:第8話 「機動」
突如として出動を命じられた第二一七独立対戦車砲連隊・第二大隊の出撃準備は、満足のいくものとはならなかった。
それは、彼らが命令を受け取った時、本来の根拠地ではなく、出先の演習場にいた、というのが大きい。
最低限必要な物資や弾薬は演習場近くの基地の備蓄から入手することができたが、無いものもあったのだ。
たとえば、昨今の戦車の重装甲化に対応するため、不足しがちと見なされている砲威力を補うために新開発されて配備が始められた特殊徹甲弾。
希少金属であるタングステンを弾芯に用いた高初速徹甲弾は進化した戦車に対する必殺兵器と考えられていたが、高コストであるため配備数が少なく、どこの弾薬庫にも在庫があるわけではなかった。
別の基地から追いかけて送ってもらえる、という話にはなっていたが、戦時に突入し、敵の攻撃が予想されている中で確実に届くという見込みはない。
おそらくだが、今ある手持ちの弾薬だけで戦うこととなるだろう。
しかも、歩兵の随伴がいない。
独立対戦車砲連隊は、連隊とは言うものの、実質的にそこに属する大隊単位で必要な場所に単独で派遣される。
そしてそこにある味方歩兵部隊と合流し、その火力を発揮して戦闘を有利に進めることを役割とした部隊だった。
だが、今回に限っては、連携するべき味方の歩兵部隊がないままでの出撃であった。
近くに適当な歩兵部隊がいなかった、というのもあるのだが、それだけ急いで展開することが求められている状況でもあったからだ。
軽機関銃や、自衛のための小火器を保有してはいるものの、歩兵がいない状態での交戦には一抹の不安が伴う。
とにもかくにも、アランたち第二一七独立対戦車砲連隊・第二大隊は演習場を離れ、出撃し、予定戦場に向かって機動を開始した。
戦機に間に合うことがなによりも求められていたからだ。
食事を摂る合間もなく、準備の整った中隊から順に行軍を開始する。
ヴァレンティ中尉に率いられた第一中隊の第三小隊は、真ん中よりも少し早い順番で出発した。
アランが所属する分隊、B分隊の陣容は、以下のようなものであった。
:分隊長・対戦車砲指揮官
フランシス・ベイル 上級軍曹
:砲員
マリーザ・ルッカ 伍長
ダニエル・ミュンター 上等兵
:弾薬運搬チーム
ブルーノ・セルヴァン 上等兵
アラン・フルーリー 一等兵
ジンジャー・ジョーンズ 一等兵
:軽機関銃チーム
カルロ・パガーニ 伍長
ビーノ・メローニ 上等兵
パトリス・モルヴァン 上等兵
:主要装備
M三六八七・三十七ミリ対戦車砲・B型 一門
弾薬運搬車 一両・携行弾薬 二百発
ばんえい馬 二頭(オレール、ファビア)
背負い式携行無線機 一式
M三六九六・七,七ミリ軽機関銃 一丁
M三六八二・九ミリ短機関銃 四丁
M三六四四・七,七ミリ歩兵銃(旧小銃) 四丁
他、拳銃など
王立陸軍の標準的な対戦車砲分隊は、砲一門を中核として、九名の兵員によって構成されていた。
分隊長が砲指揮官を兼ね、他に砲員二名がつき、それを三名の弾薬運搬手が支援する。
軽機関銃は、対戦車砲を展開する間の援護や、接近を試みる敵の歩兵部隊を拘束したり、制圧射撃を行って戦車と随伴歩兵を分断したりする役割を担っている。
短機関銃の配備数が多いのは、砲員などの自衛火器として、また、軽機関銃の再装填中に制圧射撃を代行できる自動火器が必要であるからだ。
そして、旧小銃というのは、文字通り古い規格のライフル銃だった。
M三六四四・七,七ミリ歩兵銃は、王立陸軍で採用された、初のボルトアクション式連発銃だ。
登場当時は世界水準の性能を満たしており、主力兵器として大量に、それも長年に渡って生産され、近年の戦況に合致するように改良された新小銃が誕生した現在でも支援部隊や後方部隊に配備され続けている。
銃身長は八百ミリ、全長は千三百ミリ。
まだ騎兵突撃が重大な脅威を見なされていた時代に誕生したため、銃剣を装備して簡易的な槍として使用可能な長大な寸法を有している。
加えて、一千メートルでの集団射撃に対応するため、標尺板を装備している。
標尺板というのは中央にスリットの入ったメモリのついた板で、その上を動かすことのできる遊標照門を備えている。
この標尺板を立て、任意の数値に遊標照門をセットして照星と合わせて狙いをつけると、銃に適切な仰角がつき、遠距離の目標を射撃することができる仕組みになっている。
こうした装備を整えた上での行軍は、———徒歩であった。
ばんえい馬の操縦を担当するアランも、セルヴァン上等兵も乗馬せず、他の仲間と同様に背嚢を背負い、装備を担いで、手綱を引いてテクテクと歩いて行く。
兵器の能力としては、自動車での移動が前提となっていた。
そもそもM三六八七・三十七ミリ対戦車砲・B型というのは、A型を運用する上で判明した不満点を改良し、同時に、車輪を金属製からゴムタイヤに変更することで自動車での高速牽引を可能とするために生まれた砲であった。
しかし動物に頼り続けるとなると、ガソリンさえあればしばらくは動かし続けることのできる自動車と比較して、毎日専用の糧秣をかなりの量与えなければならないし、時には病気もするし、いろいろと不便なところがあった。
それになにより、馬というのは簡単には増やせない。
馬の繁殖には年単位が必要で、長期的な見通しを立てて計画的に行わなければ必要な数をそろえることができない。
これに対して、自動車は、一度工場さえ完成してしまえば馬よりもずっと短期間で、より多くの数を供給することができる。
しかも、生物としての能力の限界のために牽引力と速度が制限される馬に比べて、自動車はもっとパワフルで、高速で砲を引っ張っていくことができる。
機動力が求められる独立対戦車砲連隊は、こうした理由で自動車化されていなければならない部隊だった。
しかし、王国の予算不足が、彼らを旧来の
このため、徒歩での行軍を強いられる。
馬の能力では、砲一式と二百発の砲弾と共に全員を乗せて、長距離を迅速に機動することは困難であったのだ。
全員分の馬を用意出来ればよかったのだが、それも予算不足によって実現できていない。
分隊は砲を
馬の操縦を行う者も騎乗するのではなく、手綱を引きながら自分の足で移動するのだ。
「へっ。いつもことさね。こちとら、歩き慣れてらぁ」
個人で携行できる火器としてはもっとも重く、十キロは優に超える軽機関銃を担いだパガーニ伍長はそう言って強がってみせたが、昼食を食べ損ねたままであるだけにさすがに辛そうだ。
だが、分隊にとっての戦いはまだ、始まったばかりであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます