:第12話 「夜半:1」
いつ、敵との交戦になるのか。
その不安は常につきまとっていたが、アランも、他の分隊の仲間たちも、泥のようになって眠った。
汗と土にまみれた王立陸軍の野戦服は決して着心地が良いとは言えない状態になっているはずなのだが、まったく気にならない。
背負って来た
そして、四時間後。
「ほら、起きな、新入り。交代の時間だよ」
ぐっすりと熟睡していたアランは、ルッカ伍長の軍靴で軽く蹴り起こされた。
「んあ? 」
寝ぼけた顔をあげ、しばらく呆然とする。
夜空に月が浮かび、冷たい光で辺りを淡く照らしている。
(ああ……、出産かな? )
こんな夜中に叩き起こされることにはデジャヴがあった。
故郷の牧場では家畜たちを飼育し、繁殖もさせていたのだが、出産は夜間に行われることが珍しくない。
そしてアランはよく、その手伝いに駆り出されていたのだ。
赤ん坊を生む、というのは、大変なことだ。
危険もつきもので、出産中のトラブルで命を落としてしまう家畜も少なくない。
だから、人間が出産を補助してやる、というのが当たり前だった。
外から手伝って赤ん坊を引っ張り出してやれば生む方は楽だし、生まれる方も無事に生存できる確率が高くなる。
こうやって乱暴に夜中に起こされるというのは、故郷での懐かしい暮らしを思い起こさせた。
「しゃんとしなよ、新入り。これから二時間、しっかり見張らないといけないんだからね? 」
だがそう指摘されると、アランは今自分がどこに、なんのためにいるのかを思い出すことができていた。
段々と目のピントが合って行き、月明かりの下で呆れた顔でこちらを見下ろしているルッカ伍長の姿が見えてくる。その隣では、G・Jが眠たそうにあくびを我慢して、口の辺りをもにょもにょとしている。
(俺も、しっかりしないと)
ルッカ伍長はさすがに本職の軍人だ、と感心するのと同時に、気を引き締める。
演習場から出撃し、実弾も受け取って、野戦築城まで行ったというのにまだ戦争が始まったという実感は持てずにいたが、見張りの重要さは理解しているつもりだった。
油断している間に敵が接近してきて、寝首をかかれでもしたらたまったものではない。
アランは自身の
弾薬がきちんと装填済みであるのを確かめると、銃のベルトを肩にかけながら立ち上がった。
「カルロ、交代だよ」
「おっ、ありがてぇ」
対戦車砲がすえつけられているメインの塹壕を出て、その前方に掘った塹壕、歩兵が一人だけ入ることのできるいわゆるタコ壺に向かうと、その中ではパガーニ伍長が軽機関銃を手に寒さに耐えていた。
五月の下旬だったが、まだまだ、夜間となると肌寒い。
「とりあえず、今のところは異常なし、だ。だけどよ、西の方角、なんか燃えてるみたいだぜ」
「……連邦の攻撃によるもの、だろうね」
「そうだろうさ」
パガーニ伍長の言う通り、暗闇に沈み込んだ地平線の向こうに、うっすらと明かりがちらついている。
夜空の中に赤色や橙色の光が浮かび上がり、吹き上がる濃煙が不気味に照らし出されている。
国境に近い街や村が燃えているのだろうと思われたが、しかし、詳細はわからない。
その光景は、戦争が始まっているのだということを思い知らせて来るものだった。
少なくとも[敵]は本当に攻撃を行ってきているし、あの炎が燃えている辺りまでは、すでに戦火が及んでいる。
耳を澄ますと微かに、砲弾が炸裂する音が聞こえる気さえした。
「それじゃ、オレ様は休ませてもらうぜ。……おう、新入り、きっちり見張ってくれよ? 居眠りなんかするんじゃねぇぞ? 」
「カルロ、それくらい、新入りも分かってるさ。さっさと戻って休んどきな」
「へいへい。……おい、寒いからな、気をつけろよ? 」
軽く肩をすくめてそう言い残したパガーニ伍長は、軽機関銃を担ぐと、タコ壺を明け渡して下がって行った。
「それじゃ、フルーリー一等兵は右に。ジョーンズ一等兵は左に行って、先にいるミュンターとモルヴァンと交代しておやりな」
「了解です」「わ、わかりました」
入れ替わりにタコ壺に入り込みながらルッカ伍長に命じられ、うなずいたアランとG・Jは二手に分かれ、同じように見張りについていた仲間と交代を行った。
正直言って、四時間休んだだけでは疲労は消えなかったが、意外なことに眠気はほとんどなくなっていた。
地平線の向こうで燃えている炎を目にしたせいだろう。
(もう、あんなところまで……)
ここは国境から四十キロメートルの場所。
火災が起こっているのはおそらく、さらに十キロメートル以上も西に行ったところであるはずだったが、すでに国境から三十キロメートル近くまで敵が入り込んで来ている、ということになる。
このペースで行けば、明日には、自分たちも敵と接触しているかもしれない。
前線の味方に即座に合流するのではなく、後方で
それだけ敵の進撃が速いのだ。
出撃命令が出された時点で、すでに国境地域での防衛は困難であると見なされていたのだろう。
なんとか戦っている味方と合流できたとしても、応戦する準備を整える間もなく突破されてしまう。
そんな事態になることを避けるため、辛うじて迎撃の用意ができる時間的な
(味方は、どうなったんだろう……? )
イリス=オリヴィエ連合王国の西部国境を守る王立陸軍・第二軍は、二つの歩兵師団、一つの機甲師団、一つの砲兵師団(アランたちが所属する第二一七独立対戦車砲連隊も所属する、各師団の増強に使われる砲兵群)、そして戦時動員によって編成される二つの予備師団から成っていた。
おそらく、侵攻して来た連邦軍を迎え撃っているのは、臨戦態勢にあった三つの師団だろう。
だが、戦況はあまり良くはなさそうであった。
少なくとも国境地帯に築いてあった防衛線での迎撃は、失敗に終わっているはずだ。
そうでなければ、今アランがいる場所から火災の明かりが見えるはずがなかった。
もし、味方の三個師団でどうしようもないほどの敵が押し寄せてきているのなら。
厳しい訓練を積んできたという自負はあるものの、たったの一個対戦車砲大隊では、どうすることもできないのではないか?
そう思うと、不安と緊張で、とても居眠りなどしていられなくなる。
敵の侵攻を阻止できておらず後退を余儀なくされているのだとしても、国境を守っていた友軍には、全滅とか、壊滅とかはしていないで欲しい。
そう願いながら、
———微かに、なにかが動いた気がする。
月明かりの下で、先にヴァレンティ中尉が射撃目標として指定した、丘の麓の防風林の辺りで人影が揺らめいて見えたのは、見張りを交代してから三十分ほどが経ってからのことであった。
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