

「さあ、私達はホテルに行こうか。」

ビルとジルバ、ニコラ、アリスはホテルに向かって歩き出した。アリスは3人を不思議そうに見ていた。

「どうしたの?アリス。」

ニコラがそんなアリスに気付いた。アリスは聞きづらいとは思いながらも、聞いてみた。

「あ、あの、皆さんは、ご家族は…。」

こうであってほしくない、という考えはあった。しかし、アリスに少しでも過ったその考えは当たっていた。

「アタシは妹が1人。フューダが起こした事件で父と母は死んで、妹は後遺症が残って車椅子生活よ。今はエメラードの施設にいるわ。」

「俺もフューダが起こした事件で親父と母さんが死んだ。けど、普段から虐待が酷くてな。死んでくれて安心した、っていうのも事実だ。」

「私はフューダが起こした事件で妻と娘を亡くしたよ。物心付いた頃から施設にいたから、両親は知らないんだ。」

アリスは言葉が出なかった。自分の立場で、土足で他人の領域に踏み込んだことをひどく後悔した。

「す、…すみません。嫌なことを話させてしまいました。」

「構わないよ。いずれは話すことになってただろうし、ジョージと違ってこちらから唐突に話すことではないしな。」

「それに、アリスは何も悪くない。てか、聞いてくれて助かったよ。」

「ほら!祭りは皆が楽しむものよ!暗い気持ちは一旦忘れて。はい、笑顔!」

3人にそう言われたアリスは、何も言えないまま笑顔だけを見せた。

 ホテルに着き、ビルが4人分のチェックインを済ませるために受け付けに行った。ジルバ、ニコラ、アリスが少し離れたロビーで待っていると、少し経ってからビルの苛立つ声が聞こえてきた。

「どういうことだ?」

「いや、ですから…、こちらにも色々ありまして…。」

「色々って何だ?言ってみてくれないか?」

「いや…、それは…。」

ビルの苛立ちに気付いた3人は、ロビーにいるビルに声をかけた。

「隊長、どうしたんですか?」

ビルは指をロビーのカウンターにトントンと打ち付けて、苛立ちを少しずつ外に出していた。

「ああ、4人で予約を取ったのに、1人は泊まれないって言うんだ。」

「え?予約、間違ってないですよね?」

「それはない。隊長の横で俺も見てた。確かに4人で予約してくれてた。」

受け付けの報告を受けたと思われる役職者が遅れてやって来た。ビルに一言声をかけて事情を説明した。

「申し訳ないのですが、我々も商売ですので、他のお客様に不安を与えたり、ホテルの評判を落とされるような方を泊めることはできません。ご理解ください。」

誰もがアリスのことを言っていると分かった。ビル、ジルバ、ニコラが抗議するよりも先に、アリスが前に出て口を開いた。

「お騒がせしました。この3人はとても素晴らしい方たちなので、良くしてください。私は、世の中の考え方が変わった際は、よろしくお願いします。」

「ちょ、ちょっと!アリス!」

言うだけ言ってホテルを出ようとするアリスの背中にニコラが声をかけた。少し間を置いて振り返ったアリスが笑顔であることに3人は驚いた。

「明日、広場に8時でしたよね?遅れないように行きます。では、また明日。」

何も言えない3人に対してそれだけ言うと、アリスは駆け足でホテルを出た。何もできず、言葉すらかけることができなかったかことに、3人はひどく悔しがった。

 決して気持ち良くなかったが、チェックインを済ませ、それぞれの部屋に行ったのだが、20分もすると自然とビルの部屋に集まっていた。さっきのアリスの笑顔が頭にこびりついて離れない。

「アリスって、どうしてあんなに無理するのかしら?」

「さあな。けど、遠慮しまくってる感はあるよな。」

「笑顔を見て悲しい気持ちになったのはフューダ以来だ。もちろん、種類は全くの別物だけど。」

ビルの言う、悲しい笑顔とは、他人を苦しめることを心の底から楽しむフューダと、本音を隠すための蓋にしているアリスだ。真逆のはずの笑顔の2人は、どういうわけか人を悲しませるという点で一致している。

「アタシ、アリスとは本音で喋りたい。」

「それは俺だって一緒だ。」

「たぶん、アリスはまだ、私達に心を完全には開いてくれてないんだろうな。」

ビルと言う通りだと、2人は思った。しかし、そんなことは認めたくなかった。助け出して、実動部隊で一緒になって7カ月。出会ってから期間は短いし、重すぎる怪我で意識がない期間も長い。それでも、アリスが心優しい子であることは分かっているし、誰よりも一生懸命な子であることも知れた。そんな子が差別的な扱いを受けるのが理解できなかった。

「アリスにも祭りの雰囲気を知ってもらいたいし、笑顔になって欲しい。」

「心の底から楽しんでる笑顔にさせたいな。」

「明日も準備だ。2人とも、アリスも馴染めるように、私達も積極的に動こう。」

3人は決意を胸に互いの顔を見て笑顔になった。

 一方、アリスは夜のダイアモの街を行く当てもなくただ歩いていた。特徴的な制服を着たままなので、かなり小柄とはいえ目立ってしまう。アリスに気付いた人は皆、冷たい視線と無意識の圧力をアリスに送ってしまう。それでも、アリスは表面上は前を向いて歩き続けた。挫けない。逃げない。泣きたい人は別にいる、自分じゃない。小さな身体に収まりきらない感情を、大きく背伸びをした精神力で抑え込む。フューダのところにいて身に付いた、アリスの得意技だ。しかし、そんな自覚はアリスにはない。

 しばらく歩くと、ニコラに連れられて初めて行ったクレープ屋の前に来た。店はとっくに閉店時間を過ぎていて、シャッターが閉まっていた。あの日、初めてダイアモの街に来たとき、アリスの生い立ちを知る者はおらず、みんな笑顔で迎えてくれた。フューダの下で育ったことが知れると、手のひらを返したかのようにみんなの態度が変わった。仕方のないこと、として受け入れたアリスだが、受け入れた途端に街の様子が変わって見えるようになった。笑顔溢れる活気に満ちた街が、アリスには色々な思いが交錯する淋しい街に見えていた。そんな街のどこにいても、アリスのことを陰でコソコソと言う人がいる。アリスは人のいないところを探した。

 結局、アリスはダイアモの街を見下ろせる山の中腹にある展望台までやって来た。普通の人なら歩いては来ないような距離だが、アリスはそんなことすら考えることもなく難なくやって来た。暗くても、ほとんど人が来ない場所であることは荒れ具合から分かる。アリスはやっと落ち着いてダイアモの街を眺めた。エメラード程ではないが、ベルラッテ第2の都市とだけあって発展している。今、アリスがいる場所の向かい側の山の裏側に国際防衛機構はある。祭りのメインステージがある広場はビルに隠れていて見えない。位置関係を頭の中で整理しながら、ダイアモの夜景を眺めていた。気温は0度近くまで下がっていたが、過酷な環境で育ったアリスにとってはどうでもいいことだ。国際防衛機構の寮に住むようになってからは衣食住が保障されたが、正直今に至るまでぐっすりと寝られたことがない。フューダの下において、寝るということは命を危険に晒すということだった。そんな中で17年間も過ごしてきたのだ。簡単には身体から習慣は抜けない。寝たとしても、昔は1時間、今は2時間程度だ。慣れているため、寝なくてもどうってことない。展望台の手すりを両手で持って、何をするということもなく、ただ何となくダイアモの街を眺め続けて、時間が過ぎていった。しばらくして、そんなアリスの正面から、冷たい風が駆け抜けていった。すぐにただならぬ雰囲気を背後に感じた。ゆっくりと振り返ると、アリスを見ながら笑顔を見せるフューダが立っていた。

「よう。あれから強くなったか?」

笑顔のままで聞くフューダに、アリスは不気味さしか感じなかった。

「何をしに来たんですか?」

フューダの質問を無視して、アリスは聞いた。フューダはさらに笑い、2歩ほどアリスに近付いた。

「ふっ。気の強さが母親に似てきたな。腹立たしいが、不思議と愛おしさを感じる。」

笑顔のフューダとは逆に、アリスは不愉快な気持ちを顔に出していた。隠す気もなかったし、フューダに失礼とも思わなかった。

「そういえば、何で母の事を教えてくれないんですか?何度聞いても殴ったり蹴ったりでしたよね?」

「愚か者の事なんか知ったところで何の得にもならないだろ。今はそんなことを話しに来たんじゃないんだ。いい加減、話を進めよう。」

アリスが母親のことを聞いて、一度顔を曇らせたフューダは再び笑顔になった。アリスが避けきれない速さで距離を詰めた。鼻先がつきそうなくらいに顔を近づけられたアリスは、蛇に睨まれたように動くことができなかった。

「思えば、お前が子どもの頃から稽古ばかりで、遊んでやったことがないと思ってなぁ。だから、今から遊ぼう。」

「…ふざけてるんですか?」

「ふざけてないさ。舞台はダイアモ全域だ。おもちゃは俺が用意した。もうすぐ、遊びが始まるから、楽しみにしてろ。あっ、このこの、他の人に言うと楽しくないから、言うなよ。言ったらどうなるかは、よく分かってるよな?」

満面の笑みでそう言うと、フューダは霧のように消えていった。言うな、ということは、言うと何かしらの報復をする、ということ。フューダの命令は絶対だ。守らなければフューダは何かしらの罰を与える。それがアリスに向けられるのか、街の人に向けられるのかは分からない。前にビルから、フューダと遭遇したらすぐに連絡しろ、と言われたことがある。言わなければ命令違反だが、言うとフューダが何かをする。街の人に危害が及ぶ可能性を捨てきれないアリスは、報告を躊躇った。

 アリスは何となく、左腕に付けた腕時計を見た。謹慎中にセインからプレゼントされた、水色のソーラー電池式のデジタル時計なのだが、アリスは驚いた。この展望台に来たのが22時頃。それはここに着いたときに確認した。それから体感で3時間くらいは経っていると思っていたが、実際は1時間も経っていなかった。祭りの準備中、実動部隊の隊員も街の人も言っていた。退屈な時間は長く感じるけど、楽しい時間はあっという間にすぎる、と。

「どうしたもんかな…。」

アリスは苦笑いだ。自分でも気付かないほどの涙を目に浮かべてもいる。自分はまだまだ未熟だ、普通になりきれていない、と両手で両頬を挟むようにして何度も叩いた。そんなことをしていたら、イヤホンマイクに着信が入った。スコットからで、実動部隊の隊員全員に繋がれているようだった。

「お楽しみのところ、申し訳ない。しかし、緊急事態だ。」

スコットはいつもより早口だった。余程の緊急事態であることは隊員全員が察した。

「何かありましたか?」

「とんでもないことが起こっている。結論から言うと、ダイアモに向かって人工衛星が落ちてくる。」

「は?」

現在も稼働中の人工衛星がハッキングされた。軌道を逸れ、ゆっくりと地球に向かっており、予測される落下点はダイアモの中心部である、と国際宇宙開発局から連絡を受けた、ということだ。

「人工衛星の大きさは、一般的な一軒家くらいだそうだ。それだけならまだ良かったがな。」

「え?まだ何かあるんですか?」

ビルの問いに、どう言えばいいか悩みながらもスコットは口を開いた。

「ああ…。どうも、何かが人工衛星に仕掛けられてる、っぽいという話だ。無人の人工衛星に宇宙空間で何かを仕掛けるなんて、あり得ないんだがな。しかし、衛星に付けられたカメラをどうにか確認したら、誰も覚えのない部品が取り付けられているとのことだ。」

「…なるほど。その何かが、有害な物だったり、爆発物だったりしたら、とんでもない被害が出る、ということですね。」

隊員達は、想像以上に大きな話で驚いた。スコットもビルも淡々と冷静に話してはいるが、内心は焦っていた。国際防衛機構のどんな装備を使用しても、完全に被害を防ぐのは明らかだからだ。

「ダイアモ中心部の人口は約35万人。全員を安全に避難させるだけでも難しい。しかし、やらねばならん。実動部隊のみんな、やれるだけやってほしい。」

「もちろんです。そのための実動部隊ですから。やれるだけ全力でやりますよ。」

「機構全体でも全力を尽くす。じゃあ、互いに頑張ろう。」

スコットとの通信は終わった。ジルバとニコラがビルの部屋に再び入ると、ビルは考え込んでいた。ダグラスとジョージは、自宅で一緒にいて話を聞いていた家族の不安を和らげるために声を掛けたり抱きしめたりした。アリスはすぐにフューダが言っていた遊びだと思ったが、異物が付いているという話もあり、報復を恐れて言い出せなかった。しばらくして、ビルは隊員と通信を繋いだ。

「ダグラス。ジョージ。今、自宅だよな?お前達がいなくても、ご家族は避難できそうか?」

それを聞いた2人は、隣にいて話を聞いていた家族を見た。ダグラスの妻も、ジョージの母と妹、それに祖母も、黙ったまま力強い目をして頷いた。

「俺の妻は強い人です。娘のことも任せられます。」

「僕の母さんと妹も頼れますよ。おばあちゃんも元気です。」

「よし。それなら、今すぐ、メインステージのある広場に来てくれ。それまでには本部が何かしらの行動を起こしてるはずだ。」

ダグラスとジョージは、それぞれ家族と抱き合い、準備をして玄関を飛び出した。ジルバとニコラも自分の部屋に戻って出動の準備を整えた。

「アリス。今、どこにいる?」

「え?えっと…、はっきりとは分からないのですが、ダイアモの街が見渡せる山の中腹にある展望台にいます。」

それを聞いた隊員達は驚いた。普通の人なら、ダイアモの中心部から山の麓に行くまでに歩いて行くなんてことはしない。時間がかかりすぎるからだ。それを、短時間で、しかも中腹に辿り着くというのは無理だ。光の力が影響してのことなのか、隊員達には分からなかった。

「そ、そうか。それなら、そのままそこで待機しててくれないか?その…、察してるよな?」

「もちろんです。私がいると余計に市民が混乱するから、ですよね?」

「…ごめんな。」

「ビルさんは悪くないですよ。謝らないでください。」

通信が終わった。結局、アリスはフューダのことを言わなかった。それでも、今、自分ができる事をしようと、アリスは山の頂上付近を目指して走り出した。

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