:第17話 「初戦闘」

 前方に広がる、王国の西部国境地域の平野。

 見渡す限りの田園だ。

 区画分けとしての役割を持った防風林や、低い石垣が連なり、時折、農家や林、貯水池などの姿がある。


 朝日が昇って周囲が明るくなった時、見えていたのはその景色と、地平線の向こうに数多くたなびく煙だけだった。

 連邦軍の攻撃を受けた町や村、王立軍の基地などが炎上し、燃え尽きようとしているのだと教えてくれる、禍々まがまがしく立ち上る白煙。


 辺りにあったのは静寂だった。

 戦争という脅威が眼前に迫りつつあるのに、不思議と周囲は静かで、どこか現実感がない。


 だがその中に、変化が生まれる。

 わずかなうねりを持った地形の中に黒い点があらわれ、それがどんどん、大きくなってくる。

 少し目を凝らせば肉眼でもすぐに、それは田園の中を突き進む車両が突進してきているのだと分かるだろう。


 左右に多くの車輪を連ね、勢いよく無限軌道キャタピラを回転させながら、真っ直ぐ畑を突っ切って向かって来る、鋼鉄の塊。

 濃緑色に塗られた車体の上部には全周旋回することのできる砲塔が乗っており、細長い砲身が突き出て、逆光を浴びて鈍く光っているのが見て取れた。


(戦車だ! )


 アランは自らの鼓動が一段早くなったのを知覚しながら、息苦しさを覚えていた。


 アレが、国境地域を守っていた友軍を蹴散らした、連邦の強力な兵器なのだ。

 あの戦車たちが昨夜、この場所を通過していった友軍たちを、あのような惨めな姿に変えた。

 それが、———数えられるだけで、七両。

 後続がいるのかどうか、周囲に歩兵がいるのかどうかは、まだ、よく見えない。


(……でも、なんだか、変だな? )


 アランは違和感を覚えていた。

 七十五ミリの野戦砲クラスの戦車砲を装備している、というから、王立陸軍の重戦車みたいなものを想像していたのだが、今向かって来ているのはなんというか、それよりも一回りも二回りも小さく、思っていたよりずいぶんと貧弱に思えたのだ。


 しかも、装甲に傾斜がついている、という話だったはずなのに、ほぼ垂直に切り立って取りつけられている。

 車体前面は確かにキツイ傾斜がついている様子だったが、途中から急に垂直になるのだ。

 おそらくは搭乗員のスペースを確保するために箱型の構造を取っているのだろう。


(教えてもらったのとは、別の種類の戦車なのか……? )


 それでも、本当に連邦軍がこちらに向かって来ている、というのは間違いなかった。

 田園を突っ切って疾走しているあの戦車たちの姿は、王立陸軍が保有しているどんなものとも異なっていたからだ。


≪第三小隊長より、各分隊。事前に申し合わせていた通り、射撃距離一千メートルから攻撃を開始する。第一防衛線が射撃を開始しても、こちらの間合いに入るまで攻撃はするな。A分隊の射撃開始を待て。先に敵と戦っていた部隊から、敵戦車は非常に強力であるとの報告を受けている。可能な限り弱点を狙え。以上≫


 無線のヴァレンティ中尉からの指示を聞きながら、砲の操作を任されているルッカ伍長は照準器のスコープをのぞいてハンドルを細かく動かし、左右の旋回角を調整し、俯角ふかくをつけ、射撃開始予定地点の辺りに狙いを合わせる。


「おい、新入り。いつでも砲弾を持って行けるように、準備しておくぞ。多分、徹甲弾だ。先に箱を開けよう」

「了解です」「わかりました」


 対戦車砲に素早く弾薬を供給するのが、アランたちの役割だった。

 セルヴァン上等兵からの指示を受けた新人二人は小銃をベルトで背中に担ぐと、さっそく、塹壕の底に置かれた木製の弾薬箱のフタをバールでこじ開け、砲の側まで運べばすぐに取り出して装填することができるようにしておく。


 そうしている間にも、敵戦車は着実に接近し続けていた。

 畑に深々としたわだちを残しながら、石垣を乗り越え、踏み砕き、進んで来る。


 耳を澄ませば、キャタピラのきしむ音が聞こえ始めている。

 その音に集中しているアランの額に、緊張でじんわりと冷や汗が浮かんできた。


 そして、対戦車陣地パック・フロントが構築されている丘の裾野に到達する以前、アランたちの位置から千二百メートル先の防風林を突き破って姿をあらわした瞬間。

 第一防衛線に展開していた十八門の対戦車砲が、一斉に火を噴いた。


 射距離一千メートルでの、狙いすました精密な射撃。

 敵はこちらの存在に気づくことなく、横一列に広がって真っ直ぐに向かって来ていたから、訓練で動かない的を撃つのとほとんど変わらない感覚だった。


 毎秒八百メートルにも達する初速で砲口を飛び出した六百グラム余りの鋼鉄の塊は、一秒と少しというわずかな時間をかけて飛翔し、そして、ほぼ垂直に切り立った敵戦車の装甲鈑を突き破り、その弾頭の内部に秘めた信管を作動させ、数十グラムの火薬を炸裂させた。


 徹甲弾は貫通力を高めるために高い強度が求められるから、基本的にほとんど鋼鉄の塊として作られる。

 だが、内部にまったく炸薬が充填されていないわけではなかった。

 敵の装甲を突き破った後、可能な限り深く、広範囲に損傷を及ぼすために炸裂し、いくらかの断片に分裂して飛散するように設計されている。


 榴弾と異なるのは、ひとつひとつの断片が大きく重く、ある程度の塊となる仕組みになっていることだった。

 細かな破片をまき散らして広い範囲を殺傷するのではなく、ある程度の運動エネルギーを持った裂片(Splinters)を発生させ、敵の深部まで飛び込んで破壊するのだ。


 もしそこに乗員がいたら、その肉体は容易に引き裂かれ、赤黒い霧となって飛散することだろう。

 被弾した、と認識する間もなく一瞬で、その者は絶命するのに違いない。


 そして乗員の身体を貫いた裂片(Splinters)は、それだけでは止まらない。

 車体を構成する薄い構造部材や機器を貫き、反射して飛び回り、その運動エネルギーを消耗しきるまで暴れ回る。


 一個対戦車砲小隊、三門からの集中射撃を受け、たまたま他より前に出て先頭になっていた連邦軍の戦車が爆発、炎上した。

 別の対戦車砲小隊からそれぞれ射撃を受け、被弾した他の二両もまったく同じ運命を辿り、炎と黒煙をあげて停車する。


 攻撃を受けた。

 そのことに気づいた他の敵戦車は、まるで、慌てふためいているようだった。

 ある車両は猛然とエンジンをふかし、濃い排煙を排気ノズルからまき散らしながら加速し、別のものは急いで方向転換しようとして、同じように急旋回した仲間と衝突して身動きが取れなくなってしまった。


 そうやって隊列を乱した敵など、カモに過ぎない。

 自分から羽をきれいにむしった上で調味液の中に飛び込み、下ごしらえを済ませてから、アツアツのオーブンの中に踊り込んでくれるようなものだ。


 アランたちB分隊が射撃を開始するまでもなかった。

 素早く装填し、狙いを定めた第一防衛線の対戦車砲群は第二撃を加え、逃げ惑う連邦の戦車を火だるまに作り変える。

 弾薬に引火したのか、敵の内の一両は大爆発を起こし、空中に吹き飛ばされた砲塔がくるくると激しく回転しながら落ちていく光景も目にすることができた。


 第二一七独立対戦車砲連隊・第二大隊と、王国の防衛線を突破して突進中の連邦軍との初めての交戦は、王立軍の勝利に終わった。

 一部の対戦車砲は有効射程の関係で発砲することすらもなく、接触した一部だけの戦力で撃退することに成功したのだ。


 生き残ったのは、たったの一両だけであった。

 そこには冷静で頭の回る搭乗員がいたらしく、衝動的に逃げ回ることなく周囲の状況を把握し、撃破された友軍戦車の残骸に隠れて被弾を回避し、そのまま急いで引き返していったからだ。


 生存者は他にはいなかった。

 何人か、撃破された戦車からハッチを開いて人影が飛び出して来たものの、その身体にはすでに炎がまとわりついており、地面の上をのたうち回ったり、手足を振り回して奇妙な踊りを舞ったりした後に、動かなくなった。


「おおお! やった、やったぞ! 」

「なんでぇ、あの工兵隊の軍曹、脅かしやがって。敵さん、大したことねーじゃねぇか」


 それは、鮮やか、というよりも、拍子抜けしてしまうような勝利であった。

 あちこちから歓声があがる一方で、パガーニ伍長のように安堵したように憎まれ口を叩く者もいる。


「やりましたね! わたしたち、勝っちゃいましたよ! 」


 隣にいたG・Jも無邪気に喜んでいたが、アランは生返事しかできなかった。

 ———どうにも、胸騒ぎがしてならない。


(あんな敵なら、国境の防衛が破られるはずがない……)


 その危惧は、的中していた。

 先ほどとは比べ物にならない規模の連邦軍が、迫りつつあったのだ。


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作者注:本話で撃破されているのは、ソ連のT26軽戦車かそれをモデルにした同等の軽戦車、とお考え下さい。

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