第15話 気持ちの成長、新たな出会い

 アリスの意識が戻ってから謹慎が明けるまでの1週間、セインはスコットに許可を取って自宅にアリスを招いた。そこでアリスに語学を教え、体力面はジェイが指導した。誰かに何かを言われる環境ではなかったことが良かったのか、アリスは今までとは比べ物にならないくらい語学を吸収していき、最低限の読み書きができるようになった。体力面も、感覚や能力が失われたわけではなく、機敏さは健在だった。

「光の力の練習はよろしいのですか?」

ジェイはアリスの体力面のサポートの中で尋ねた。アリスは両手を眺めた後、苦笑いしながら答えた。

「…やめときます。ニコラに聞きましたが、俳優さんって、何かあったらすぐに人からしつこく付きまとわれるらしいですね。ここで力なんか使ってそういう人に見られたら、セインが俳優に戻れなくなるかもしれません。」

「セインは気にしないと思いますよ?」

「いえ、そういうわけには。あの時、もう何分か早くセインを見つけていれば、休業しなくても良かったかもしれないですし、これ以上、セインの進む道を荒らすのはいけません。」

アリスがセインの休業を知ったのは、ジョージと話した後、部屋に戻ってテレビを付けたときだった。何かのトーク番組で、映画の監督や俳優があれこれ話す中で、セインの話が出た。皆が揃ってセインの休業を芝居の氷河期になるのでは、と危惧するほどに残念に思われていて、早期の復帰を望まれていた。アリスはすぐにセインとジェイが寝泊まりしている部屋に行き、すぐに助けられなかったことを謝罪した。そんなこともあり、アリスはこの1週間をいつも以上に本気で過ごしてきた。字の読み書きができれば実動部隊の事務仕事ができるようになる。体をもっと鍛えれば他の隊員の体力を残すことができる。アリスは役に立てる人になろうと必死だった。そんなアリスの頑張りは、セインとジェイの心にも響いていて、自分たちからアリスを1週間引き受けることを提案したが、アリスの頑張りに応えてあげないといけないと、身が引き締まる思いだった。アリスとジェイのその会話を陰で聞いていたセインは、嬉しさもあったが、申し訳なさのほうが大きかった。

 勉強や訓練だけでなく、遠慮するアリスを無理矢理連れて行ってショッピングもした。秋冬の服を持っておらず、本人は大丈夫と言うが、見ているほうが寒く感じたのだ。

「あ、あの、私、本当に大丈夫ですから。それに、私が行くと周りの方が嫌がります。」

「それなら、これでどうだ?」

セインはアリスを鏡の前の椅子に座らせ、髪をまとめているゴムをほどき、アリスの髪をクシで整え、髪を下ろしたままの頭に古いキャップを被せた。鏡に写った自分の姿に、アリスは少しワクワクした。いつもと違う自分になったように感じたのだ。

「少し変えただけで、こんなに変われるんですね。…って、セイン?ジェイ?どうかしましたか?」

セインとジェイは、驚いて言葉が出なかった。セインが自ら手を加えたのだが、それでも予想以上の何かがあった。

「シャ、シャーロット…。」

「ああ、瓜二つだ…。」

「え、えっと…。私、2人のお知り合いに似てるんですか?」

「え?あ、ああ。少し似ていて驚いただけだ。さあ、行こう。」

不思議がるアリスの背中を押して車に乗せ、ダイアモ郊外のブティックに来た。一応サングラスとマスクで変装しているセインだが、ブティックの店長とは顔見知りのため、誰かが分かった上で普通に接している。

「この子に合う服を選んでくれないか?秋冬の服を持ってないんだよ。」

「おっ。やっと見つけた恋人は随分歳下だな。」

「そんなんじゃない。」

「冗談だよ。奥で座って待っててくれ。この子は借りるよ。」

セインとジェイは個室に入り、店舗スペースはアリスと店長だけになった。いつもと違う容姿とはいえ、自分の素性がバレたらどうなってしまうのかとハラハラしていた。自分だけ悪く言われたり何かされるならいいが、セインとジェイに危害が及ぶようなら耐えられない。アリスは自然と両手を固く握り締めていた。

「君がどういう人かは、セインから聞いてるよ。だから、怖がらないで。」

そう言われて、アリスは正面の店長を見た。穏やかな表情でアリスを見て、服を選んでいく。

「あ、あの…。聞いてるって、何を…」

「エメラードで酷い目に遭ったんだろう?物語みたいな不思議な力があるってだけなのに、辛かったね。」

知り合いのセインが頼み込んだから無理して優しくされているのか、とアリスは思った。それならとても申し訳ない。なんとか、攻撃の矛先を自分だけに向けねば、と考えを巡らせていた。気付かぬうちに顔が強張り、汗も流れていた。店長はそんなアリスに最初から気付いていた。

「はは。まあ、警戒するよね。酷いことをする人をたくさん見たら、信じられなくなる。」

服を選ぶ手を休め、アリスに近付いた。アリスは思わず片脚を後ろに引いた。

「けど、これは信じてほしい。君を忌み嫌う人はほんの一握りだ。集団で迫ってくるから、全員から批判されるように感じるだろう。大半の人は、君を受け入れてる。批判したほうが盛り上がるから、報道もそんな感じになってて、言い出しにくいんだよ。」

それだけ言って、店長は再び服を選び始めた。アリスはそんな店長を見ることしかできなかった。アリスを見ながら10分ほど吟味して、アリスを連れてセインとジェイが待つ個室に入った。

「どうだ?さすが俺って感じのセンスだろう?」

店長は胸を張ってセインに言った。セインは軽く受け流し、店長が選んだ服を見た。トップスとボトムスのセットが3つ、アウターが2つ、靴が2足並べられていた。

「あの、セイン?なんか、とても高価なものに見えるのですが…。」

アリスはセインの服を軽く引っ張りながら小声で言った。セインは、それがどうした、というような顔をして不思議がった。

「私には合いませんよ…。」

「それは着てみれば分かる。試着、いいよな?」

「もちろん。そこに試着室があるから、自由に使っていいぞ。」

「じゃあ…、これ、着てみようか。」

セインは良さそうな服に萎縮するアリスを無視して、用意されたうちの1つのセットをアリスの手に乗せた。戸惑うアリスの背中を押し、試着室に入れてドアを閉めた。アリスは申し訳なさを感じながら、言われるがままに着替えた。着替えを終えて待っている男3人の前に出た。

「ど、どうでしょうか…?やっぱり、私じゃ合わないですよね…。」

かなり小柄なアリスでも着られる服も扱うブティックの中から厳選された服を着たアリスは、恥ずかしい気持ちと自分みたいな人間が立派な服を着てしまったという罪悪感のようなもので複雑な気持ちだった。恐る恐る顔を上げると、3人はかなり驚いた顔で言葉が出ない様子だった。

「え?…えっと、ごめんなさい!すぐに脱いできます!」

ただならぬ雰囲気を感じたアリスは焦ってそう言った。振り返って試着室に戻ろうとするアリスをジェイが引き留めた。

「アリス様。そうではありません。その…、亡くなった我々の知り合いにそっくりで、驚いただけです。」

そう言われたアリスは、セインと店長を見た。店長は驚きだけだったが、セインは加えて静かに涙を流していた。

「そんなに似てるんですか?」

アリスはジェイに聞くと、ジェイは無言のまま頷いた。こんなとき、どう言うのが正しいのか、アリスには分からず、それ以上は何も言えなかった。

 結局、アリスは高価そうで断ろうと思っていたが、場の雰囲気に負けて、店長が用意した服を全てセインに買ってもらった。着てきた春物の長袖とズボンは袋に入れ、試着で着た服をそのまま着て返った。

「すみません。こんなに買っていただいて…。」

「謝ることはないさ。僕が買ってあげたいと思ったんだから、良いだろう?」

「…はい。ありがとうございます。」

アリスはセインの気持ちを受け入れた。少し間を置いて、アリスはずっと気になっていたことを聞いた。

「あの、その…、私に似ているというお方は、どんな方なんですか?」

セインもジェイも、表情が固まってしまった。アリスは焦った。

「あっ、いやっ、すみません。話したくないことならいいんです。大切な思い出を土足で踏み荒らそうとしてごめんなさい。」

「…そうじゃないんだ。」

謝るアリスにセインはボソッと言った。アリスは不思議そうにセインを見たが、それ以上、セインがそのことについて語ることはなかった。見かねたジェイが代わりに弁明した。

「アリス様、悪く思わないでください。今はお話しできませんが、いずれは話す時が来ます。それまで待っていてはもらえませんか?」

「は、はい。もちろんです。お2人のタイミングで構いません。」

「ありがとうございます。」

車の中の会話はそれで終わった。3人はそれぞれ無言のまま、色んなことを考えた。

 アリスが国際防衛機構に戻る日の朝、アリスはビルに言われた通り制服を着た。ジェイはいつもより早めにセインとアリスを先にウッドデッキに行かせた。寒さはあるが、足元に暖房器具があるため、不思議と気持ちが良い。セインはアリスとこれまでに話したことも含めて色んな話をした。アリスもセインと会話する時間が好きで、たくさんのことを聞いたり話したりした。朝食はいつも通りの洒落たものに加えて、デザートにクレープが足されていた。

「ニコラさんから伺いました。アリス様はクレープを初めて食べたとき、とても気に入られたようですね。」

「いやあ…。あんなに美味しい食べ物、それまでは食べたことがなかったので…。けど、今はとても恵まれているので、幸せですよ。けど、初めて食べた美味しい物は忘れられません。」

「お店の方ほど上手くはありませんが、これはこの1週間勉強と体力づくりを頑張ったアリス様へのご褒美みたいなものです。よろしければお召し上がりください。」

「謙遜はしてるが、ジェイはスイーツも絶品だぞ。僕も甘い物が大好きだから、そこは保障する。」

「ありがとうございます。いただきます。」

穏やかな日差しの下での幸せな時間はあっという間に過ぎて行った。アリスは慣れてきた片付けを手伝い、テーブルを拭き、荷物をまとめた。しばらくリビングでセインとくつろいで、実動部隊との待ち合わせ場所に向かう時間が来た。車に乗り込み、アルゲンタの鉱山事故の時にアリスが実動部隊と合流した辺りまで向かった。

「1週間、お世話になりました。すごく楽しくて、家族ってこんな感じなのかなって思いました。」

車の中でアリスは2人に礼を言った。厳しすぎる環境で育ったアリスだが、社会との接触がなかったためか、歳のわりに素直に気持ちを伝えることができる。その素直な感想は、セインとジェイの心にしっかりと刺さった。

「ジェイのクレープ、とても美味しかったです。改めて、ごちそうさまでした。」

「喜んでいただけたのなら良かったです。」

「えっと…、セインはまだ俳優はお休みされるんですよね?」

「ああ。いい機会だし、しばらくゆっくりするよ。ポジティブな休みさ。」

「それなら安心です。ゆっくり身体を休めてください。」

待ち合わせの場所に着いたが、実動部隊の迎えはまだ来ていない。3人は車を降りて、日差しと冬のそよ風を浴びながら待った。頭に冷風が当たって気持ちが良い。

「また、しばらく会えませんね。」

アリスは残念がった。セインとジェイは、アリスを1週間預かるのを機に国際防衛機構の部屋を出たのだ。いつでも来ていい、とスコットは言っていたが、セインのような大物俳優が理由もなく出入りしてはマスコミに目を付けられて、互いにメリットがない。

「少し、寂しいです。」

「寂しがらないで。僕は世界のどこにいても、アリスのことを想ってる。期間は決めてないけど、休業してる間はあの家にいるし、国際防衛機構からだと近いものだろう?」

「アリス様がお休みの日、気が向いたらスコットに言っていただければ、スコットから連絡を受けてお迎えに来ますよ。スコットにはそう話を通してますから。」

アリスは笑顔でそう言う2人を見て、2人まとめて抱きついた。セインとジェイは驚いて顔を見合わせたが、すぐに笑顔になってアリスを抱き締めた。そうこうしてるうちに、実動部隊の迎えが来た。

「すみません。仕事でもたついて遅れてしまいました。」

「問題ありませんよ。こちらはその分、楽しく過ごさせていただいてましたから。」

迎えに来たダグラスとジルバは首を傾げた。実務では、少しの遅れが命取りになるため、遅れたことを咎められないのには慣れていない。何はともあれ、アリスを引き取り、車に乗り込んだ。ダグラスはアリスの横の窓を開けてやった。

「今度会える時は、少しは堂々と一緒に歩けるように、私、頑張ります。」

「成長した姿を見られるのを楽しみにしてるよ。」

ダグラスはアクセルを踏んだ。アリスもセインもジェイも、互いの姿が見えなくなるまで手を振った。車が見えなくなり、2人きりになったセインとジェイは、寂しさを抱えながら家に戻った。

「あんな時間がずっと続けばいいのになあ…。」

「今はそういうわけにもいかないだろ。寂しいのは事実だが、それ以上に楽しい1週間だった。」

「そうだな。そういえば、ジェイ、聞いたか?アリス、『家族ってこんな感じなのかなあ』って言ってたぞ。家族って!」

「聞いてたよ。さすが俳優、気持ちを表には出してなかったが、私にはバレバレだったぞ。」

「いいじゃないか。今はプライベートなんだ。」

セインとジェイは久しぶりに楽しいと思えた1週間に大満足だ。


 アリスを乗せた車は一旦国際防衛機構に戻り、アリスは荷物を自分の部屋に置いた。ダグラスに言われた通り、すぐに車に戻り、車は目的地まで向かった。

「ど、どちらに向かっているのですか?」

何も聞かされていないアリスは乗っているだけで、これから何をするのかさっぱり分からない。ジルバは助手席から振り返った。

「ダイアモの中心街で祭りがあるんだ。実動部隊は緊急要請がない限り、その祭りの準備を手伝うのが恒例になってる。みんなそのために事務仕事をさっさと片付けて、準備に向かった。俺たちはアリスを拾ってから合流ってわけだ。」

「荷物があったら落ち着かないだろう?だから一度機構に戻ったんだ。」

自分のためにダグラスとジルバが準備に遅れてしまったというのは分かった。しかし、アリスにはどうしても分からないことが1つあった。

「あの、すみません。祭りって、何ですか?」

「…え?」

ダグラスとジルバは驚いた。祭りって何、という質問がくるとは思わなかったのだ。冷静になって考えて、17年間も閉じ込められていたアリスが知るわけがない、と2人はそれぞれ意思疎通をしなくとも納得した。

「ったく、フューダの野郎…。本当に何も教えてないんだな。」

「人を大事にしないんだから、教えるわけないよな。教えたとしても、嘘を教えそうだ。」

祭りといえば、人が大勢集まる。きっとフューダなら、獲物を狙いたい放題の狩場だ、と教えそうだし、実際に思ってそうだ。自分たちが最初に教えることになったのはかえって良かった。

「祭りっていうのは、自分たちが信じる神様に感謝する伝統的なものから町おこしが目的のものまで色々ある。どちらも、何か派手なイベントをしたり、屋台が並んだりして賑やかにすることが多いんだ。」

「賑やかなのがいいんですか?」

「人間は賑やかなほうが笑顔が多いし、神様も同じじゃね?悲しむ人間たちを見ても神様が心配するだろ?」

「なるほど。」

「これから行くダイアモの祭りは、50年前に町おこしを目的に始まった祭りだ。街は大きくなったが、祭りの評判は良くて、年に一度の恒例行事として多くの人から愛されてるんだ。」

2人の説明を聞いて、アリスは納得するのと同時に不安に駆られた。そんなアリスの様子の変化に、ダグラスはバックミラー越しに気付いた。

「どうした?何か不安なことでもあるか?」

「…そんな楽しいイベントの準備に、批判が多い私が参加してもいいのでしょうか?私は全然、やってもいいですけど。」

ダグラスとジルバは、服の下に汗が大量に出るのを感じた。もちろん、アリスがセインの家に行っている間にその話は出た。アリスを参加させるのは、アリスに何らかの被害を加えられる可能性がある。しかし、参加させなければ、この先もずっとアリスは人々から理解されないままだ。最終的に、アリスの参加を決めたのは隊長のビルだ。ここでアリスを参加させなかったら、アリスのためにもならないし、自分たちもこの先アリスを守るのが困難になる。何より、多くの人が心優しいアリスを知らないままになってしまう。アリスがどう思おうと、隊長命令で参加させる。そういう判断だ。このことをどう伝えるか、ダグラスは運転しながら悩み、ジルバはそんなダグラスがどう言うのかハラハラしていた。ダグラスは周りに色々言われすぎて過呼吸になったアリスを知っており、ジルバも後から聞いて知ったため、余計に言葉選びに悩んでいた。

「まあ、立ち止まってても仕方ないですよね。迷惑をたくさん掛けてしまうかもしれませんが、私、やれるだけやってみます。」

アリスから前向きな言葉が出てきて、2人は安心した。セインがどんな接し方をしたかは知らないが、心なしかアリスの表情が少し良くなっている気がした。

 目的地近くの駐車場に車を停めて、3人は祭りのメインステージが設営されている場所まで歩いた。そこではすでに他の実動部隊の隊員が街の人と一緒に準備を進めていた。

「あ、やっと来た!早く手伝って!」

3人にいち早く気付いたニコラは手を振った。ジョージも手を振ったが、隣で頭を押さえて辛そうにしているビルが気になってしょうがなかった。朝からまた頭痛に襲われているらしい。休めばいいのに、これくらいはいつもの事だ、と言って来てしまった。祭りの実行委員は今来た3人に挨拶しに来た。

「いやあ、毎年すまないね。」

「いやいや。我々も楽しみにしてるんですよ。こき使ってください。」

笑いながらそう言うダグラスに、皆親しそうに肩をポンポンと叩いて一緒に笑っている。ジルバにも、若い兄ちゃんの力は貴重だ、と歓迎のハイタッチをしていた。そして、アリスを見た瞬間、顔が強張った。実行委員の1人が小声でダグラスに尋ねた。

「な、なあ。あの子もいるのか?」

「当たり前です。実動部隊ですから。」

当然のように答えるダグラスに、実行委員は苦笑いした。空気がおかしくなったのはアリスも当然気付いた。アリスは自分から実行委員の前に出て挨拶した。

「アリス・オリビアです。初めて参加させていただきます。至らない点も多々あるかと思いますが、みなさんの役に立てるように頑張ります。よろしくお願いします。」

「あ、ああ。よろしく…。」

礼儀正しく礼をしながら言うアリスに、実行委員はもちろん、ダグラスとジルバも驚いた。これまでのアリスだったら、空気がおかしくなったところで場を離れていただろう。それが、自分から前に出た。

「おい、アリス、何の心境の変化だ?」

ジルバはアリスに耳打ちした。アリスは笑顔でジルバに向き直った。

「クヨクヨしてるだけじゃ、何も進まないって、やっと気付けたんです。」

アリスはそれ以上言わなかった。

 ダグラスとジルバはビルやジョージ、ニコラと共にメインステージの設営に当たるように言われた。指示通りに移動した2人だったが、残されたアリスのことが心配だった。

「えっと…、じゃあ、君はこの地図の場所まで行ってモミの木を取って持ってきてくれないか。担当の人がぎっくり腰で動けなくてね。困ってたんだ。」

「分かりました。行ってきます。」

たどたどしく指示する実行委員とは裏腹に、アリスはハキハキしていた。地図は祭りのポスターの裏に描かれており、そのポスターには立派なツリーが写っていた。きっと飾りつけをする前のこの木がモミの木なのだろう、とアリスにも分かる様式だった。接する態度が若干硬くても、こういう気遣いがあってありがたいと思った。アリスはすぐに地図の場所に向かった。前向きなアリスを見て、ダグラスとジルバは安心して準備を始めた。

 中心地からだいぶ離れたところに、地図に描かれた場所はあった。普通の人なら最低限自転車で行きたい距離だが、アリスは自転車をまだ知らず、車も運転できず、しかし体力は十分にあるため、当然のように軽やかに目的地にやってきた。地図の裏のポスターを見る限り、求められているモミの木は建物4階くらいの大きさだ。今、アリスがいるのはダイアモの中心から離れた森の入り口のようなところだ。欲しいモミの木はいくらでもあった。大きさはもちろん、形もポスターと照らし合わせて、最適だと思える木を見つけた。根元から引き抜こうとしたとき、アリスはふと森の奥のほうを見た。建物があるような気がして近付いてみると、古いレンガ造りの家があった。この辺りの森を管理している人がいるかもしれない、と思ったアリスはドアをノックした。

「すみません。誰かいらっしゃいますか?」

返事がなく、アリスはドアノブに手を出すと、ゆっくりと軋むような音を立てながらドアは開いた。恐る恐る中に入ったが、中はほこりだらけで、もう何年も人が暮らしていないようだった。アリスは中を確認したら、すぐに外に出てドアを閉めようとした。すると、ドアの隙間から勢いよく飛び出す小さい何かがアリスの横を通った。驚いたアリスは何かが通ったあとを辿るように視線を向けると、アリスの正面に小さな生き物がちょこんとアリスを見上げながら座っていた。どう見ても耳が垂れたうさぎだが、目は惹き込まれるような深い青色でうさぎにしてはかなり小さく、手のひらに乗るくらいだ。体毛は白く、胸の辺りに大きめの茶色の斑がある。

「えっと…、ごめんなさい。勝手に入ってしまって。悪い人ではありませんよ。」

動物と触れ合ったことのないアリスはそう言った。普通なら見た目に気を取られがちだが、アリスは動物をよく知らない。いつから家の中で過ごしていたのかが気になっていた。ほこりだらけの家の中でずっと過ごすのも辛かっただろう、と心配しているのだ。そんな目の前の小動物は、しばらくアリスを見つめた後、アリスの足元まで歩き、視線をアリスとドアの向こう側とを交互に移し、ドアの隙間から中に入っていった。ついて来い、と言われたような気がしたアリスは、小動物について再び中に入った。アリスがちゃんとついて来てるか確認するかのように後ろをチラチラ見ながら進む小動物は、ある部屋までアリスを連れてきた。

「お、お邪魔します…。」

アリスはキョロキョロしながらゆっくり部屋に入った。狭くもなく、広くもない、丁度いい広さの部屋の窓側に机があり、壁は本がびっちりと詰められた本棚で覆われていた。小動物は机の上にちょこんと座り、椅子の前の引き出しを前足でカリカリと触っていた。

「…ここを開けたいんですか?」

アリスが小動物にそう聞くと、小動物はコクリと頷いた。アリスは引き出しを引き出せるだけ引き出した。中には赤い小箱が入っており、それを見るなり小動物は箱に向かって飛びついた。開けようとしている素振りを見せたので、アリスは小箱を開けてあげた。

「わぁ…。綺麗な石ですね。」

中に入っていたのは小動物同様、惹き込まれるような深い青色の石が付いたイヤーカフだった。しかし、アリスはこれが何なのか分からない。フューダの下を脱して、ようやくまともな服を着られたのだ。まだ、アクセサリーは覚えていない。とりあえず手に取り、目の前の小動物のどこに付けるべきかを考え始めた。

「えっと…、首でもないし、耳でもないし、足も邪魔ですよね…。体のどこかにポケットはありますか?」

そんなアリスを見かねたのか、小動物はイヤーカフを持って垂れた耳を上下にゆっくりと動かし始めた。小さな体はふわりと浮き上がって飛んで、アリスの右耳に付けた。その後、鏡の前まで飛んでアリスを誘導した。

「へぇ…。こんなふうに使う物なんですね。」

小動物は鏡の前のアリスの頭の上に着地し、笑顔を見せた。そして、アリスの頭をペシペシと叩くと、イヤーカフの青い石は光り始めた。

「えっ?!な、何ですか?!」

光はすぐに収まった。焦ったアリスはすぐに外そうとしても取れなくなっていた。まるで、耳とイヤーカフが一体化し、新しく体の一部となったところに血が通い始めた感覚だ。アリスは頭の上の小動物を両手で下ろし、左の手のひらに乗せて目線を合わせた。

「…ごめんなさい。この綺麗な石、取れなくなっちゃいました。あなたの大切な物ですよね?本当にごめんなさい。」

そう言うアリスに、小動物は横に首を振った。再び耳をゆっくりとはためかせてアリスの右耳をじっくり見た後、アリスの前に来て、笑顔で前足と後ろ足を広げた。

「…貰ってもいいんですか?」

アリスの問いに、小動物は今度は首を縦に振った。出会ったばかりの1人と1羽は完全に意思疎通ができている。

「ありがとうございます。大切にしますね。」

互いに笑顔だ。森の奥に入っているはずなのに、窓から優しい冬の日差しが入ってきていた。そんな窓の外を見て、アリスは思い出した。

「あっ!早くモミの木をもって行かないと!こんなに素敵なものをいただいておいて、ごめんなさい。私、そろそろ行きますね。あ、あと、モミの木を1本いただきます。」

アリスは小動物を机の上に置くと、深く礼をして笑顔を見せて部屋を出た。そのまま駆け足で古いレンガ造りの家から出て、薄暗い森を抜けていった。そんなアリスを玄関まで追いかけた小動物は、ゆっくり閉まるドアの隙間からアリスを見ていた。

『いいの?』

頭の中に優しく語りかける声に後押しされ、小動物はドアが閉まる直前で家を駆けて出た。家はその後、蜃気楼のように消えていった。

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