4-2.エピローグ2
「兄さん、どうしたの? 何だか、そわそわしているみたいだけど」
「そ、そそんなことはないけど」
周囲に楽し気な笑い声が響き渡る中、真菜が首を傾げる。
「颯様、お食事は足りていますか?」
「欲しいもの、いいえ、
沙々羅が清らかな微笑みを、そして五十鈴媛は妖艶さの滲む笑みを颯に向ける。
「だ、大丈夫。伽耶ちゃんがいろいろとお世話してくれているから」
「はい!」
颯が真菜とは逆隣りに座る伽耶に目を向けると、伽耶は満面の笑みで応じた。
「うーん。兄さん、やっぱりちょっと変じゃない?」
「あ、あー、その、お祭りってワクワクしない? たぶんそのせいじゃないかな」
「そういう感じでもないような気もするけど……」
真菜が尚も首を傾げるが、颯は自分の気持ちが落ち着かない理由を妹に悟られるわけにはいかなかった。
今、
後日、彦五瀬がジンム帝として即位した暁には高千穂から本拠を移すことになっている。
そんな地で行われている祭りとは、表向きには戦勝祝い、内々には真菜の救出祝いと日の神の御子たる兄妹の送別会だった。
そして、祭りというと、颯が思い起こすのは高千穂を発つ前日。そのときは知らなかったが、祭りの日の慣習を知った今となっては、沙々羅と五十鈴媛の存在を意識しないわけにはいかなかった。
完成したばかりの
これまでは真菜を助けることに必死だったが、無事救出し、帰還の
しかも、颯自身もこれまで苦楽を共にしてきた二人に惹かれていないとは決して言えないのだから、颯の心を押し止めるのは、明日には元の時代に帰って二度と会えなくなるということだけだった。
しかし、この日ばかりは颯の女性に誠実であろうという心も完璧な仕事をこなすことが難しかった。なぜなら、この慣習は一夜限りの関係なのだ。
もちろん、実際にはこのことをきっかけとして正式に結ばれる男女もいるだろうが、後腐れのない、その時その場だけの関係という名目であれば、仮に颯が誰かとそういう行為に及んだとしても不誠実だと
故に、日が暮れていくにつれて颯のドキドキは止まらなくなっていくのは仕方がないことだった。
そんな颯の心情を知ってか知らずか、沙々羅と五十鈴媛は颯の両隣を二人の妹に取られながらも、事あるごとにアピールを欠かさなかった。
やがて篝火に照らされた会場から、徐々に喧騒が消えていく。
「うん?」
ふと気が付くと、伽耶が舟を漕ぎ始めていた。颯はもたれかかってきた伽耶の体を支え、優しく呼びかける。
「伽耶ちゃん、もう寝ようか」
「うーん……」
伽耶は眠気眼を両手の甲で擦ってから薄目で颯を見上げた。
「お兄ちゃんと……一緒にいたい……です……」
「伽耶ちゃん……」
再会の約束を果たしてからも、颯はこの時代でできたもう一人の妹と一緒に眠ることが多かった。この日も祭りの慣習さえ気にしなければ、颯は伽耶と寝ていたはずだ。しかし、半分寝ぼけているような伽耶の口から飛び出した言葉は、ただ単に添い寝を希望しているだけではないように颯は感じた。
幼いながらもしっかりとした妹は、後にも先にもほとんどわがままを言うことはなかった。先の言葉も半分寝ていなければ決して出て来なかったに違いない。そう思った颯の行動は決まっていた。
伽耶とずっと一緒にいることはできないが、せめて元の時代に戻るその時までは。颯はそう決心して伽耶の小さな体を抱き上げる。
「沙々羅、五十鈴媛、ごめん」
颯はもしかしたら自意識過剰かもしれないと思いながらも、誠意を込めて頭を下げる。
「兄さん?」
事情を知らない真菜はきょとんとした表情を浮かべていたが、沙々羅は優し気な微笑みを湛え、五十鈴媛は肩を竦めながらも苦笑いで頷いた。
「真菜、僕はもう寝るよ」
「うん。よくわからないけど、それなら私も、もう部屋に戻るよ」
真菜も立ち上がり、沙々羅と五十鈴媛に声をかける。伽耶を抱き抱えた颯と真菜が隣り合って歩を進める。兄妹の目指す場所は同じだった。
「まったく、妹想いのお兄様だこと」
残された二人の少女が颯の背中を見つめる。呆れたようにも聞こえる口調だったが、その顔に浮かんだ笑みは変わらない。
「本当に。でも、五十鈴媛は颯様のそんなところもお好きなのでしょう?」
五十鈴媛が再び肩を竦める。
「何を他人事みたいに……。あなたもでしょう」
「はい」
穏やかで、そして切ない沈黙が辺りに満ちていた。
「ところで、五十鈴媛。あなたは高千穂の一族の長に嫁ぐのが使命だったはずですが、どうされるのですか?」
「形の上ではジンム帝に即位される彦五瀬命に嫁ぐべきでしょうね。颯に縁のある日の神の子の一族が国をまとめるためには、出雲は決して無視できないわ」
「形の上……ですか?」
「ええ」
五十鈴媛は内緒話でもするように五十鈴媛の耳元に口を近づける。
「薙様の許嫁だった
「まさか、五十鈴媛……」
沙々羅が驚きに目を見開いていると、五十鈴媛がおもむろに立ち上がった。
「さあ、沙々羅。行くわよ」
「もうお部屋に戻られるのですか?」
「何を言っているの。行くのは颯たちの部屋よ。
「それは……」
もちろん五十鈴媛は祭りの慣習を盾に颯に迫るつもりはない。
結ばれることは叶わずとも、愛する人と少しでも一緒にいたい。その温もりを、いつまでも忘れないために。そんな五十鈴媛の想いが痛いほど理解できた沙々羅も、意を決して立ち上がる。
「そう来なくては」
五十鈴媛が不敵に笑い、沙々羅は憂いのない笑みを浮かべた。二人の少女は肩を並べて歩き出す。
颯に救われ、颯を助け、颯を愛し、そして颯と別れる定めを受け入れざるを得なかった少女たち。しかし、彼女たちの瞳は、篝火の消えた闇夜にあっても益々輝きを増していた。
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