終章

4-1.エピローグ1

 小さな池に囲まれた真新しいやしろの前で、沙々羅が舞う。白と緋色の巫女装束の上に千早ちはやと呼ばれる白一色の貫頭衣を羽織った沙々羅の神楽かぐらは、神々しいまでの神聖さを感じさせた。


 ヤマトの司祭長を継ぐことになった沙々羅が舞い踊るのは、標高500メートル弱の小高い山の山頂辺り。この三諸岳みもろのおか、美和山とも呼ばれる円錐形の山こそ、現代で神奈備かんなび、即ち神の鎮座する山として知られる三輪山だ。


 はやてはその山の頂上付近の社から少し離れたところで、美しい巫女の少女の舞を見守っている。


「颯様」


 舞い終わった沙々羅に呼ばれ、颯は前に進み出る。その手には天之尾羽張あめのおはばりが握られていた。颯はできたばかりの小さな木の橋を渡り、社の中に愛剣を納める。


 颯は幾ばくかの名残惜しさを覚えつつ振り返り、沙々羅と頷き合った。


「兄さん、沙々羅さん」


 二人の元に真菜が歩み寄る。黄泉国よもつくにで衰弱していた真菜も、今ではさらわれる前と同じかそれ以上の元気さを取り戻していた。真菜の後ろに彦五瀬と五十鈴媛、伽耶が続いた。


「真菜様。これでよろしいでしょうか」

「うん、大丈夫だよ。ありがとう」


 ニコニコと笑みを浮かべる真菜に、沙々羅が微笑みで応じる。颯はそんな二人の様子を眺めながら、沙々羅の穏やかな笑みの中に一抹の寂しさを見て取った。


「颯、本当にこれで良かったのか?」

「はい。長髄彦ながすねびこを討ち果たした五瀬さんこそ、彦火火出見尊ひこほほでみのみことの名に相応しいですよ」


 薙を討ったことで一度は颯が名乗ることになった“彦火火出見尊”という名。元々五瀬の祖父の別名でもある高千穂の一族の長の名は、近頃、彦五瀬へと受け継がれた。これにより、後日、真菜と共に元の時代へと帰還する颯に代わり、彦五瀬が彦火火出見尊としてスジン帝の後を継いでジンム帝に即位する手はずとなっている。


「それにしても、五瀬さんが死んだって聞いたときは心臓が縮む思いでしたよ。改めてになりますけど、本当に無事でよかったです」


 あの日、黄泉国で伊邪那美命いなざみのみことを看取った颯たちは手力男たぢからおらと合流後、五十鈴媛の伝手で出雲の援助を受けて、埃宮えのみやで別れた彦五瀬らを追った。そしてその道中、颯は彦五瀬が長髄彦との戦いで手傷を負って撤退し、船で紀伊半島を南へ回り込んだと知った。


 日の神の子の一族が日に向かって戦うのは良くなく、日を背にして戦うべきだという彦五瀬の考えからの転進だったが、紀国きのくに、今の和歌山県に辿り着いたとき、彦五瀬の傷が悪化し、そのまま命を落としたというのが、颯の伝え聞いた噂だった。


 丁度、黄泉津大神よもつおおかみが真の姿を現したときに世界に広がった死の穢れが、長髄彦ら、邪の影響を受けた者たちに更なる力を与えたというのだから、タイミングの悪いこと、この上なかった。


「実際、世界に満ちた死の穢れが浄化されなければ、私はこうして生きてはいなかっただろうな」


 颯が黄泉津大神を倒した際に生まれた白い世界。あの世界は黄泉国の外にも広がっていて、この国中の死の穢れを浄化したのだという。そして、それが彦五瀬の傷の治癒にも一役買ったというのだから、彦五瀬は自身の生存が颯のおかげだと考えていた。


「それに、この剣」


 彦五瀬が腰にく剣に手を当てた。生太刀いくたちとは別の、もう一振り。


「颯から譲り受けし霊剣があればこそ、かの長髄彦を討ち果たすことができたのだ」


 邪や死の穢れをはらうことに特化した霊剣、布都御魂ふつのみたま。長きにわたって死の穢れに侵食され続けたことによって、浄化された折に、逆に死の穢れを滅する力を手に入れた剣だ。颯はそれを黄泉国の大鳥居の近くで見つけ、持ち帰った。


 清らかな性質を持つその剣は、黄泉津大神が倒れたことで大雷おおいかづちの手にしていた巨大な剣が浄化された姿なのではないかというのが、沙々羅と五十鈴媛の見解だった。


 その真偽はともかく、颯は紀国の山中で高千穂の軍勢と合流して彦五瀬の生存を知ったとき、今では人の手に合うサイズに縮んだその剣を彼に託した。


 その際、既に元の時代に帰るすべを獲得していた颯は彦五瀬を含めた皆と相談し、彦五瀬はそのまま死亡したことにして、彦五瀬が彦火火出見尊となって長髄彦を討伐することを決めた。


 彦五瀬は反対したが、元の世界に戻る颯が長を続けるより、この時代を生きていく彦五瀬こそが高千穂の、いてはヤマトの長たる力を示すべきだと主張する颯に押し切られる形となったのだった。


「元々、僕は真菜を救いたかっただけですから」

「その結果、黄泉津大神を討ち、生きとし生けるものすべてを救ったのだから、颯こそがこの国を治めるべきだと思うのだが――」


 彦五瀬は最後まで言い切らず、その口を閉じた。颯の表情から、何を言っても決意が変わることはないと気付いたのだ。それに、このことは既に何度も話し合ったことでもあった。


「颯、感謝する。この上は、颯に恥じぬ、いや、颯の誇れるみかどにならねばならぬな」

「五瀬さんなら、必ずなれますよ」


 颯と彦五瀬が微笑み合う。見つめ合う二人は、言葉以上の信頼という絆で結ばれていた。


「それにしても、このような社を建てただけで時を越えることができるとはな」


 彦五瀬が颯の背後に視線を移し、しみじみと口にした。


にわかには信じ難いですけど、真菜が大丈夫だと言っているので」

「この時代と私たちの時代で接点を作り出すのが、この術のかなめなんですよ」


 真菜が訳知り顔で二人に割って入った。沙々羅と五十鈴媛、伽耶も加わり、皆で社を見つめる。


「颯様と真菜様の帰られた後、颯様を日向御子神ひむかのみこのかみとして、この地にお祀りいたします」


 日本神話好きの真菜をして、よくわかっていない神と言わしめた日向御子神。その名が歴史上に初めて登場した瞬間だった。

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