第3話 貴女に一目惚れしました②

 依子はパニックになった。

 明らかに百鬼と名乗ったこの男は、人間じゃない。木箱から飛び出してきたのだから当然だが、これは恐ろしい悪霊か、はたまた封印されていた妖怪のたぐいなのだろう。

 ただ、百鬼が話せるという事は人間と、コミュニケーションが出来るという事である。

 依子は震える声で反射的に叫んだ。


「ひ、ひ、一目惚れされても困ります!」

「まぁ、まぁ……そう、仰られずに。私はとってもお役に立ちますよ。例えば戦場に貴女の憎きかたきがいれば、飛んでいって魂を食べます。後はそうですねぇ、この札の下の邪眼で、遠くから誰かを呪う事も出来ますよ。それから、霊感が少しばかりある依子さんに、付き纏う悪いあやかしや悪霊がおりましたら、私が食べて差し上げましょう」


 百鬼は人差し指をピンと立てると、笑顔のまま首を左右にガクガクと機械的に動かした。それがとっても不気味だが、コミカルでもある。


「はぁ、食べて差し上げます……なんて言ったら、お腹が減ってきたなぁ。なにせ私は、第一次世界大戦の後からずっと、あの木箱で眠っていたんですからねぇ。この周辺の魑魅魍魎ちみもうりょうも増えていそうだし、ごちそうの予感。ところで今も日の国は昭和ですか?」


 百鬼は自分の腹部を抑えながら、口をへの字に曲げると、ふよふよと浮いてまるで昔を懐かしむかのように、顎に手を置き、うんうんと頷いた。彼は円を描くように、ぐるぐると空中で漂いながらはしゃいで、独り言を言っている。

 百鬼のお腹が鳴る、大きな音がした。

 依子は、お喋りな彼の独壇場どくだんじょうなのを良い事に、息を殺して後退りすると、蔵の梯子はしごに足をかけ、ゆっくりと降りていく。


「依子さん、貴女はとっても甘くて美味しそうだなぁ。ですが、人間は食べると減ったり、なくなったりしてしまうでしょう? 愛する貴女がなくなったり、減るのはとても悲しいのでいくら可愛くて、美味しそうでも食べられません。………って、おや? 依子さんかくれんぼですか」

「きゃぁあ!」


 百鬼は、猫のようにニュッと梯子の隙間から顔を出すと、依子は驚いて悲鳴を上げてしまい、足を踏み外して落ちてしまった。


「おっと、危ない危ない。依子さん、階段は足元注意ですよ」


 ふわりと、百鬼が仰向けで落ちた依子を抱き止めると、器用に空中でお姫様抱っこをして、一階に降り立つ。百鬼の体温は全く感じないが、生きている人に抱き上げられているような感覚がした。


「あ、貴方一体……何者なの? お化け、それとも妖怪? それに食べるって何? 恐ろしい事を言わないで」

「んふふふ。それは難しい質問ですね。私はいわゆる呪物のようなものでしょうか? 今、依子さんの手首についている、黒曜石の数珠がございますでしょう。それが私の依代よりしろなのです。私を扱う呪術師達は、代々それを身に着けられる」


 いつの間にか依子の手首には、黒曜石の数珠が着けられていた。古い物だが、生きているように生々しく光り輝いている。数珠の結び目には、小さな木札のような物があり、そこには百鬼と書かれていた。


「ねぇ、待って! こんなの、着けた覚えはないんだけど。一体どういう事なのかしら、もう頭がパンクしちゃうわ」

「お洒落で良いでしょう! んふふふ、これで依子さんと、片時も離れずに一緒にいられます。眠くなったら私は、その数珠の中で眠りますから、場所も取りませんよ。あ、依子さんが私に添い寝をして欲しいと言うならば、ご遠慮なく仰って下さい」


 依子は、必死に取ろうとして全く手首から抜ける様子のない、黒曜石の数珠に頭を抱えた。


「呪物で彼氏だなんて、まるで江戸川乱歩の世界だわ」

「エドガワランポー???」

「と、ともかく……貴方は私をり殺したり、き、傷付けないのね?」

「ええ、もちろんですとも!」


 百鬼は嬉しそうに首を右に大きく傾げる。

 ともかく、依子は一度冷静になるべきだと混乱する頭を振った。この百鬼と名乗る呪物は、話している内容はともかく、自分に危害を加えるつもりはないようで笑顔を浮かべている。

 コミュニケーションも取れるのだから、妖怪の機嫌を損ねないようにしなければならない。

 伯父や依子の父に話を聞けば、百鬼の事や彼への対処、封印の仕方など分かるかもしれないと思った。


 ❖❖❖


「依子ちゃん、本当に助かったわ。蔵の方も綺麗に掃除してくれて。聞けば、大学で使えそうな物もあるっていうじゃない?」

「ええ。江戸時代の覚書があって、とても保存状態が良いんです。教授が喜ぶと思いますよ」


 依子は、夕食を作る伯母の手伝いをしながら食卓にお皿とお箸、鮭の塩焼きと、お味噌汁に肉じゃが、小鉢のほうれん草のおひたしを置く。

 百鬼は腹が減ったと言うと、どこかへ行ってしまったのか、姿が見えなくなった。もしかするとさっきの事は全部、白昼夢だったのかもしれないと、依子は考え直す。

 胡座をかいて座る伯父は、依子達が席に着くのを待っていたようで、三人で夕食を取った。


「なんだか、孫娘が帰ってきたような気がするなぁ」

「依子ちゃんは、聖子と同い年ですもんねぇ、お父さん。清司の方は相変わらずバンドなんかやってボンクラなのよ。そうそう依子ちゃん、実は聖子、来月結婚するから寿退社するの。依子ちゃんはどうなの? 良い人はいる?」


 依子は、おめでとうございますと言って、曖昧に笑った。

 民俗学者になりたい事を知っている、伯母達はそれを喜んでくれるものの、依子に男気のない事を心配しているようだった。このままだと、望まないお見合いの話まで出そうで、依子は話題を変える事にした。


「あはは、私は浮いた話はないです。それはそうと……、あの蔵で、御札が貼られた木箱を見つけたんだけど、知ってます?」

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