星月夜にて君を待つ

ふあ(柴野日向)

1章 少年は獅子の如く

1

 カイは軽く足を開いてショットガンを構え、雑木林の合間を縫い、じっと獲物に狙いを定める。先ほど聞こえた一発の銃声に煽られた獣が、真っ直ぐこちらへ駆けてくる。太い四肢で木々の枝葉をなぎ倒し、赤い目を爛々と輝かせ、裂けた口から真っ赤な舌をだらりと垂らす姿から、異形と化しているのは明らかだった。元は狼だったのだろう。しかし灰色の毛皮に包まれた胴回りは通常の三倍近くの太さがあり、全身を筋肉の鎧が覆っている。狼としての俊敏さは失われておらず、あっという間に距離が縮まっていく。

 雲の切れ間からすっと太陽が姿を現し、黒と赤銅色の混じったカイの髪を照らすと同時に、彼の指は引き金を引いた。鼓膜を揺るがす射撃音と共に獣の顔が一部吹き飛ぶ。片目片耳が千切れるが、尚も足を緩めることなく突進してくる異形へ間髪入れずにもう一発叩きこむ。今度は胸元にパッと鮮血が飛び散るが、それでも獣は怯まない。カイの黒い瞳は、獣の硬い頭蓋骨の白さを捉えた。それほどまでに距離は縮まっていた。

 三度目の発砲と共に左足に力を籠めて地面を蹴り、カイは右方向へ転がった。草いきれに沈みつつ、自分の立っていた場所に飛び掛かる異形から銃口は離さない。異形は下顎を失いながらも力を振り絞り方向転換し、獲物を引き裂くべく土を蹴る。その灰色の腹に照準を定めた。

 二つの銃声が重なり、まるで一つのもののように錯覚した。腹と脇腹に銃弾を受けた異形の獣はカイの脇に落下し、痙攣した後、今度こそ動かなくなった。

 ふーと息を吐いてカイが異形の死を確認していると、背後の雑木林ががさがさと鳴る。異形の身体を銃の先でつつきながら、カイは振り向いた。

「スラッグ五発でやっとか。ほんと頑丈だなあ」

 感嘆していると、銃口を下に向けたショットガンを手にした少年が、呆れたため息をついた。

「なに呑気なこと言ってんだよ。危なかったくせに」

 十七歳のカイより三つ年下の彼は、細い身体つきに似合わない銃を肩に下げ、カイと同様、シャツの上にカーキ色のジャケットを着こみ緑色のズボンを身に着けている。黒い髪の下の黒い瞳が、もう動かない獣を見据えた。傍らにしゃがむ彼の背を、カイは片手でばしばしと強く叩いた。

「上手くなったよな、サク。銃は苦手って言ってたのが嘘みたいじゃん」

「嘘じゃなかったら、カイはやられてたよ」

「そうかもな」

 笑いながらカイは異形の様子を調べた。服の内ポケットから抜いた小型ナイフの先で、白い頭蓋骨を軽く叩いてみる。異形化する過程で更に硬く分厚く変化したのだろう。張りつめた筋肉も異常に発達し、胸元に受けた銃弾を食い止めていた。柔らかな腹とあばらの隙間を縫った弾が致命傷を負わせたのた。極めて微小なウイルスがこれほどの変化を生むのだから驚きだ。

「よし、血抜きして向こうでバラそう」

 カイが促すとサクが頷き、腰のポケットから細いロープを取り出した。


 血を抜きロープで縛った獣の身体を、近くの川原に張っていたキャンプ地へと二人がかりで運ぶ。毛皮を傷つけるのは本意ではなかったが、これほどの大きさの獲物を無傷で運ぶのは骨が折れる。肉を得られれば十分だ。

 改めて見ても立派な獣だ。全長はカイが両手を広げた幅よりもずっと長い。川原でその腹を捌く彼は、ふと手を止めた。

「なにかあるぞ。なんか硬いもん」

「骨じゃないの」

「いや、違う」

 胃の中に突っ込んだ手は、小さく硬いものを握っていた。川の水で手をすすぎ、石の上に腰を下ろす。

「これあれだ、ネックレスだ」

 そばに寄ってきたサクに、銀色の細い鎖が連なったそれを見せる。鎖の途中には菱形の台座があり、青く透き通った小石がはめ込まれている。ネックレスは陽の光を反射してきらきらと輝いていた。

「首にかけるものだよね」

「ああ。爺さんからちらっと聞いたことがある」

 受け取ったネックレスを珍しそうに見るサクに、カイは頷いた。

「じゃあ、これをつけた誰かが食べられたってこと」

「だろうな。消化されずに残ったんだ」少し考えて口を開く。「それが俺の手に渡ったんだから、奇跡的だよな」

「旅してた人かな」

「旅するやつなんて、俺たち除いてそうそういないぜ。どっかの村に住む人を襲ってから、こいつがここまで来たんだ」腹を裂かれた動かぬ獣を指さす。

「それなら、村に返した方がいいよね」

 驚いて、カイは立ったままでいるサクを見上げた。当たり前の顔をしている彼に思わず笑いかける。

「確かに、家族がいるかもしれない。村探しに行くか」

 どうせ終わりも当てもない旅路だ、小さな目標でもないとやってられない。

「おまえがいると、旅が随分楽しいよ」

 笑って言うと、相棒は怪訝な表情をした。

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