手紙

和音

赤い宝石

 桜の木が緑をまとい、行き交う人々の袖の長さがばらばらになった頃。高く昇った陽の光の下で一人の少女が長く緩やかな坂を登っていた。白いワンピースによってほとんど隠れているが、隙間からのぞくのは金属の脚。赤いリボンに彩られている麦わら帽子からは艶のある黒髪が流れ落ちている。手紙の添えられた花束を腕いっぱいに抱え、表情のない顔で軽い金属音を一定のリズムで刻んでいた。


 坂の途中で小道に逸れ、高い岩の前を左に曲がる。おいてあるバケツに水を汲み、柄杓の先を水に沈める。均等に区画された細い道を奥へと進み、あるところで立ち止まる。彼女の前にあるのは、まわりのそれとは違い丁寧に手入れされた墓石だった。汚れの見えないのは勿論、敷地内には雑草すらなく少ししおれた花が供えられていた。


 少女はどこからか厚手の布を取り出し、墓石の上から水をかけて優しく磨く。磨かれた部分は陽の光を受け鈍く輝いていたが、彼女の顔をはっきりと映さなかった。花立からそっと古い花を抜き、水を入れ替え、持ってきた花束を二つに分けて供える。その際に手紙と氷砂糖を墓石の前に静かに置いた。寝かせた線香の先を手のひらで覆い、炎を灯す。薄い煙と共に独特な匂いが周囲を埋め尽くす。彼女は手を合わせ、瞳を閉じる。緩やかな風が墓石の間を抜け、階段の傍で渦巻き落ち葉を散らす。


 少女は祈る。ただ一人の人間のために。それは巡り巡って彼女のためである事に気づかないまま祈り続ける。


 赤の差した黒い瞳に手紙が映る。手を伸ばそうとして止める。一つ深い呼吸をし、そっと手に取る。手紙を包む簡素な封筒が燃え上がり、中に入った文字が現れる。灰が軽く舞い、それを揺らすのは彼女から紡がれる色のない声。


「先生へ

 私はどうやら話すことをまとめるのが苦手なようなので、言いたいことを手紙に書き綴りました。言葉を文字にするのは初めてなので拙い場所も多々あると思いますが、ご容赦ください」


 線香の煙が雲になろうと青空へと向かう。


「せっかくの機会なので今までのことを書き連ねようと思います。私は捨て子で、お寺で暮らしていました。優しい人たちに囲まれ、それなりに幸せな生活をしていたと思います」

 

 物心ついたころには親に捨てられていた私を拾い、育ててくれた場所は慈光苑という私のような身寄りのない子供たちがたくさんいるお寺だった。どうやら慈光苑の住職が元々捨て子だったらしく、同じような境遇の人を放っておけなかったそうだ。親のように接してくれた数人の職員と明るい子供達、私の一番の友達だった瑞稀に囲まれて育っていった。


 私は皆とは違う。それに気が付いたのはある秋の日だった。大きな地震がおきて古い物置が崩れ、その先には小さな子がいた。咄嗟に駆けだしたのは瑞稀、私は足が動かなかった。瑞稀は倒れてくる木の板から小さな子を守るように覆いかぶさる。私は無意識に手を向けた。


 手のひらが熱を持ち、燃え上がる。その炎は手のひらから放物線状に放たれ、物置が崩れる前に燃え尽きる。周りが騒然となる中、瑞稀はいつもと変わらない様子で話しかけてくれた。それだけで私は化け物ではなく、人としてここにいることが出来たのだ。


 そんな私が初めて先生と会ったのは雪の強い日の事だった。


 町の外れにある慈光苑は十数人の子供たちの面倒を見ていることもあり、あまりお金がなく、冬が来るたびに寒さに脅かされていた。寒そうにしている子達に、自分の薄い毛布を貸してあげて小さく震えている瑞稀。その様子を見た私は、普段禁止されていた炎の力を使った。手のひらに炎を灯すと皆はそれを囲んで歌う。手に広がる熱よりも温かい何かが私の心を満たした。


「でもそんな時間は一瞬で終わりを迎えてしまいます。俄かに外が騒がしくなり、部屋に駆け込んできた職員の方がすぐに逃げるようにと余裕のない声で言いました。瑞稀と一緒に小さな子を連れて外に出た瞬間、地面が大きく揺れました。逃げながら後ろを振り返ると寺の一部からは火の手が上がっており、お寺に隣接した山には何か黒いが広く蠢いていたのです」


 ―――閉じた瞳の裏に映る光景。一人の職員が襖を勢いよく開け、裏門から逃げるように言った途端、鳴り響く破壊音と悲鳴。


 そのときの光景を忘れたことはない。一人で動けない子を両手で抱える職員を追いかけて、黒い玉砂利の通路を歩く不安を。今にも声を上げて泣き出しそうな子の手を握り「大丈夫だよ、大丈夫だからね」と半ば自分を納得させるような言葉を紡いだ時の虚しさを。心を冷たい鉄に変え、足を地面に縫い付ける無力感を。今でも忘れられない。


 逃げている途中で山を埋め尽くしていた黒いに見つかり、耳を叩く不知の言葉。周りから声にならない悲鳴が上がり、心臓が強く鳴る。黒い怪物の目を見た瞬間確信した。私を、私の力を狙っている。

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