ジュダストロ・ストーリー
瀬戸 森羅
第1話 悲しみを乗り越えた頃に
人は今この瞬間にも、生まれては死んでいる。星の数ほどの人がいるのだからそれは当たり前のことで、俺にだって理解出来ることだ。だから、理解しなきゃならないことだった。優梨が死んだことは。
優梨は俺の幼なじみだ。幼稚園から一緒で小中高と同じ学校。家も近く親同士も仲が良くまさに典型的とも言えるほどに幼なじみだったのだ。
そんな優梨が死んだのは、俺たちが高校に入学して間もない頃のことだった。
「ねぇまーくん、きいてる?」
「んー?」
高校生活というものに憧れはあったものの、結局は小中と過ごしてきた学生生活の延長みたいなもの。そう思った俺は入学して早々にその日々に飽き飽きしていた。優梨がいるのだから変に孤立する心配もないし同じ中学の連中も知らないわけじゃない。何も今面倒な自己紹介やらくだらない顔色の伺い合いやらに身を投じたくないから俺は教室の机に顔を伏せていたのだった。
「まだ入学して3日目だよ?なんでもうそんな気だるげなの?もっとこう…きらきらとした活力を出そうよ!高校生だよ!?」
「高校生だったら…なんだよ?」
「う…」
「中学の頃も部活に勉強に遊びに時間をつかっただろ。高校生になったからって変わんないって」
「いやでも…ほら…なんか高校生って大人っぽいじゃん?中学とはまた違った青春が待ってるに違いないんだよ…」
「優梨は楽しみなの?」
「もっちろん!制服だってかわいいし~!校舎もおっきいし~!」
優梨はふんふんと鼻息を鳴らしながら語り出す。…俺とは違って学生生活に大きな期待を抱いているようだった。
「ふーん…じゃあ俺なんかに構ってないで行ってきたらいいじゃない」
「あっ…でもそうするとまーくんが…」
「気にしないでいいよ。俺は変に目立つ気もないし友達も多くなくていいんだから」
「そんなこと言わない!じゃあもし今後のクラス替えで知らない人ばっかりだったらどうするの?新しく知り合った子がすごく楽しい人だったらどうするの?踏み出さないで満足してたらきっと後悔するよ!」
「はぁ…わかったわかった。で?なにすればいいの?」
「えっと……なんだろ」
「…おやすみ」
「わぁ~っ!待って!あ、そうだ!屋上!とりあえず屋上にいこ!」
「なんで…」
「なんでってそりゃ…青春っぽいでしょうが!」
「ちょっとわかんない…」
「いいからいくよ!」
優梨に手を引かれ連れていかれた。
「あ…あれ?」
「どうしたの?」
「これ…開かない…」
「…まあ鍵かかってるよね、屋上は」
「ちょっと!知ってたの!?」
「多分そうだろうなとは思ってたよ」
「なんで先に言ってくれないの!」
「乗り気だったから」
「はぁ…しょうがない。戻りましょ」
優梨はがっくりと肩を落として踵を返した。
「うん」
「……あ、待って…。ここ、人の気配が全くないんだね」
しかし何かを思いついたようにぴたりと足を止める。
「…それが?」
「…あの…さ。私たちって、結構付き合い長いじゃない?」
「そうだね」
「…それで…その…もし良かったら…これからもずっと一緒に帰れたらなぁ~って…」
もじもじしながらそんなことを言い出した。
「…?いつもそうだろ?おかしなことを言うんだな」
「………う、うん!そ…そうだよね。どうかしてた…いつも通り!これからもよろしくね!」
「うん。よろしく。…戻ろうか」
「あ…うん。いこ」
俺たちは教室に戻った。
「おっすお二人さんっ!」
「茂野か」
「やっほ~」
「なにしてたんだ?」
「ちょっと校内探索」
「意外だな。お前がそんなことするなんて」
「優梨がうるさいんだ」
「うるさいってなによ~!」
「はは、妬けちゃうな。仲が良くていいねぇ」
「付き合い長いからな。今じゃもう妹みたいなモン」
「私がお姉ちゃんですっ!」
「いや、どっちでもいいけど…」
「ほんと昔っから仲良いよな」
「まあこいつがいれば孤立はしなくて済むな」
「私をなんだと思ってるの!」
「だから妹みたいな」
「そうじゃないでしょっ!」
「また始まっちゃったよ…じゃあまたな」
「おう、またな」
茂野は手を振り去っていった。
「やっぱり私たちって仲良く見えるんだね」
「そりゃあ一緒にいる時間が長いからな」
「…えへへ」
「…なに」
「なんでもないっ!」
「……」
これだけ一緒にいるわけだから、本当は気づいてた。優梨は俺のことが好きだ。そして、俺も…。でもそれを認められない自分もいて、それを達成してしまったらもう戻れないと思っている自分もいた。こんがらがる感情の葛藤が俺にあえて無関心を装うという必死の抵抗をさせていたのだ。
「…優梨」
「なぁに?」
「…今日、帰りにちょっと伝えたいことがある」
「……っ!」
「またあとで、な」
「……うんっ!」
だから俺は、もう一歩進もうと思った。最近の俺はあまりに優梨に無愛想すぎたと思う。失って始めて気づくことがあるという。だから逆に愛想を尽かされる前に、この想いを伝えてしまった方がいいだろう。…優梨の言う青春とやらの時間を無駄にしないためにも。
放課後の鐘が鳴った。いつも通りに家路につくわけだが、今日ほど特別な帰宅はないだろう。優梨と幼なじみから恋人になる。どれだけ長い付き合いでもこれを言い出すのには勇気が足りなかった。しかし今日、遂にきっかけを言い出した。後は家に着くまでに俺がまたその話を振るだけ。…しかし、沈黙したままどんどん学校は遠ざかっていく。優梨は口を開かない。開けるはずもない。俺と同じく極度の緊張状態に陥っていたはずだから。
「あ…あの…」
「は、はいっ!」
やっぱりだ。
「えぇっと…その…」
「……」
いつまでうだうだやってるつもりなのか…自分でも笑えてくるほどに言葉が出てこない。何度となくシミュレーションしていたはずなのにいざとなるとこうも身体が固まるものか。さりげなく言う?ロマンチックに言う?どんなポーズで?どのタイミングで?想定していたあらゆるシナリオは優梨の一挙手一投足で次々と分岐していく。口を開きかけてタイミングの合わなかった言葉の欠片が情けなく口から漏れでては消えた。
「…ふふっ」
「わ…笑うなっ…!」
「ごめ…ふふ…でも…ふふふ…っ。」
「~~っ!あーっ!もういいっ!」
「あっ!ちょっとまーくん!」
途端にバカにされたような気分になって頭が真っ白になった。頬の紅潮はきっと先程までは羞恥によるものだったろうが今は憤慨によるものに違いない!
「帰るっ!」
大人げなくそう言い放つと俺はずかずかと前に進んだ。
「ちょっ…ちょっと!まーくん!まーくんてばっ!」
「笑ってればいいだろ!」
「ごめんって…」
うん…やっぱり大人げなかった。というか男としてもアウトだよ。情けない…。冷静に考えてみると今のは本当に良くなかった。俺は何度も自分を責めながら呼吸を整えていた。よし、今度こそ伝える!俺は今一度決心するとくるりと振り返った。
「優梨っ!…好きだ!」
遂に喉から送り出された盛大な告白の言葉が前方に放たれる。
だが…そこでこの想いを受け取るはずだった優梨はそこにいなかった。
「…え!?」
困惑する他なかった。今の今まで話していたのに少し目を離した一瞬に優梨は消えてしまったのだ。
「…優梨?いるんだろ?俺が悪かったから!おーい!返事をしてくれ!」
「あ……か…っ…」
「優梨!?」
「まぁ…く…」
「優梨!どこだ!どこにいる!?」
その声を最後に優梨は返事をしなくなった。
「おい!どこだ!優梨!優梨ィ!!」
結局その後も優梨は見つかることはなく、仕方がないので日が落ちる頃に俺は家に戻った。
「あいつも帰ってるといいけど…」
心配とは他所にその事実は訪れてしまった。
「あんた…落ち着いて聞いて…」
「え…」
目を赤く腫らしたお母さんが部屋に入ってきた。その時点で嫌な想像がより確信的な不安となって俺を襲う。
「優梨ちゃんが…遺体で発見されたって…」
それを聞いた途端に俺は全てが足元から崩れるような錯覚に陥り天井を仰いでいた。
「ごめん…1人にして…」
「……わかったよ」
その夜は一晩中泣いた。優梨は俺の1番の心の支えだった。彼女がいたからこれからの学校生活に新しいものを見出す必要はないのだと思っていた。いつまでも一緒にいられると思っていた。なのに…なのに……。
翌日学校に行くとやはり優梨のことが担任から告げられた。
「えぇ…今日はみなさんに…残念なお知らせがあります…」
教室中がざわめく。勘のいい生徒は空席になった優梨の席から事の一部を察したようだ。
「みなさんとこれから学生生活をともにするはずだった藍原 優梨くんですが…昨日事件に巻き込まれ、帰らぬ人となりました…。優梨くんの御冥福を心より祈り黙祷しましょう…」
教室中が静まり返る。今この時は誰もが優梨のことを想って祈っているのだ。それだけでも優梨は浮かばれるだろう…。
「はぁ…めんどくさ…」
不意に呟かれたその言葉を耳にした途端、俺の身体中の血が沸き立ちそうになった。
「おい…今めんどくさいって言ったの誰だッ!!」
静まり返った教室に俺の声が響いた。
「…あたしだけど?」
見知らぬ顔のクラスメイトが声を上げた。
「…お前、名前は?」
「蛍よ。名前も覚えてないの?」
優梨を信頼しきっていたのが仇になった。ここにいる大半の生徒を俺は知らない。
「…はぁ。誰かさんも心配でしょうね。あんたあの子にべったりで他の誰とも話してなかったでしょ?情けない…。それなのに大事な時はべったりしてなかったの?かわいそうな優梨ちゃん。あんたが守ってやらなきゃならなかった」
「お…おい、そこまで言うことはないだろ…」
「いえ、この男はそうでも言わないとわかんないでしょ。…ねぇ、優梨ちゃんが死ななきゃこんなお祈りの時間なんて必要なかったでしょ?あんたのせいよ」
「ふざけるな!…確かに俺が守ってやれなかったのは確かだ…だけど、死んでしまった彼女に対する冒涜は許せない!」
「勝手な男。別に会って数日の子がどうなっても私はなんとも思わないわ」
「いやでも…倫理的に…」
「まあ蛍が失礼かな…」
「あら、出しゃばったかしら、ごめんなさいね」
みんなからも非難の目を向けられているのにやけに堂々としている。
「なんだこの女…」
「君は蛍を知らないから無理もない…。この子は心が冷たいんだよ…」
「言っていいことと悪いことがあるだろ!」
「それは本当にそうだな…」
「あら、謝ったじゃない」
「こいつ…」
「お前らやめないか。優梨くんへの黙祷の時間なんだぞ」
「う…すみません」
「……」
「お前も謝れって!」
「…ゴメンナサイネ」
「……もういい」
俺は金輪際こいつとは関わらないことにした。
だがこいつの言った通り優梨にべったりで他の誰とも話していなかったのが致命的だった。その後の顛末は悲惨なものだった。俺はクラスの連中とつるむのがうまくいかず保健室登校。いつしかそれすら叶わずに引きこもる日々。ゲームだけがうまくなった。だがそんな日々も俺を満たしてくれるはずがなく…。
そのまま月日は流れ俺は高校3年生になった。あいつのいない学生生活には青春のかけらも感じられなかった。だがわかったこともあった。俺は1人でも案外やれるんだ。俺の胸の中には、いつまでもあいつがいるんだから。今はそれだけを活動源にして大学に入って青春をやり直すために勉強中だ。
そんな生活を送っていたある日のこと…。
「よし、今日はこんなくらいにしておくか」
時刻は午前二時。連日徹夜で勉強しているがゲームをしていた頃に身体が慣れているためそこまで苦に感じなかった。しかしやはり疲労がないわけではない。今はこのやり切った身体をベッドに沈めるのが最高の楽しみだった。
「よし…おやすみ…」
部屋の電気を消して目を閉じた。
ピロロロロリロリロ!
部屋に大音量のコール音が流れる。
「誰だ!?こんな時間に!」
迷惑電話だとしても非常識な時間だ。文句を言いつけてやる。俺はそう思って電話に出た。
「もしもし!今何時だと思ってるんですか?」
ざ…ざざ…ざざざざー…。
ノイズのような音が続いている。無言電話か?
「あの…はぁ…もういいです。もう電話してこないでくださいね」
俺はそう言って電話を切った。…のだが…。
ピロロロロリロリロ!
「あー!もう!なんですか!」
俺は再びかかってきたその電話の相手に対して叫んだ。
ざ…ざざざ…ざー…。
「やっぱりいたずらか…。はぁ…寝るか」
再び電話を切ろうとした時、少しだけノイズが晴れた。
「………まぁ……くん…?」
「……は?」
その声は確かに、「まーくん」と言っていた。その呼び方をする者は俺の学校にはいない。むしろ、1人しかいない。いや……いなかった。
「…お前は…誰だ…?」
ざ…ざざ…ざざざー…。
不鮮明なノイズの音が続く。俺はその音が晴れる瞬間を、今か今かと待ち続けるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます