オフ会から始まるラブコメ
逆瀬川さかせ
第1話 フォロワーの正体
改札口を出ると、僕は辺りを見回した。改札周辺には待ち合わせらしき男女が何人かいるものの、白い服を着た若い男は見当たらない。
大阪メトロ千日前線・堺筋線
ここは関西を代表するオタクの街・日本橋の最寄り駅だ。
時刻は9時50分。約束の時間まであと10分なのでまだ来ていないのかもしれないな。
通行人の邪魔にならないよう壁際に移動すると、僕はDMを確認した。
「10時に地下鉄日本橋駅中南改札前で。白い服着てます」
今日初めて会うフォロワー、市田明日からのメッセージだ。
けれども、有名になってもメッセージをちゃんと返してくれるし、日々くだらないやり取りはするしで、フォロワーとしての距離感はあまり変わらない。
果たして、実物はどんな人なのだろう。
こっちからも特徴を送っといた方がいいだろうか。だが、あいにく今日の僕の服装は特にこれといった特徴もない服装だし、目印になるようなものも持っていない。
立っている場所を送るか。思案した末、そう結論付けて「柱に凭(もた)れてます」と送ろうとしたところで、声をかけられた。
「え、
待ち合わせ相手は男のはずなのに、正面から聞こえてきた声は紛れもない女の声だった。
視界に入るのは靴紐がないタイプの白いスニーカー。おろしたてのようでまだピカピカだ。視線を上げると目の前に鳶色の澄んだ瞳があった。向かって左――ってことは右目だな――に泣きぼくろがある。目が合うと、相手は「えへ」とはにかんだ。
黒髪のミディアムヘアで、化粧っ気のない顔。159センチの僕より、身長は少し高くて、160センチ台前半といったところか。
僕の目の前に立っていたのは、大人しそうな雰囲気の美少女だった。僕は女子の服装に詳しくないので、うまく説明はできないが、着ているのはシンプルな白系の服だ。自信がなさそうにオドオドとしている。
彼女には見覚えがあった。学校の図書館でよく目にする少女だ。好みのタイプにあまりに合致するので、気になっていたが、話しかけたことがないし、アレコレ詮索するのはストカーみたいで嫌だったので名前は知らない。
彼女の待ち合わせ相手は本当に僕なのだろうか。「SK」なんてハンドルネームはありふれてるし、人違いの可能性も否定できない。
そんな僕の考えを見抜いたのか、彼女はこう続けた。
「はじめまして……ではないですよね。市田明日です」
彼女はそう言うと、SNSのプロフィール画面を開いて見せる。
僕は二重の意味で驚いていた。
オフ会の相手である市田明日が女子、それも同じ学校の女子だったということに。
「え、ええ。SKで、間違いありません」
内心パニックになっているが、なんとか平静を装おうと努める。だが、僕は続けて発せられた言葉によって、さらに驚かされることになるのだった。
「良かったです。やっぱりSKさんって、棚(たな)倉(くら)朔(さく)くんだったんですね!」
「なんで、本名知ってるんですか‼」
「そりゃ同じ学校ですから、知る方法くらい、いくらでもありますよ」
「そもそもこっちは、市田明日さんが女性だったっていうことに驚いてるんですけど」
多様性だの男女平等だの言われている時代に、ツイート内容で性別を決めつけるのはよくないと思うが、僕は市田明日をずっと男だと思っていた。一人称は「ワイ」で、やたらどぎつい下ネタばかり言うし、ネットミーム化してる裸のおっさんの画像をRTしたりしてたし。
「あー、それはですね、シンプルに出会い厨対策です。DMでちんちんの画像送られたくないじゃないですか。いやでしょ、通知来たと思ったらちんちんだったら!」
「それはわかりますけど、午前中から公共の場でそんな単語を連呼しないでくださいよ」
なんか周りから一瞬で人がいなくなった気がする。見た目は美少女だが、中身はネット上と同じような感じの人なのかもしれない。
「ま、あまりに男だと思われすぎた結果、投稿した萌えイラストを『これだから男は』って叩かれたこともあるんですけどね」
ネナベするのもメリットばかりではないらしい。
「改札前でずっと話すのもあれですし、とりあえず地上に出ませんか」
「あ、そうでしたそうでした。まずはどこへ行きましょう」
「市田さんはどこか行きたいところあります?」
「とりあえずオタロードのメイトとメロブですかね。新刊買いたいんで」
僕らはオタロード方面に近い5番出口から地上に出た。
ずっと地下にいたので、外の光がより眩しく感じられる。
「あ、そうだ。私の方だけ本名を知ってるというのも失礼ですよね。申し遅れました。二年三組の笠置(かさぎ)つゆりです」
市田さん、もとい笠置先輩はそういうとぺこりと頭を下げた。
「まさかの先輩だったんですか……」
初めて知る情報が多すぎて脳が追いつかない。
「むしろ、私の学年知らなかったんですね。何度も図書館で顔合わせてるし、胸の学年章くらい普通に目に入ると思いますけど?」
「失礼だと思って、あまりジロジロ見ないようにしてたんで」
「へぇー、真面目すぎて草生えます。そういうところ、私は好きですよ」
好き。笠置先輩の口から出た言葉に思わずドキリとさせられる。
「それで、笠置先輩」
「敬語使わなくても大丈夫ですよ。むしろ、タメ口使ってください!」
「いや、会ったばかりでそれはちょっと」
「FFになってからもう二年になりますし、ネットだとタメ口なんだからいいじゃないですかー」
「そういうもんなんでしょうか」
「それから、つゆりって呼んでください。呼び捨てで」
「いや、タメ口くらいならともかく、さすがに年上をいきなり呼び捨てにするのは抵抗があるんだけど」
いくらネットでずっと繋がってる相手とはいえ、リアルで話すのが初めてという相手をいきなり呼び捨てにするのはためらわれた。しかも下の名前だ。異性を下の名前で呼ぶのなんて、ラブコメなら結構大きめのイベントだろう。
「ダメ、ですか?」
僕がためらっていると、彼女は少し寂しそうな目で、上目遣いで見てきた。これは、呼び捨てにしなければ、拒絶されたと思われて、相手を傷つけてしまうかもしれない。
「……つ、つゆり」
「よくできました。えらいえらい」
つゆりが僕の頭を撫でてきた。
リアルでは初対面みたいなものなのに、距離が近すぎる。
「ところで、つゆりの方はなんで敬語なんだ? そっちの方が年上なんだし、それこそ敬語使わなくていいだろ」
「そんな! 推しである朔くんにタメ口きくなんて畏れ多くてできませんよ」
「推しっていうのもよくわからないんだけど、なんで僕にタメ口きくのが畏れ多いんだよ」
「わかりませんか? 本来なら雲の上の存在の推しが下界まで降りてきてくれて、直々に名前呼んでくださるだけでも畏れ多いのに、タメ口きくなんて、とてもできませんよね?」
「なんか神とか観音様みたいな話になってるけど、要するに神絵師とか配信者とかが自分のことを認知してくれてるだけでも嬉しいから、対等な扱いになると逆に恐縮するみたいな話だろ」
「そうですそうです。さすが朔くん、呑みこみが早いですね!」
「でもさ、その理屈だとむしろつゆりの方が神様的ポジションにいるべきなんじゃないか?」
「へ?」
「だって、市田明日って神絵師じゃないか。まず上げてるイラストが素晴らしいのは言うまでもないとして、フォロワーが2万人もいるし、定期的にバズる。それでいて感想を送ると丁寧に返信してくれる。タメ口が畏れ多いのはむしろこっちのセリフだよ」
「あー、言われてみればそういう見方もありますね。でも、ですね。その市田明日をアカウント作成当初から応援してくれて、イラストを上げる度に感想をくれたのは誰ですか? 一番最初にフォロワーになってくれたのは誰ですか? SKさん――朔くんですよね?」
「市田明日が神絵師になれたのは、つゆりの才能と努力の結果だろ。僕はフォロワーとして繋がってただけで、誇るようなことはなにもしていない」
「でも、朔くんがいなければ市田明日は描くのを途中で辞めてたと思います。フォロワーを推すのくらい好きにさせてください!」
「まあ、そこまで言うなら……でも、年下のこっちがタメ口で呼び捨てにしているのに、年上のつゆりがくん付で敬語まで使ってるのはやっぱり違和感あるんだよ。お互いタメ口とかじゃダメなのか」
「だから畏れ多いんですって!」
「面倒くさいな」
「そうです、私は面倒くさい女です!」
「なぜそこで胸を張る」
「でも、本当にうれしかったんですよ。フォロワーが少なかった頃は絵を上げても全然反応がなかったですし。毎回感想をくれるのがどれだけ励みになったことでしょう。しかも、バズって有名になってからも態度を変えずにいてくれましたからね。フォロワーが増えて有名になると、やっぱりみんな態度変えちゃうんですよ。昔は対等にやり取りしてくれた人が、ちょっとよそよそしくなるといいますか。フォロワーの少ない自分ごときが軽率にリプ送っていいんだろうか、みたいに思われてしまうんですかね」
彼女はえへへとはにかみながら、毛先を指でクルクルと弄ぶ。
その仕草には妙に既視感がある。図書館で会った時にもやってたのかな。
「ま、そういうわけで、私にとって朔くんは神様なんですよ。神様仏様稲尾様棚倉様、かしこみかしこみ」
なぜか僕に対して二礼二拍手一礼をしてきた、けったいな女から、僕は少し距離を取る。
「
「意味わからんと唱えてるだろ、君」
敬虔な仏教徒が聞いたらブチギレそうな適当な文句を唱えるつゆりに僕はツッコむ。
「えへへ、なんとなく色んなお経を並べてみたらありがたい感じになるかなと」
「さすがに崇拝対象みたいな感じで見られるのは重いんだけどなあ。敬語くらいならそう言う喋り方の人として受け入れられるけど」
僕は頭を掻く。つゆりが僕に感謝してくれているのは嬉しいが、どうも過大評価されているような気がする。
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