第11話 忘れていた記憶




 成沢家までは、築地塀が続く道を行き、四つ辻を曲がってさらにその先にあった。屋敷の敷地自体が広いため、わりと距離はある。

 門をくぐり中へ入ると、中間ちゅうげん(召使)が客を待っていたのか、すぐに人を呼びに行った。

 待っている間、緊張していると、玄関に現れたのは落ち着いた紫苑しおん色の小紋を着た女性だった。忠弥よりも年が上に見える。


 半之丞は挨拶をすると、女性は微笑んで、自分は忠弥の姉だと云った。


「そなた、名は?」

「み、三浦半之丞と申します」


 忠弥の姉は、ちらりと半之丞の手に持っている風呂敷包みを見た。


「三浦殿も妹のお祝いに来て下さったのですね」


 にっこりと笑って式台を下りると、半之丞の手を取った。


 え、と顔を上げると、中へお入りくださいと云った。


「あ、でも、私はこの品を届けに参っただけですから」


 丁重に断ったが、忠弥の姉は笑いながら首を振った。


「そんなことおっしゃらないで、どうぞ、お上がり下さいませ」


 忠弥の姉の力は強かった。

 どうぞどうぞ、と云うので、断るのも申し訳ない気がした。


 成沢家に入るのは初めてだ。

 忠弥の姉に従い、長い廊下を突きあたり、さらに曲がって進むと、母屋へ繋がる廊下へと出た。

 表玄関からかなり離れた場所で、そこに行くまで物音ひとつしなかった。


 奥座敷に通されるのだろうと思っていたのだが、ここで待っておくようにと、シンとした部屋に通された。

 誰もおらずひっそりとしており、床の間には一輪の花が添えられていた。


「あの、ここは…」


 振り向くと、忠弥の姉の姿はなかった。

 仕方がないので、風呂敷を置いて待っていると、すぐに忠弥の姉が現れた。

 酒器を用意し、杯に酒を注いだ。


「お、お待ちください。あの、忠弥さんは?」


 びっくりして問いただしたが、彼女は何も云わなかった。


「さ、どうぞ」


 云われるまま手に持って口をつけたが、落ち着かずすぐに杯を置いた。帰らねばと思い、無作法と知りながら立ち上がると、突然、腰にしがみつかれた。


「えっ、えっ?」


 何が起こったのか、半之丞は恐怖に震えた。

 女の力は凄まじく、指が腰に喰い込んでいた。


「あ、あの、離してくださいっ」

「嫌です」


 忠弥の姉ははっきりと云って、半之丞を押し倒した。腹に乗っかられて、半之丞はギョッとした。


「ちょ、何をっ…」


 思わず強く押し返すと、姉の体は簡単に投げ飛ばされた。

 床の間の一輪挿しが倒れたが、誰も来なかった。


 半之丞は部屋を飛び出して廊下を走ったが、行き止まりで雨戸が閉め切られ、戸には施錠がしてあった。

 振りかえると、忠弥の姉が髪を振り乱して立っていた。手には短刀が握られていた。

 うつろな目で近づき、おびえる半之丞を抱きしめて、刀を持っていない手でゆっくりと頬を撫でた。


「あなたを探していました」

「え?」


 忠弥の姉の目から突然、涙があふれだした。


「あなたは私の子です。私が産んだのですよ」


 かたん、と短刀が床に落ちる。

 彼女は手を伸ばすと、半之丞の顔を両手で包み、じっとのぞきこんだ。

 半之丞は、この冷たい指先を知っている気がした。


「あなたは…」


 呟いた時、忘れようとしていた記憶を思い出した。

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