第37話 小さな一歩

「ちょっとは変わっただろうか」


 柚衣は鏡で自分の体を見ながらそんなことを呟く。

 筋トレやランニングなどの運動を始めてすぐに効果が出るわけではない。

 変わったと明確に実感できるには大抵二、三ヶ月はかかる。

 そこまでの時間が経っている訳ではない。

 しかし自身の体を見て少しでも引き締まっている様子から小さなものでも大きな満足感を感じる。


 この調子で自分を変えていかなければならない。

 

 (変えたとしても、琴美に釣り合うような人になれるのかどうか......いや、それでもやらないだけましか)


 そんな不安が柚衣の心を覆い尽くすが柚衣はすぐに取っ払う。

 恋とはなぜこんなにも難しいのだろうか、恋とはなぜこんなにも胸を苦しくさせるのだろうか。

 それでもいつか琴美に堂々と自分の気持ちを言いたい。

 

 色々と考えごとをしながらリビングのソファーに座ろうとすれば、静寂の中スマホの着信音が鳴り響く。

 誰からだろうと思えば遼からの電話だ。


「もしもし」

「お、出た出た、今暇か?」

「急にどうした? たしかに暇だけど」

「じゃあちょっと周回手伝ってくれ」


 遼が言っているのはゲームに関することだ。

 前までよく一緒にゲームをしていたのだが華燐と遊ぶようになってそれが変わった。

 

 しかし今は家には柚衣以外誰もいない。

 華燐は最近精神的に成長したからか、遊びに来ることは少なくなった。

 もちろん嫌われているという訳ではなく会うと嬉しそうに満面の笑みを見せてくれるので好かれてはいる。


 ただ、その分琴美が一人で遊びに来ることが増えた。

 中身は年相応の少女なので友達と学生らしく遊びたいというのが本音だろう。

 いつか家ではなくカラオケやゲームセンターへ寄り道して一緒に遊んでも良いかもしれない。


 それでも今日は学年末テストに向けての勉強をしたいらしく琴美もいない。

 

「......えっと」


 普段なら迷いもせずに肯定していたところだろう。

 しかしゲームをしている暇はあるのか、ゲームに逃げてしまっても良いのか。

 一度始めて仕舞えば数時間は拘束されてしまう。


 琴美の隣に立つと柚衣は決めたのだ。

 だから言うべき言葉はすでに決まっている。


「すまん、周回は無理だ、もうすぐ学年末テストあるし勉強したい」

「まさかお前からそんなセリフを聞くとは思いもしなかったわ。また今度やろうぜ」

「ああ、もちろん」


 こればかりは頑張ると決めたこと。

 たとえ実らない恋だとしても少しの可能性があるなら自分を変えたい。

 そして頑張り切った時、自分を変えられた時、最後には琴美に告白する。

 

 柚衣を変えて前を向かせてくれたのは間違いなく琴美だ。

 しかし今度こそは自分で自分を変えて琴美の隣にずっと立ちたい。


 そのためにも目先の出来事に頑張るのが第一だろう。

 約二週間後には学年末テストがある。

 目標としては総合成績でトップ十に入ることだ。

 しかし柚衣にとって難題であることはわかっているのでひとまず一教科でもトップ十に入りたい。

 

 ある期間だけ頑張る人と毎日コツコツと勉強している人では雲泥の差があるのは分かっている。

 それでもやらないことには始まらない。

 

 とりあえずランニングを行い、その後に計画を立てて勉強していこうと柚衣は考える。

 朝は目覚ましをかけるのを忘れており、ランニングを行えていなかったのだ。

 

 やるべきことを自分で増やした分、時間の使い方を考えなければならない。


「風呂入って、ご飯食べて......その後勉強するか」


 柚衣は頭の中で立てた計画を忘れないように小声で呟く。

 そして普段通りランニングをするため外へ出た。


 まだ二月なので当たり前だがやはり外は冷えていた。

 準備体操をして体が温まってきた頃、柚衣は普段走っているコースとは別のコースで走ろうと思い立つ。

 前々から走ろうと考えていたコースだ。

 いつもより走る距離を伸ばすのも良いだろう。

 

 柚衣はコースを記憶から掘り返して、いつもとは違う方向へと走り出した。

 

 ***


「......無理」


 数十分走った頃、柚衣はあと少しだったが完走することを断念する。

 柚衣の考えたコースは川沿いに進んでいき、住宅地を大きく一周して柚衣の家に戻るというもの。

 しかし思った以上に距離があり、今の体力では無理だった。

 やはりまだまだのようだ。

 ただ、完走できなかった悔しさがあるが次のモチベーションにはつながっている。


「あれ、柚衣くん?」


 膝に手をついて息を整えていると聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 見るまでもなく琴美であることがわかる。


「琴美か、奇遇だな」

「そうですね、その様子から見るに先ほどまでランニングを?」

「あ......う、うん、そうだな」


 柚衣は自分の努力している姿を見られたことに対して羞恥を覚える。

 ましてや好きな人の前なのでそれはさらに大きくなる。

 柚衣自身がインドア派ということもあり、自分らしくない姿は見せたくない。


「珍しいですね」

「......ちょっとした気分だ。琴美の方はどうしたんだ?」

「私は勉強の休憩の合間に母の買い出しに行ってあげようと思いまして」


 琴美はそう言って手に持っている買い物袋を軽く上げる。


「では、ばいばい、柚衣くん」

「ん、また明日」


 (......とりあえずこれからは公園で走ろ)

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