第9話 応用精神制御学プロ

「それで、僕は何故こんな場所に呼ばれたんだい?それで一体どこに向っているんだい?もう謎ばっかりだ。何一つ解決しちゃいないよ。」

 激しい攻防戦の後、精神に干渉する術については一つも語らない固いガードに敗れた木鈴は、もう既にほとんどのやる気を失っていた。いじけている、といった方が近い様でもあった。

「実はですね。この死後世界が現実世界の誰かによって襲撃されようとしているんです。」

 やるじゃないか、と木鈴は言いかけて止めた。珍しく嫌味を言わないようにする理性が働いたのだ。こ

「まだ犯人は分からないんですけど、数年前から何度か、現実の誰かが死後世界にアクセスしようと試みているみたいなんです。でも、そんな事したら何が起こるか分からないじゃないですか。」

 木鈴は、まぁそうだろうな、と思った。

「ですが、私は現実世界において特別力がある訳では無いので、他の誰かに手伝って貰いたかったんです。そこで、たまたま運良く社会的地位があって死んでも死ななさそうな木鈴さんが死にかけていたので、ここにお呼びしました。」

 木鈴は彼女にとって、ただ単に都合が良さそうな男であった。

「犯人はきっと、私達の中で密かに守り続けられてきた応用精神制御学を盗み聞きしたんでしょう。」

「応用?」

「精神制御学時代の知識はほとんど出鱈目なので、ちゃんと分けて考えて下さい。」

「そういうのって、もっとこうオカルト的なネーミングじゃないんだな。精神通力とか。」

「何を言っているんですか。古来より発展と成長を続ける立派な学問ですよ。広くは知られていないだけです。オカルトや宗教なんかと一緒にしないで下さい。」

 そんな怪しい格好をしているのに?と、木鈴は言いかけて止めた。三角巾は意味不明であるし、ジャラジャラと輪っかが絡まっているそのネックレスは悪趣味極まりないぞ、と喉元まで出かかっていたが堪えた。木鈴はここ最近で一番発言に頭を使っていた。だが残念な事に、それにも限界があった。

「そんな学問があってたまるか。」

「木鈴さんに言われたくないですけどね。」

「確かにそれはあるかもしれないな。」

 うっかり漏らしてしまった一言にあっさり尻尾を掴まれて、木鈴はぐうの音も出なかった。そして木鈴は、確かに応用精神制御学は物質作用学と同じくらいには、もしくはそれ以上には真っ当な学問かもしれないと納得したのであった。

現に、応用精神制御学の事実は目の前に広がっている。木鈴は学問とは何か、事実とは何か、論文とは何かについてまで考えを巡らせてしまって、勝手に陰鬱になっていた。

「さより君は、応用精神制御学のスペシャリストと言うわけだな。凄いじゃないか。論文は一体何本書いたんだい?」

「論文は書いていませんよ。世間に公表する訳にはいきませんし。」

「どうしてだい?事実を公表して罪になるのかい。」

「死後の世界の正解なんて証明したら、人類は大混乱に陥るでしょう⁉常識的に考えて下さいよ木鈴さん!貴方まで襲撃派の立場なんですか⁉」

「別に僕は最初から君の味方だなんて言っていないじゃないか。」

 木鈴がそう言うと、さより様は途端に顔を青ざめた。しまった、の典型的な表情だ。彼女は髪の毛を握りしめると、俯いて黙り込んでしまった。

 木鈴は、何だかとっても気まずかった。彼女を困らせたい訳ではなかったのだが、この大きな論文のネタを逃す気もさらさら無いので、下手に慰められないのである。先程身を挺して助けて貰った恩もあったが、そもそも彼女が木鈴をここへ連れてこなければ襲われることも無かった筈であるので、難しいところであった。

 だがしかし、論文を書く為には彼女の協力が必要不可欠である。木鈴はどの道、人選を誤った彼女を励ましてやる必要があった。

「あー、君。ほら、僕という人間を選んでしまったのは確かに良くなかったかもしれないな。」

「早計だったんです。西沢(にしざわ)さんからの紹介もあったので。」

「西沢さん?」

「ほら、木鈴さんの大学の公衆電話に居る幽霊です。もし幽霊が見える元気そうな人が居たら教えてって、言っておいたんです。ほら、幽霊が見える人は精神の感受性が強いので、他人の精神でも世界を認識しやすいと言われているじゃないですか。」

 勿論これは木鈴の知らない話であったので、木鈴はありがたく情報を胸に刻んだ。

「みつる君から話しも聞いていましたし、よく分かんない学問だったけど学者だって西沢さん言っていましたし、もう少し分別のある人かなって、思ったんですけど。」

「だいぶ失礼だな。」

 木鈴は色々と言いたいことがあったが、攻撃的にならないように最大限の注意を払って穏やかに話し始めた。普段は全然使わない脳を使っているせいか、酷い頭痛がしていた。

「僕はね、学者というものを正義心でやっているわけじゃないんだよ。これは大抵の学者がそうであると思うけど、ただの好奇心だ。そしてあわよくば論文が注目されて地位が上がって研究費用がわんさか入って同僚からの羨望の眼差しを全身に受けたいと思っている。そこら辺のサラリーマンなんかよりも自己中心的で身勝手な奴だ。」

 さより様は、下唇を噛み締めたまま頷いた。少し突けば泣いてしまいそうな顔である。もし本当に泣きでもしたら厄介だと木鈴は思ったが、幸い彼女は固い顔を崩さずにいた。

「僕は、ただの自己犠牲で命を投げ打ってまで君を助ける事は出来ない。非情かもしれないがね。」

 さより様の口から、小さな吐息が漏れた。木鈴はそれが意味することを考えるよりも先に続けた。

「だから、見返りを求めよう。」

「え?」

「僕は論文を書く。君が嫌だと言っても、君が僕の手を取らなかったとしても、そこに新しい事実があるのなら、僕は書く。君はそれを見逃してくれれば良い。」

 さより様の目が揺れている。木鈴はたたみ掛けるようにして言った。

「死後世界を襲撃しようとしている怪しい奴がいるんだろう?そいつの事は僕が殴っておいてやるさ。調査対象が刺激されると困るからね。」

 木鈴は、握手が出来る様に右手を差し出した。さより様は迷っている様子である。そこで、木鈴は半ば強引に彼女の手を掴み上げてしまった。彼女は驚いて、されるがままに激しい握手をする事になった。二つの手がうねって上下に揺れている。しかしながら、彼女は木鈴の手を振り払う事は無かった。これを見て木鈴は、交渉成立であると解釈した。最後の最後でマイナス百点、平均通りのコミュニケーションであった。

「ところで、このタクシーは一体どこに向っているんだい?」

 その時であった。タクシーの外側で、夢でも起こらない様な不思議な現象が起こった。ビル、地面、街灯、その他諸々の地面に浮かぶ全てが、熱された蝋の如く融解し始めたのである。

ビルはドミノ崩しみたく倒れてくっつき、窓の硝子をドロドロと流している。支柱の曲がった道路標識の文字も、背景色と混じり合って滲んでいた。そして人間達は、地獄の炎で炙られているかのような呻き声を上げて、ばたばたと倒れていくのであった。そして倒れた先のアスファルトに焼かれて、再び甲高い悲鳴を上げているのであった。

「運転手さん、スピード上げて下さい。」

 さより様は握手を解かないまま、気を引き締めた面持ちになって運転手に命じた。運転手はそれに軽く頷き、遠慮無くアクセルを踏みつけた。タクシーは前の車を寸前で避けて、というよりも透過して、そのまま時速百キロを超えるスピードに到達した。

「何だ⁉何が起こっているんだ⁉」

 焦った木鈴は思わず反対の手で窓に触れたが、そのあまりの暑さに気付けば反射で手を離していた。手には火傷をしたかの様にじわじわとした痛みが染みていた。木鈴は冷や汗をかいて隣のさより様をみやったが、彼女は冷静な顔で木鈴を見つめていた。

「木鈴さん。この世界について知りたいんでしたら、早く慣れて下さいね。」

 途端、何かを突き抜けた衝撃が木鈴の全身に走り抜けた。木鈴は思わず目を瞑ってしまったが、絶対に何か無数の出来事が同時に多発していたという確信があった。しかしながら、それはもう確かめようのない事であった。木鈴とさより様はもう、タクシーの中には居なかったのである。二人は再び夜の中に居て、喫茶店の席に座っていたのである。目の前には、二つの珈琲が置かれていた。

「へぇ、これは随分と研究のしがいがある現象だな。」

 木鈴とさより様はここでようやく手を離したのであった。

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