第13話 落ち着くために夜和みミルクココアを作りましょう・後編

『ユティア、この色欲魔と付き合うなら、しっかりと条件付きの契約書を作るんだよ』


 過保護度合いが増した気がするけれど、シシンの優しさが胸に響く。


「シシン……! ありがとう。大好き」

「……え。ユティアはシシンが? 私にアレだけのことをしておいて……シシンが好きなのかい? どうしよう……すごく胸が痛いし、なんだがムカムカする」

「た、大切だって意味! シシンはずっと私の傍にいてくれる兄的というか、家族みたいなの!」

『うんうん。ボクが最初の契約者だからね!』


 一人で暴走するリア様に説明するものの、目を潤ませて俯いてしまう。この方、本当に大人なのかしら? こんなに感情が豊かだったら、貴族社会では生きていけない気がするわ。


 目が醒めてしまったので、温かい飲み物を飲もうと提案したところ、リア様とシシンは賛同してくれた。

 予定通り飲もうと思っていた夜和みミルクココアを作ることに。水で割っても美味しいけれど食用の牛乳があるから、鍋で牛乳を温めることから始める。


「ああ、火なら私が調節しよう」


 リア様は手を翳すと、金色の光と共に幾何学模様の魔法陣が展開し、青紫色の炎が灯る。焚き火とは明らかに異なる炎は、ただそれだけで美しい。


「綺麗」

「だろう。熱量も大事だけれど、色もこだわってみたんだ」

「──っ!?」


 距離が近い──というか、後ろからギュッと抱きしめられているんですけど!?

 そもそも距離感がおかしい!


「あの……リア様」

「なんだい? ユティア」


 自分の名前を呼ばれただけで、嬉しそうに甘い声で返事をする。まるで恋人のような密着具合に困惑してしまうが、もしかしたら神獣種の姿と変わらない距離感なのかもしれない。

 最近やけに背中に頭を擦りつけてきたのは、これがしたかったのかも?


 呪いが薄れたから、人の姿になれた?

 疑問ばかりが増えていく。よく考えればリア様のことをなにも知らないわ。


「ずっとこうやって君と話がしたかったし、料理というものをしてみたかった」

「私と?」

「うん。君が現れてから、私の世界は一変したんだ」


 牛乳が煮たってきたので、小瓶からカカオロメの液体をスプーン三杯ほど入れた後、少しだけ白夜の蜂蜜を垂らす。それだけでカカオの香りが強まり、オルゴールに似たメロディが聞こえる。

 優しくて緩やかな音色は心地よい。


 たしかにこのメロディなら、戦場でもホッとしてしまうわね。その隙に蔓で身動きを封じられて、巨大な花がパックリ開いて、獲物を飲み込むらしい。

 うん、えぐい。

 このカカオロメの形状は、マンドラゴラとは全く異なるのだけれど、音による注意が必要なため一緒に部類にされているらしく、南の熱い熱帯にしかない。


「いい匂いがします」

「……夜和みミルクココアっていうんですよ」


 耳元で囁かないでいただきたい。心臓がうるさい。シシン助けて!

 目で訴えたら、エメラルドグリーンの美しい偉丈夫は「任せろ」という感じで力強く頷いた。


『はい、マグカップは三つでいいよね』

「うん……(それはそれでありがたいけど、私が求めているのは違うのだけど!)」

『いや昼間もだいたいこんな感じだよ?』

「そ、そうなの!?」


 私的にはモフモフ砂海豹と人型とでは、全く違うと思うのだけれど!

 いやこれは人間基準の場合で、精霊や妖精は感覚が違うのかも……。かといって「離れてほしい」と言ったら……うん、泣くわね。外見は大人だけれど、精神年齢は幼いのかも?


 うーん。でもさっきは流暢に話していたしなぁ。

 後ろからハグされたまま、ミルクココアをカップに注いだ。よりカカオの濃厚な香りが鼻腔をくすぐる。


「はいどうぞ」

「ありがとう、ユティア」


 宝物を受け取るかのように、微笑んだ。外見がドストライクな私にとって、彼の笑顔や好意的な言葉は心臓に悪い。

 たしかにタラシだわ。


 とりあえず焚き火を囲んで、椅子に座ろうとしたのだけれど、リア様は私を膝の上に乗せて満足そうにココアを飲みだす。


「…………」


 いや、これはどう考えてもおかしいわ!

 のそっと隣の椅子に座り直した。リア様が泣きそうな顔をしているので、すごい罪悪感。


「せっかく会話ができるのに、離れてしまうなんて……」

「この距離でも会話はできるでしょう!」

「そうだけど……ユティアはいつも私をギュッと抱きしめるのだから、この姿の時は私が抱きしめたい」

「にゅぐ!?」


 それは昼間であって、砂海豹の姿だから──と言いかけて、リア様にとってはどっちも自分なのに、私がそっけないから落ち込んでいる?

 いやでもあの美形に正面切ってハグや頬擦りって、え、羞恥心で死ぬ。


 フーフーしつつ、ココアを口にするリア様を見て、なんだか微笑ましく思う。

 うーん、喋らなければ、かなり高貴な人に見えなくもないわ。


「美味しい。このミルクの味わいに蜂蜜とココアのまろやかさと深みが混じりあって、単品とは全く別の味わいになるなんて……ユティアはすごい」

「あ、ありがとう」

『あはははっ! いいねー、古き友がこんなにたじたじだなんて! これはひょっとして本気だってこと?』

「最初から本気だよ」

『ふーん。空中都市と交換するって言っても?』

「ユティアがいい」

『他種族から略奪婚されそうになったら?』

「他種族を灰にする」

『わぁ、思ったより過激だなあ。そんなことしたら種族間のバランスは、どうするんだい?』

「種族としての習性は、変えられないのだと聞いた。ユティアを奪われるのは困るから、一族が消えれば問題は解決するだろう」


 発想が物騒すぎる。しかも極端!


『じゃあ、ユティアが死にそうになったら?』

「どんな手を使ってでも助ける」

『ユティアにプロポーズしたあと、すぐに誰か別の相手にプロポーズは?』

「しない。私が欲しいのはユティアだけだ」


 ひゃああああーーーー。

 え、え、なに、この急なアプローチは!?

 しかも出題する質問が具体的すぎる……も、もしかして今までの妻にしてきた所業?

 空中都市と取り替え、略奪婚、不死の病、複数名へのプロポーズ……。


 うん、予想以上のクズだ。でも、なんだろう……私の思う放蕩者とは違うというか、手慣れている感は全くない。むしろ子供の執着に近い?

 ジッと見ていたらリア様と目があった。ただ目があっただけで嬉しそうに微笑む。そんな顔をされたら勘違いだったとしても、心が揺らいでしまうわ。


『あー、美味しかった。じゃあ、ボクはお代わりをもらいながら退散しておこう』

「え」


 鍋ごと宙に浮かせたままシシンは逃亡。絶対に残りを自分だけで堪能する気だったのだろう。まったくもう。


「ユティア。君を傍に置きたいから、結婚してくれるかい?」


 唐突!

 そして、ものすごい直球!


「ええっと……まずプロポーズ自体は嬉しかったですよ。私個人を見て、そう言ってくださって、ありがとうございます。でも、ごめんなさい。結婚はまだ考えられないわ」

「どうして? 私のことが嫌いだから?」


 断られると思っていなかったのか、酷く驚いた顔をして──泣きそう。

 あ、泣いた。この儚い系のインパクトは……凄まじいわね。


「そのリア様のことは嫌いじゃないですよ。でも、物事には順番があります。料理と同じで、手順を間違えてしまうと失敗することがあります。つまり順番を飛ばすと私たちの関係も、崩れてしまう可能性があるということです」

「それは嫌だ。ユティアと一緒にいたい」

「そう思ってくださるのなら、料理を美味しくしようとすることと同じく、二人で愛情を育てるためにも時間をかけるべきだと思うんです」

「料理と恋愛は同じ?」

『すごいたとえ方をしたね……。さすがユティア』


 ちびちびとココアを飲みながらシシンは愉快そうに、ことの成り行きを見守るつもりのようだ。この状況をめちゃくちゃ楽しんでいるわね!

 さっき逃亡したくせに、面白そうだから戻ってきたんだわ!


「一緒の時間を過ごしながら、恋人として……リア様のことを教えてくださいませんか?」

「私のこと?」


 目をぱちぱちさせて。初めて言われたような言葉だった? それとも、たくさんの恋をしてきて聞き慣れた言葉だった?


「なにが好きで、どんなことをしてきたとか。どんなことが得意で、苦手か。どの季節が好きか……」

「そんなことが、ユティアは嬉しいのかい?」

「ええ、好きな人のことを知ったら嬉しいし、もっと好きになるキッカケになるかもしれません。趣味が一緒だったら話も弾むでしょう? お互いの好きなことを話して、少しずつ興味を持つのだって、新しい発見ができて楽しいかもしれませんよ」


 恋人として、やってみたかったこと。

 温室でずっと考えていた。婚約者だったアドルフ様と一緒にお茶をすること、他愛のない話をして、市井にデートもしてみたいと思ったこともあったわね。

 一つも叶わなかったけれど。


「ユティアは私と話をするだけで、楽しいと思ってくれるのかい? 宝石が欲しいとか、珍しい絹や魔導具を手に入れてくれとか」

「そんなのよりもリア様と夜のお散歩や、お茶をしてお話しするほうが何倍も楽しいですわ」

「君は変わっているね」

「まあ、そんなこと……ないですわ」


 互いに笑みが漏れた。

 もう一口飲んだ夜和みミルクココアは、とても甘い味がした。

 こうして深夜の間だけ人の姿に戻るリア様と、お付き合いすることで話はまとまる。


 昔、お母様が読み聞かせてくれた異国の物語──真夏の夜の夢のような不思議で、泡沫のように淡い時間だわ。

 そう夢はいつだってあっさりと醒めてしまう。そのことを私は忘れて──ううん、気付かないふりをしていた。

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