第19話 馬鹿馬鹿しい!

 木鈴は、再び病床で目を覚ました。頭には包帯が巻かれていて左腕にはギプスがはめられていて、腹にはきつくガーゼが貼られていた。

 激痛を感じると同時に呻き声を上げるも周囲には誰も居ない。だが木鈴は腹を損傷している以上、流石に上手く起き上がれなかった。そしてナースコールを押すのにも一苦労であった。木鈴はいっそのこと叫び声で看護師を呼ぼうかと考えたが、大声を出すと腹に響きそうであったので止めた。

 震える手でナースコールが押されると、軽快な音と供に病室のランプが点灯した。するとしばらくしてから、大勢の看護師達がどやどやと病室に入ってきた。木鈴の病室は個室であったのだが、周囲は一瞬で騒がしくなった。

「木鈴先生!目が覚めたんですね!」

「あんたね、どんだけ周りに心配かければ気が済むのよ!」

「それにしても、銃で撃たれても死なないなんてねぇ、一体どうやったら死ぬのかしら。」

「あーあ。流石に今回は死ぬ方に賭けていたんですけどね。」

「二度と来るなといっただろうこの馬鹿者!」

 看護師達は口々にそう言うと、テキパキとした動作で木鈴の包帯やらガーゼやらを取り替えていった。ガーゼが外れた瞬間に木鈴は思わず呻き声を上げたのだが、その銃創もひどいものであった。こんな傷を受けてよく生きていられたものだと、木鈴自身でも不思議であった。

 その時、遠くの方から、別の部屋のナースコールが聞こえてきた。すると看護師のうち新人の子が出て行って、そして一瞬だけ戻って来た。

「先生!西沢さんも目を覚ましましたよ!」

 すると病室の中に安堵の声が広がった。よかったわねぇ、という声があちこちで上がり、木鈴の肩を揺らしたのであった。しかしながら、木鈴にはこれがいまいちピンときていなかった。

「西沢?それは一体誰の事なんだい?」

 木鈴がそう言った途端、辺りは静まりかえった。だが木鈴は混乱を受け止めきれておらず、早口になって言った。

「というか、なんで僕は腹にこんな大きな傷を受けているんだ⁉銃で撃たれただって⁉僕は恨みをたくさん買っている自覚はあるが、いきなり突然発砲されるなんて事は、まあ、無いことは無いかもしれないけれど、」

「学園長に狩猟用の銃で撃たれたんですよ。」

「学園長に⁉」

 看護師の一人に真相を告げられた木鈴は途端に絶句した。そして本当に何も覚えていない様子の木鈴を見るや否や、看護師達はざわめき始めた。

「木鈴先生、あんた本当に覚えていないの⁉もう結構な大ニュースになっちゃっているけど。」

「もう病院の外とかマスコミで一杯なんですからね!」

 するとその時、新人看護師の子がベテラン看護師達の所に戻って来た。すこし戸惑ったような表情である。

「大変です。西沢さん。怪我は大丈夫そうなんですけど、事件の事全く覚えていないみたいなんです。」

 看護師達は一斉に天を仰いだ。

「迷宮入り、か。」

「こうも全員の記憶が消えちゃっているのは、ちょっと不自然じゃない?」

「じゃあ何か理由があるって訳?」

「誰かに記憶でも消されたんじゃないですかね?」

 木鈴は看護師達の会話について行けていなかったが、ベッドサイドに置かれていた新聞の一面を読んでようやく状況を飲み込んだ。どうやら木鈴は西沢里緒という物質作用学研究室の生徒と一緒に、学生会館裏の森にて学園長から散弾銃で発砲を受けたそうなのである。犯行時現場付近では学園長からイノシシ駆除の令が出されており発砲音を不信に思う人はいなかったらしいが、学園長のスマホからの通報により救急車が到着し、二人は緊急搬送されたようであった。

 しかしながら、この事件には幾つか不可解な点があるようであった。まず、通報があったのは学園長のスマホであるのにも関わらず、これは明らかに学園長が起した殺人未遂事件なのである。散弾銃の広がりから計測した狙撃距離がかなり短いそうで、遠くから別の誰かが木鈴達を撃った可能性はないそうだ。

 そして次にこの通報であるが、全くの無音であったそうだ。無音だけの通報が、救急車の到着するまで何度も発信されていたそうなのである。

 そして最後は犯人の学園長だが、学園長も事件に関しては全く何も覚えていないそうなのである。それどころか、九九も日本語すらも覚えていない状態であるそうだ。精密な検査を行ったところ学園長に脳の損傷はなく、だが嘘を付いている訳でもなく、全ての記憶だけがすっぱりとなくなってしまっているそうなのだ。

 木鈴はあらかた新聞を読み終えると、それを畳んでベッドサイドに放り投げた。いくら読んでも、当事者意識がまるで湧かないのであった。看護師達が手を組んで木鈴にドッキリサプライズを仕掛けているといわれた方が納得できる状態であった。

「何かあったかな?」

 木鈴はそう一人呟くと、晴れ渡った空を眺めてここ最近の学園長を思い出していた。筆の進まない論文に関しての小言しか出て来なかった。だが木鈴は、論文の二文字を思い浮かべると、知らずのうちに大きなものを取り零したときのような、得も言われぬ喪失感に襲われたのであった。


 その後、木鈴の周囲は大変な騒ぎであった。警察・マスコミ・マスコミ・六年ぶりに連絡を寄越した兄・マスコミ・モーリシャス帰りの教授・マスコミ・大家さん・知らないガキ・警察・マスコミの順番で対応に当たる羽目になり、木鈴がゆっくり息をつく事が出来たのは、目が覚めてから四日後のことであった。別にその間一人の時間がなかった訳ではないが、腹部の痛みに魘されてそれどころでは無かったのである。だが木鈴は、人間にしては驚異的な速さで傷を治癒させていた。担当医者からは気持ち悪がられていた。

 大分歩けるようになった木鈴は、看護師に見つかって連れ戻されるまでの間は、病院内をほっつき歩いて過ごしていた。何もせずにベッドの上で寝ているなど、性に合わないのである。そして今日も木鈴はこっそり病室を抜け出して、あちこちの廊下をふらふらと歩いていた。

 すると木鈴の目の前に、両手に角煮サンドを握った入院服の女が現れた。木鈴は一瞬その女が誰か分からなかったが、女は角煮サンドンを大きく振って木鈴の方へ走ってきた。

「あ、居た!木鈴先生!」

「もしかして、西沢君か?」

「はい!そうです。木鈴先生を探していたんですよ。」

「僕を?」

 もう走ることが出来るあたり、西沢も相当な治癒能力を持っているのだろうと木鈴は推測した。そして若き西沢は、両手の角煮サンドを交互に囓ると、痛みとは無縁のニコニコ笑いで事件について話し始めた。

「……いや、何か大変な事になっちゃいましたね。私なんにも覚えていないんですけど。」

「僕もだ。」

 西沢も事件については特に覚えていることがないようであって、これ以上の深い会話はなかった。ただ角煮サンドの美味しそうな香りが二人の間に充満するのみであった。

 木鈴は思い切って聞いた。

「なぁ君、その角煮サンド、片方僕のだったりしなかったか?」

「しましたね。」

 詳しく言えば、その角煮サンドはモーリシャス教授のお手製料理であった。大学校内の森に罠を仕掛けて捕まえたイノシシをイノ丸と名付けた後、教授自ら捌いて角煮にしたものであった。これはモーリシャス教授が普段は啀み合いの相手である木鈴にせめての労いのつもりで出したものであったが、結局西沢のせいで不発に終わった。

だがそんな事は気にせず西沢は突然あ、と呟くと、片手の角煮サンドを高速で食べ終えて、入院服のポケットからあるものを取り出した。それは、二本のL字型金属棒のロッド・ダウジングであった。

「これ、なんだと思います?」

「ダウジングか?」

「ああ、これがダウジングなんですか。ダウジングって石をぶら下げるやつだけかと思っていましたよ。」

 西沢は自分のポケットからそれを取り出したのにも関わらず、それが何であるのか知らなかったようだ。木鈴は正直イノシシ肉は苦手であったので、早速角煮への執着を捨てて興味をダウジングの方に移していった。

「それ、どうしたんだい?」

「何かさっき警察の方が持ってきてくれたんですけど、どうやら私は発見時にこのアイテムを握りしめていたそうなんですよね。でも私、何でこれを持っていたのかも分からないんです。警察の方は事件との関連性は無いと判断しているみたいなんですけどね。」

「僕達、森の中の水脈やら鉱脈やらを発掘しに行っていたのかもしれないな。」

「あると思います?」

「いや、どうだろうな。」

 木鈴は学生会館の裏の森の地形を思い出していたが、そこに何かしらの脈があるとは考えられなかった。だが、わざわざ二人で探しに行って、学園長に撃たれるだけの何かはあるのでは無いか、という気になっていた。

「現場検証が終わったらもう一度それを持って森に入ってみるか。」

 木鈴は、気が付けば西沢にそう提案していた。

「いいですね!もしかしたら埋蔵金とか隠し財宝とか、何か凄いものも掘り当てちゃうかもしれませんよ!」

 西座は、快く提案を受けた。そして早くも発掘作業に必要そうなアイテムを列挙し始めていた。もう片方の手にはまだあった筈の角煮サンドは、もう無くなっていた。

「じゃあとりあえず、まずは退院出来る様にお互い頑張らないとな。」

 木鈴は何故だか優しい声でそう言った。だが、自分でも何故こんなに優しい声が出せたのか分からずに恐怖していた。自分の知らない自分があるようで不気味であった。

 しかしながら西沢は、それを撥ね除けるようにしていった。

「あ、私明日退院します。」

「嘘だろ⁉」

「じゃあ、お先に失礼しますね。」

 西沢はそう言うと、手をひらひらと振ってその場を去ってしまった。木鈴はその元気そうな後ろ姿が遠ざかるのを見て、嵐みたいな奴だった、と思った。そして木鈴が無事退院出来たのは、西沢が退院してから二週間後の事であった。


 もれなく全員の看護師から小突かれて、木鈴はようやく退院の日を迎えた。新人の看護師は先輩に習い、木鈴に二度と来るなと言うのが口癖になっていた。

 大学に戻ってくると木鈴は、せいぜい半月ぶりの通勤であるのにも関わらず、その校舎に懐かしさと愛おしさを感じていた。野暮ったい空気感とくすんだ校舎の色が、実家の最寄り駅のように感じられたのである。そして木鈴の姿に気が付いた生徒達は、一斉にざわめき立って手を振ったりしていた。だが木鈴はそれには軽く手を振り返すだけにしておいて、颯爽と准教授室に向かっていった。

 変わらないなぁ、と思いつつ木鈴は理学研究室棟の階段を上っていった。実際たったの半月では何も変わっていなかったのだが、木鈴はすっかり感傷に浸っていた。そして木鈴は公衆電話のある廊下をこつこつと歩いて行くと、待ち焦がれた物質作用学研究室の前までやって来た。扉の周りには角形交通信号機や、ドードーみたいな鳥の剥製が乱雑に置かれていて、ロッカー上のパキラは天井に付くくらいまで成長を遂げていた。木鈴は変わらないこれらを見やると思わず安堵の溜息を漏らした。

 だが、遂に木鈴が准教授室に帰還しようとしたその時、後ろから木鈴を呼び止める声があった。その声の主は、三竹であった。振り返った木鈴は途端に苦虫を噛み潰したような顔になったが、舌打ちしそうになるのを堪えて三竹に向き合った。

「どうしたんだい。三竹光輝君。」

「木鈴先生、この前は変に貴方を馬鹿にするような発言をしてすみませんでした。」

 なぜか突然謝罪をし頭を下げた三竹に、木鈴は驚きすぎてまたもや気絶するかと思った。そして頬を殴り臑を蹴って夢ではないかどうか確認した。意外なことに、これは現実であった。木鈴は明日隕石でも降るのだろうかと思って窓を見やったが、そこには真っ青の空が広がっているのみであった。

「ど、どうして急にそんな事を言うんだい?」

 木鈴は自分でも分かるくらいには動揺して言った。もし今ここで紅茶カップでも持っていれば、全て零している自信があった。

「実は僕、先生が公衆電話の幽霊に会った後、西沢さんと研究室でお話しされていた会話を聞いていたんです。どうしても気がかりでしたので。」

 木鈴は三竹が一体何の話をしているのか分からなかったが、とりあえず黙って聞いていた。

「僕は勿論、幽霊なんてそんな変なものある訳ないと思っていましたよ。でもここ数日間ずっと、あの公衆電話の様子がおかしいんです。急に受話器が外れたり、雑音が聞こえたりしているんです。そしてこの前興味本位で勝手に外れた受話器を耳に当ててみたんですけど、『許さない』だとか『娘』だとかブツブツ言った後、明らかに『木鈴』って言っていたんですよ!」

「怪談か?」

「事実です⁉」

 必死の形相である三竹に気圧されていた木鈴は、混乱している脳を無理矢理働かせて、三竹の言っている事を順番に理解していこうとした。だが考えれば考えるほど、三竹の言いたいことは木鈴に分からなくなってきていた。それ以前に木鈴は、意外すぎる人物が意外な変貌を遂げているのが、まず受け入れられていなかった。

「死にかけた拍子に死後世界でなにかやらかしてきたんですか?」

「いや、そんな訳無いだろう。」

「じゃあ何なんですか⁉これは⁉」

 三竹は廊下端の公衆電話を指差している。木鈴にはそれがただの普遍的な公衆電話にしか見えなかった。

「ええと、つまり三竹君は、僕が幽霊について何か具体的な事を知っている筈であるから何か幽霊について教えて欲しいと言っているんだな?」

「はい、そうです。」

 木鈴は頑張って三竹の言葉を解釈して構築し直して、世にも奇妙で有り得ない事を言った。それに対し三竹は、真っ直ぐな目をして頷いた。

 木鈴は思わず頭を抱えた。

「幽霊だって⁉そんなものある訳ないだろう。馬鹿馬鹿しい!」

 そして木鈴はそう言った後、いい言葉だ、と思った。


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やっちゃえ!オカルト論文 光田夕 @koooodayuu12

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