:第7話 「対戦車猟兵:2」
王立陸軍で広く運用されている対戦車砲、M三六八七・三十七ミリ対戦車砲・B型は、この用途の同クラスの火砲と比較すると、平凡な性能を持っていた。
水平鎖栓式の砲は、左右旋回角度六十度、
その砲口初速は、秒速八百メートル弱。
最大射程は六千メートルとされてはいるものの、これはあくまで届くだけであり、実戦ではもっと近い距離で使用され、一千メートル程度が間合いとされていた。
数百メートルという距離での正確な射撃を可能とするため、照準は目視ではなく倍率四倍の単眼式スコープを用いた照準器によって実施する。
肝心の威力は、垂直に立てた均質圧延鋼鈑に対し、徹甲弾を用いて、距離二百メートルで六十三ミリ、距離五百メートルで五十六ミリの貫通力を発揮する。浸炭処理を施し表面を硬化させた防弾鋼鈑の場合は、これよりも貫通力が二十パーセント程低下する。
他に、歩兵支援用の榴弾、および自衛用の榴散弾、その他、発煙弾や照明弾を発射することができる。
その名の通り、誕歴三六八七年に制式化され、配備が開始された兵器だった。
王立軍で長年使用されて来た小型・軽量な火砲であるM三六六七・二十ミリ軽歩兵砲を原型として、改設計する形で開発されたこの大砲は、重量を少しでも減らすためという目的と、敵からの被発見率を可能な限り低下させるために非常に低い全高を持っている。
待ち伏せに最適化された設計だ。
そしてこの砲には、浸炭処理を施された防弾鋼鈑が備えつけられている。
これは、敵の、同クラスの火砲と撃ち合うための装甲などではなかった。
そんなものを取りつけていてはあまりにも重量がかさみ、
そんなことをするくらいならば思い切って、もっと重量があって、巨大で、威力の大きな大砲を作った方がいい。
降り注ぐ砲弾からの破片防御としても、不十分なものであった。
装着されているのは傾斜のつけられた平たい鋼鈑に過ぎず、その厚みは敵の野戦砲の榴弾の破片を受け止めるのにさえ心もとないものでしかなく、加えて、防御範囲も限られ、左右と後方、そして上面は完全に
これでは、直撃はもちろん、至近弾からでさえ、砲員を保護することはできない。
では、このわずかな装甲がなぜ取りつけられているのかというと、それは、小銃弾を防ぐためであった。
すなわち、対戦車砲とは、敵の歩兵と直接射撃戦を戦う、それほどに近接した間合いで戦うことも想定した兵器である、ということだ。
これは、この時代の小銃が、一千メートルもの遠距離での射撃戦を戦う想定がなされているという事情がある。
第三次大陸戦争よりもさらに前の時代からの、名残のようなものだ。
後装式のライフル銃が開発されたばかりのころは、マスケット銃を使用した集団戦法の影響が強く残っており、歩兵たちは散開隊形を取らずに隊列を組んで戦っていた。
そうした中で、ライフル銃の導入によって増大した有効射程を生かし、従来の戦術であった横隊からの一斉射撃を一千メートル以上の距離でも実施する戦術が考案され、それを実現可能とする性能が小銃に与えられることとなった。
スコープもない、照準器と言えばせいぜい、アイアンサイトだけだった時代。
一千メートル先の目標に命中弾を得るのは非常に困難ではあったが、たとえば、大隊とか、中隊といった部隊単位で、こちらと同様に横隊を組んだ敵の集団に向かってバカスカ撃ちまくれば、弾が届きさえする限りは[誰か]には命中する。
こうした戦法は、歩兵が互いの肩が触れ合うほどの距離で隊列を組んだ密集横隊を捨て、距離を開いて散開し、散兵線を形成して我が身を障害物に隠しながら戦うようになると不合理となって廃れていき、教範からも削除されていったが、それでも、小銃には相変わらず一千メートルでの交戦が考慮され続けていた。
軍隊というのは命がけの組織であるから、一般的に保守的になりやすい。
過去に実績のあるものを信用したがるし、長い有効射程というせっかくの[利点]を捨てることは後ろ髪を引かれる思いのすることだったのだ。
一千メートルといえば、対戦車砲の交戦距離でもあった。
歩兵と共に前線にまで進出し、直接照準で榴弾や榴散弾を発射し、火力を提供して敵の歩兵をなぎ払うことも、歩兵砲を前身とする対戦車砲に求められる任務であったからだ。
もっとも勇敢な兵士。
対戦車猟兵がそう呼ばれるのは、この、敵弾が届く距離にまで接近し、弾雨の中で、頼りない装甲鈑に我が身を託しながら戦うという性質から始まったことだった。
なにより、彼らが戦う戦車とは、恐ろしい兵器だ。
まるで鋼鉄でできた魔物が、おぞましいうめき声をあげながら戦場を走り回っているような存在だ。
しかも、戦車が装備しているのは小銃などではない。
一撃で対戦車砲もろともそれを操作していた兵員を吹き飛ばしてしまう、強力な火砲を装備している。
次の瞬間には、隣にいる仲間と共に四散しているかもしれない。
そんな恐怖に耐えながら、それでも戦車に立ち向かうのが、対戦車猟兵であった。
王立陸軍において、彼らが一般的な[兵]ではなく、[猟兵]、すなわち[
———その力が今、試されようとしている。
ベイル軍曹の号令で一斉に動き出したアランの分隊は、すえつけていた対戦車砲を陣地から引きずり出し、
徹甲弾に、榴弾、榴散弾。
分隊で装備している小火器のための弾薬ももちろんあって、それぞれの弾帯に規定数が装備され、残りは砲弾と一緒に運搬車に積み込まれた。
すべては、あっという間に進んでいった。
それは日頃の訓練の成果であったからかもしれなかったし、それとは別に、アランの意識が緊張のせいで散漫となって、思考に真っ白な霧がかかったようになっていたせいかもしれない。
とにかく、出撃準備はヴァレンティ中尉に命じられた通り、三十分以内に完了し、アランは鉄兜を被って教範通りにヒモをしっかりと締め、自身が担当するばんえい馬、オレールの手綱を引いていた。
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