:第22話 「鉄と硝煙の臭い」

 歩兵に肉薄された戦車が爆発し、炎上する。

 ———そんなことが、戦場のあちこちで、ほとんど同時に起こった。


(爆薬を……、抱えて……? )


 工兵軍曹がなにかを抱きかかえ、車体の下に飛び込んで行った光景をはっきりと目にしていたアランは、なにがあったのかをすぐさま理解していた。


 戦車という兵器は、周囲からの攻撃に耐えられるように強靭な装甲で防護されている。

 しかも、連邦軍の主力戦車は避弾経始ひだんけいしを考慮した形状であり、傾斜をつけることでその効果をさらに高めている。


 だから、対戦車砲が通用しない。


 では、どうすればよいのか。

 おそらくその葛藤かっとうの末に導き出されたのが、車体の下部に潜り込んで爆薬による攻撃を行う、というものであったのだろう。


 敗残兵たちは、敵の戦車がどれほどに強力であるのか、骨身に染みてよく知っていた。

 前日の戦闘で、彼らはその威力によって蹴散らされていたからだ。


 そして、結論を出したのに違いない。

 あの鋼鉄の怪物を討ち滅ぼすための方法、現状で自分たちが選び得る最良の方法は、ひとつしかない、と。


 強固な装甲を誇っている戦車も、意外と、その車体下部は守りが薄い。

 想定される脅威である対戦車砲や敵戦車からの砲撃を受ける可能性がもっとも低く、強固に防御する必要性を低く見積もられていたからだ。


 ただでさえ重量が増大しがちな兵器だ。

 削れるところは削って軽量化するか、別の、もっと被弾する危険の大きな部分の装甲厚を増やしたり、より強力な武装を搭載させたりしたくなる。


 工兵軍曹たちは、その、見過ごされていた部分を突いた。

 車体の底からならば比較的容易に、そして効果的にダメージを与えることができるのだ。


 ———しかしそれは、非情な手段であった。


 下部から攻撃するための、専用の兵器があればよかった。

 強力な対戦車地雷を仕掛けておいたり、小型の無線操縦車に爆薬を搭載させて潜り込ませ、遠隔起爆したり。


 だが、この場にそんなものは存在し無かった。

 敵軍によって滅多打ちにされた敗残兵たちにとっては、手に入るモノがすべてであったのだ。


 戦車が通過するのを感知して、ひとりでに起爆したり、無線操縦できる小型車両も遠隔操作で爆破したりできる装置もない。


 だから、手で行う。

 自ら爆薬を抱えて敵戦車の下部に潜り込み、そして、自身を起爆装置として、その手で爆破するのだ。


 その効果は目に見えている通りだった。

 あれほど撃ちまくってようやく停止させるのが精いっぱいであったものが、燃えて、黒煙を噴き上げている。


 ただ、———それを成した者は、どうなるのか。


「なんで……、なんで、あんなことを……? 」


 アランは愕然がくぜんとして、そう呟くことしかできなかった。


 そして、奇跡が起こった。

 先行していた戦車が王立陸軍の歩兵による肉薄攻撃を受け、次々と破壊されたのを目にした連邦軍の装甲部隊は、急に引き返し始めたのだ。


 陣地を蹂躪じゅうりんしていた車両のひとつのハッチが開き、空中に向かって昼でも視認できる発煙弾が打ち上げられる。

 それを合図として、鋼鉄の怪物たちは後退していく。


 歩兵たちの捨て身の反撃を受けて、随伴歩兵を伴わない現状では陣地を突破できないと判断したのか。

 あるいは、地雷原が広がっている、とでも誤認したのかもしれない。


 連邦軍の戦車部隊は、本来であれば友軍の歩兵部隊の支援を受けているはずであった。

 しかし、王国の防衛線を突破した後、戦果を拡張するために機動力のある戦車部隊だけでひたすらに前進を続けて来たために歩兵を置き去りにしてしまい、容易に王立陸軍の将兵の接近を許すような状態となっていた。


 おそらく強引に攻め続ければ、このささやかな抵抗を排し、突破を続けることだってできただろう。

 だがそれでは損害があまりにも膨大になるため、連邦軍は一時的に後退することを選択したのだ。


 彼らは圧倒的に優勢な兵力を誇っている。

 だが、ここから先、王国の首都・フィエリテ市に至るまでの間に、王立陸軍はあらゆる抵抗を試みるだろう。

 さすがの連邦軍もこの短期間で、戦力を失い過ぎるわけにはいかなかったのだ。


 突然、予想もしていなかった形で戦闘が終結したため、アランたちはしばらくの間、呆然自失としていた。

 しかし、すぐにヴァレンティ中尉から負傷兵の救護と、残敵の掃討を命じられて我に返る。


 そこには惨状が広がり、まき散らされた血と焼けた鉄が入り混じった臭いと、大量の火薬が爆ぜた硝煙のかおりが充満していた。


 そこかしこに炎がくすぶり、撃破され、あるいは擱座かくざした戦車が不気味にたたずんでいる。

 急いで築かれた陣地は見る影もない。生えていた木々は打ち砕かれ倒れ伏し、石垣は崩され、塹壕はキャタピラによって踏み潰されて埋まり、破壊された対戦車砲が虚しくその骸をさらしていた。


 砲撃で耕され、穴だらけになった地面。

 そこには、土くれと遺体の破片とが入り混じっている。


 濃密な死の気配に、思わず吐き気がこみあげて来る。

 もっとも、死んだ者は、実際のところ大きな問題ではなかった。

 彼らにとって必要であるのは魂の救済であり、平穏であって、生ある者の手を求めることはもう、ないからだ。


 重大であったのは、生きている相手だ。

 戦闘の結果生じた王立陸軍の負傷兵たちの救護、そして身動きが取れなくなっただけで無力化のされていない、敵戦車の後始末。


 兵士たちは、傷ついた仲間を必死に救い出そうとした。

 負傷して身動きの取れなくなっている者にできる限りの応急処置を施し、麻酔を打って苦しみを和らげ、水を飲ませる。

 大隊に随伴ずいはんしている衛生兵の手だけでは足りず、多くの兵士が救護に加わった。

 そして、塹壕に生き埋めにされたり何かの下敷きにされたりした者を掘り起こし、引っ張り出していく。


 こうした救出作業が進められる一方で、他の連邦軍に置き去りにされた敵の中戦車の息の根を、一両一両、止めていく。


「降伏しろ! 国際協定は保証してやる、無意味な抵抗はよせ! 」


 まずは、そう声をかける。

 一部は抵抗を諦めて投降に応じたが、大抵は、無視された。


 言語が分からず、こちらの呼びかけを理解できていないのか、あるいは意図的に無視しているのかは、分からない。

 だが、そうなった時の後味は悪かった。


「オイみんな、援護してくれ。……やい、新入り。お前も、しっかり頼んだぜ? 員数に入ってるんだからな」

「わ、分かりました! 」


 擱座かくざさせた敵戦車に三回、投降を呼びかけても返事がないことを確認すると、ベイル軍曹から敵の掃討を命じられたパガーニ伍長はそう言い、手榴弾を手に、恐怖に強張った表情で双眸そうぼうを見開いたまま、じりじりと近づいていく。

 分隊の数名と共にその支援を命じられていたアランは緊張した面持ちで、ハッチのある辺りに銃の照準を定め、敵が動いたらいつでも発砲できるようにして見守った。


 敵は、反応を見せない。


 嫌な沈黙が満ちている。

 他の敵戦車は、投降を呼びかけられた際に中から突然反撃して来て、王立陸軍の将兵が犠牲になる、という事例が起きているからだ。


 敵の射線に入り込まないように銃眼を避けながら、パガーニ伍長はゆっくりと進んでいく。

 そして十分に接近すると駆け出し、車体に躍り上がると、ハッチを薄く開いて中に手榴弾を滑り込ませた。


 響く悲鳴と、怒号、わめき声。

 伍長が戦車から飛び降りて地面に伏せるのと同時に、投げ込まれた手榴弾は爆ぜ、辺りは再び静かになった。


 敵兵がどうなったのか、直接確かめたわけではない。

 だが、想像はつくし、それをわざわざ見たいとは思わない。


 アランは胸の底が締め付けられるような緊張感と、臓腑ぞうふの底に鉛を仕込まれたような陰鬱いんうつを覚えながら、この嫌な仕事を遂行していった。

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