6.逃げる少女


「なんで陸自を辞めたんだ?

 言いたくないなら構わんが…」

 七菜子を載せたトレーラーを丸の内の本社に向かって走らせながら、私は聞いてみた。


 私たちが所属する民間軍事会社(PMC)「東京ガーディアン」は、東京駅の赤レンガ駅舎三階に統括本部を置いている。


 私たち支援要員に貸与される車両や装備類は最新鋭だが、給料は地方公務員やサラリーマンの平均と変わらない。

 それと比べて、武村の前職である自衛官は高給取りだ。


 今の子どもたちが就きたい仕事の第一位は自衛官で、頭の良い子は、スーツを着た防衛官僚を目指す。


「俺は日本を護る仕事がしたいんです。

 だが、“ゲームチェンジ”後の防衛省は、北京ペキンの手先に成り下がってます。

 日本列島をユーラシアの防波堤くらいにしか考えてない」


 日本政府は一昨年、アメリカとの同盟関係を破棄し、東アジアの盟主であるユーラシア人民共和国と安全保障条約を締結した。

 政府関係者は、そのことを“ゲームチェンジ”と呼んでいる。

 かつて日米同盟は、ユーラシア人民共和国の軍事独裁に対抗し、その覇権拡大と海洋進出を封じ込めるために機能していた。


 北海道から南西諸島まで米軍基地が展開し、日本列島はアメリカの“不沈空母”と呼ばれたものだ。


 だが、日本政府は転向した。


 敵味方を完全に入れ替え、日本海を挟んで大陸を支配する軍事独裁政権と手を結び、米欧の民主主義勢力を敵に回すことにしたのだ。


 “ゲームチェンジ”に追い込まれた原因は一つしかない。


 二〇年前に太平洋を襲った超巨大隕石、“スーパーメテオ”の墜落だ。


 表向きは隕石メテオということになっているが、高度な文明を持った他の星系の廃棄物という説が有力だ。


 近年、先進諸国が核のゴミをロケットに乗せて次々と宇宙に放出する計画を進めている。

 数万年前に異星人が同じことをしたとして不思議ではない。捨てられたゴミが、偶然、太平洋を直撃することも…


 太平洋が異星の廃棄物に汚染されたことで、安全保障環境は一変した。

 日本列島の地政学的な位置づけは、アメリカの“不沈空母”から、ユーラシア人民共和国の“防波堤”に変質したということだ。


「太平洋の汚染がブラッドワームだとか、色んなモンスターを生み出した。そうでしょ?

 北京はそいつを東京に呼び寄せている。地下鉄網を大きな虫取り網として使っているんです。

 東京という虫かごがどうなろうと知ったこっちゃない。

 むしろ、虫食いの穴ぼこだらけになるのを期待してるフシがあります」


「そうかな?」

 私は言葉を濁した。


 武村が気骨のある男だということは分かった。

 だが、純粋な正義感に危うさも感じた。


「正直過ぎると損するぜ?」と忠告した。

 北京や北京に追従する役人たちを批判することは、命取りになりかねない。


「分かってますよ。これでおあいこです」

「なるほど」

 私が銃を突きつけて七菜子への服従を強要したことを、管理官には報告しないということか。




 ゴーストタウンと化した霞が関の旧庁舎街に入り、潮見坂しおみざかを下る途中だった。

 私は何気なく歩道に目をやり、危うく急ブレーキを踏みそうになった。


 走る女の姿が視界に飛び込んできた。


 潔子きよこだ。


 三つ編みにして腰まで届く銀色の髪。

 頬高な顔立ちに切れ長な目。

 私が最初に仕えたセブンスだ。見間違いようがない。


 あの頃と同じく、お気に入りの薄紫色のワンピースを着ている。


 ようやくトレーラーを停止させると、車両の安全確保を武村に頼み、私は潔子を追った。


「潔子さん、どうしたんですか?

 俺です」と声をかけた。


 潔子は振り返ると、一瞬怯えた様子を見せたが、ふっと緊張を緩めて私の胸に飛び込んできた。

 そのまま崩れ落ちそうになるのを支えた。


 彼女は第二世代のセブンス・センサーズの一人だ。七菜子の三歳上だから、十九歳か二十歳になったはずだ。


「どうしたんです?」私はもう一度尋ねた。


 セブンスが一人で出歩くことはない。

 したがって、逃げ出した可能性が高く、見過ごすことはできない。


 足もとを見ると裸足だった。


純吾じゅんご

 彼女は私の名前を呼んだ。

 潔子から名前を呼ばれたのは初めてだ。

 五年間仕えたが、その間、名前を呼ばれたことは一度もなかった。


「どうしよう?

 あたし、逃げてきちゃった!」

 彼女が取り乱す姿も初めて見る。


「大丈夫ですよ。一緒に帰りましょう。

 俺が話つけますんで。何か嫌なことがあったんですね?」

「…帰るとこなんてないよ。あたしには、どこにも居場所がないの」

「“居場所”ならあるじゃないですか?」


 だが、潔子は顔を背けた。


 “ファンタジア”は、セブンス・センサーズのための安息の地だ。


 彼女たちは、アイソレーション・タンクの中で感覚を遮断されると、大脳皮質に埋め込まれた電極をインターネットに接続する。


 サイバー空間の最下層にあるダークウェブのさらに奥深く、独自の仮想空間メタバースを構築しており、その住民のアバターにダイブする。


 潔子や七菜子によれば、ファンタジアは自然が豊かで静謐そのもの。

 彼女たちはエルフのアバターにダイブし、平和な共同生活を営んでいるという。

 セブンスの人権保障が国会で議論になった際、完全に自由で恵まれた世界をサイバー空間の中に与えることで、その問題を解消した経緯がある。


 セブンス・センサーズの第一世代は“ファンタジア”の完成が間に合わず、ブラッドワームとの闘いの中、ほとんどが精神崩壊に追い込まれた。


 潔子たち第二世代は、第一世代のいしずえの上に理想郷としてのファンタジアを完成させた。

 ファンタジアの創設メンバーの一人である潔子に「居場所がない」とまで言わせる事態が、私には想像できない。




 サイレンがうるさくなり、それ以上の会話はできなかった。

 東京ガーディアンのドローンと警備車両に囲まれている。


 潔子は頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 常人には聞こえないモスキート音を大音量で流しているのかもしれない。


「おやおや?

 人のオンナにまで手を出すとはなー」

 車両から降り立ったのは、潔子の管理官だった。

 防衛省からの出向者、ネクタイを締めた“スーツ野郎”だ。


 私は潔子の肩を抱いて車両に導こうとした。

 その前にスーツ野郎が立ちふさがった。


「潔子さんと呼べ。それに邪魔だ」

 私は男を押しのけ、彼女を後部座席に座らせた。


「大丈夫ですよ。俺を信じてください」

 私はドアを閉じながら潔子に語りかけた。


「貴様!

 オンナの逃走幇助で…」

「逮捕するか?やめとけ」

 私はスーツ野郎の眼鏡に顔を近づけた。

「そんなシケた罪名で俺が黙って両手を差し出すと思うか?

 しかも、素人アマチュアに?

 彼女が出歩くのを禁止する法律なんてどこにもない。

 ちょっとは勉強しろ」


 スーツ野郎が私の胸ぐらを掴みかかった。

 私は盛大に吹っ飛び、転倒した。

 起き上がると振り返りもせず、トレーラーに戻った。


 武村が目を丸くしている。

「何やってんすか?

 さっき俺に注意しといて!」

「正直過ぎると損するぞ。そう言ったんだ。

 俺のは全部ウソだ。

 あの男が馬鹿だとは思ってないし、突き飛ばされてもいない。転んだのは演技だ」


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