憎まれたいし愛されたいし
荻野目曇
第1話
(あいつらまた私の悪口言ってんな)
江麻子は誰とも目が合わないように、進行方向のやや斜め下に目線を落とす。廊下の隅に固まった3人組。江麻子に向かって何か言っていることと、それが悪口であることだけはわかる。七瀬とあと二人、いつもつるんでるウザくて派手な女子。来年は中3になるから、クラス替えで一緒にならない限り『あと二人』の名前を覚えることも口をきくこともしないと決めている。だから私は傷つかない。江麻子は移動教室へ急ぐ。
江麻子と七瀬は少し前まで友達だった。小4から3年間、二人は同じクラスで過ごしてきた。江麻子は七瀬と初めて話したその時、何かビビッとくるものがあった。この子とは分かり合えるって思った。好きな音楽を聴いてどの歌詞のどこが好きか語ったりとか、兄の部屋からかっぱらってきた漫画を回し読みしたりとか、一緒に変な味のジュースを飲んで不味いとか意外といけるって笑い合ったりとか。二人でつまんないことを話しているだけでいつでも無敵みたいな気持ちになれる、そんな友達。中学校へ入学すると同時にクラスが分かれてしまったが、それでも顔を合わせればいつでも楽しくて笑い合えた。
二人の関係が崩れたのは中学2年の初夏の頃だった。七瀬のクラスの、妙に人懐こくて背の高い、甘ったるい顔立ちの男。自分の顔が可愛いことを知っていて、女子は自分に話しかけられたら例外なく喜ぶものと思っているような、自惚れた男。きっかけがなんだったかは思い出せない。江麻子は彼とちょっとした知り合いになり、廊下で会うたび軽口を叩くようになった。何度かやりとりを重ねた後も、江麻子は彼についてその顔と、『七瀬と同じクラスの男子』以上のことはほとんどなにも知らないままだった。というか、そのくだらない会話のほとんどをまともに覚えていなかったし、なんなら名前すらあやふやなくらいだった。江麻子は心底彼に興味がなかった。多分彼は、江麻子のそんなつれないところを気に入っていた。
ある時、江麻子は七瀬が挨拶を返してくれなくなったことに気づいた。最初は自分の声が聞こえていないだけだと思い込もうとしていたけれど、まぎれもない無視だというのがどうやら現実だった。七瀬はやがてクラスの友人たちと江麻子の悪口を聞こえよがしに言うようになった。ブス、キモい、ウザい、などの直球のdisが耳に入った。突然の手のひら返しに驚いた江麻子だったが、すぐに事情を察した。七瀬はどうやら好きなのだ、私よりもあいつの方が。顔がいいだけの女たらしが。放課後の教室で、あの男が馴れ馴れしく七瀬の髪を触るのを見た。七瀬は身を捩って甲高い声で笑っている。江麻子はそんな七瀬を見て固まった。悲しくて苦しい、そんな風に思う自分にもびっくりした。やがてその気持ちはつまらない男に恋をしたらしい七瀬への怒りへと変わったのだった。
江麻子は男とじゃれ合うのをやめないことにした。そのアホな男は、江麻子が自分に興味がなさそうに振る舞えば振る舞うほど懐いた。そのうちすれ違うたびに頭をポンポン撫でたり肘で脇腹を小突いたりとスキンシップの加減に図々しさを増していった。江麻子は内心くそだりぃと思いながらも、それを適当に受け流しひらひらと手を振った、
窓の外から七瀬が江麻子を怒りに燃えた瞳で睨みつけているのがわかる。最近の七瀬は化粧をしてをして学校に来るようになった。ファンデとアイブロウ、透明のマスカラ、それからリップ。七瀬は似たようなメイクの調子こいた女友達たちに泣きついては、江麻子についてなんらかの悪口を言っているらしかった。あんなダサいブスより七瀬の方が絶対いいよ、そんな話でもしているのだろうか。まあそれはそう。七瀬の長いまつ毛も、肩のところでくるんと丸まった毛先も、茶色みがかった髪と瞳も、少しそばかすの浮いた赤いほっぺたも、全部全部全部世界一可愛い。覚束ないメイクを引っ剥がしてイチゴの香りの赤いリップを私の唇で拭ってやりたい。
七瀬、私のことをもっと嫌って、嫌って、あの男より私のためにあんたの気持ちをたくさん使って。悩んで、憎んで、苦しめばいい。そんなのってほとんど愛じゃん。
憎まれたいし愛されたいし 荻野目曇 @kumoriumi
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