雨と獣は乾かない
ナナシマイ
第1話
一本の
乾いた灼熱の空に、雨が広がる。
「か、髪……切っちゃおうかな? ね、ルッタ」
紗の垂れるように、さわさわと砂漠を濡らす霧雨の中。
降る雨と色を等しくした髪をなびかせて、サシャナが振り返る。
くすんだ水色の、ねだるような瞳に見上げられ、ルッタはうっと顔を背けた。「だめ?」と追撃してくるサシャナを睨みながら、首から提げた硝子の櫛をぎゅっと握り隠す。
「自分の髪を大事にしなさい、サシャナ」
「でも……」
納得がいかないというふうに、サシャナは霧雨の向こうへ視線をやった。
雨は不自然に砂漠の一部分だけを覆っている。その外側にはとうぜん灼熱が広がり、熱を喰らって育つ砂漠の魔物が跋扈していた。
それらを、異界の男ふたりが睨んでいる。
「ボブでも坊主でも好きにしたらいいだろ、それよか早く雨を増やしてくれ――ってえなクソジジイ殴るなよ」
「女の子をぞんざいに扱うなといつも言っておろう! ほれ、
「まだ準備ができてねえっての」
カモミヤの獣使いだと名乗った彼らは、その肩書きとは裏腹に獣などどこにも連れていない。衣服の形状は動きやすそうなものだが、使われている布はおそらく一級品で激しい戦闘を想定したものではない。丸腰の青年と老人は見るからに貧弱。ないない尽くしでは魔物を倒すどころか砂漠を抜けることすら厳しいに違いない――そう思ったルッタたちだったが。
ヘイジという名の老人は「未知の怪物を使って修行できるとはな」と孫をけしかけ、そして突然放り出されたアキトも嫌々ながら鋭い目を魔物へと向けた。
どうやら勝つ算段はあるらしい。
「ふうん……『ボブ』も『坊主』もよくわからないけれど、とにかく、サシャナの髪をたくさん切れと言われたことはわかったわ」
彼らが彼らの戦いかたをするには、準備が必要なのだろう。そのための、時間が。
霧雨はあと数刻もせずにやむ。そうすれば、砂漠の魔物たちが真っ先に向かうのは雨という防壁を失った人間だ。こうして砂漠時代に迷い込んでしまったルッタたちには守ってくれる魔法騎士もいないのだから、背に腹は代えられない。初対面の頼りない男たちであろうと、ここは信じて協力するしかないのだ。
「……ルッタ。もしかして」
「そんなに雨を望むなら、売りつけ――有料で譲ってあげましょっか」
「おい聞こえてるぞ」
「聞かせてるの。サシャナ、せっかくだし前髪を作りましょ。四十テナの臨時収入も一緒よ」
「ぜってえボッてるだろ」
ルッタはサシャナを引き寄せた。「ひゃっ」と小さく驚いたサシャナの雨髪がきらきらと揺れる。首飾りのような硝子の櫛をそっとあてがえば、特別な髪が、しとやかな霧雨から激しい風をともなった雷雨へと変化する。
「すげえ荒れ模様だな」
「これ、アキトォ!」「綺麗な髪になんてこと言うの!」
ヘイジとルッタの声が重なる。
貶されたにせよ、褒められたにせよ、サシャナは自分の髪の状態を冷静に考えるといたたまれなくなり、ぎゅっとルッタにしがみついた。
「は、恥ずかしいよう……」
「馬鹿な孫がすまんな。力強さもまた美だというのに、まったくわかっとらん」
「うるせえな」
そう悪態をつきながら、アキトは上着のポケットから巻き煙草を取り出した。咥えたそれに火をつけようとして、しかし霧雨のせいでままならない。
ち、と舌打ちが響く。
「じいさん、火」
「ライター扱いしおって……ほれ」
長く伸ばした白髭を撫でるヘイジ。その指先に灯る火。
「さんきゅ」
「懲りたら鍛錬に励むことだな」
「は、こんな異常事態が二度もあってたまるかよ」
ふうと吐き出された紫煙は広がらず、アキトにまとわりついた。
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