1-4.篝火
二人は言葉を失った。眼前に広がる予想だにしなかった光景に、ただただ立ち尽くした。そこにあるはずの
「兄さん……」
真菜が心細げな声を発し、身体を寄せてきた。真菜の柔らかな腕が強張り、
ハッとして振り返ると、そこに鳥居はなく、三輪山自体が陰も形もなくなっていた。どこまでも続いているかのような洞窟が、音もなく存在している。唯一の救いに思えたのは、止まない雨がないように、果てのない洞窟もないということだけ。遥か先に、洞窟の終わりを示す薄明るい光が見えた。
「何なんだよ……」
呟いた言葉が闇に引きずられるかのように霧散していく。自身の身に何が起こったのか、理解不能だった。
突然の豪雨に始まり、落雷に夜の闇。ここまではまだ納得がいく。たまたま三輪山上空に雨雲が発生、もしくは移動してきて、偶然にも颯らが頂上に着いたときに日向御子神の社に落雷し、偶然、何の前触れもなく時を同じくして皆既日食が起こった。ただそれだけのこと。だが、今回は違った。空間を跳躍したとしか思えない状況は、颯の脳の処理可能な範囲を大きく超えていた。
「くそ!」
「兄さん?」
真菜が心配そうに颯を見上げた。
「真菜、とにかく光を目指すぞ。外に出るんだ」
「う、うん」
颯は大股で進む。神しか怨むことのできないような理不尽な出来事に、心底腹を立てていた。人の手の介在を全く感じさせない剥き出しの岩肌に目をくれることなく、僅かに漏れる光だけを追い求めた。
その先に現れたのは、深い緑だった。
一瞬、三輪山に戻ったのかと思った。だが、それが間違いだとすぐに気付かされた。洞窟のすぐ先は切り立った崖になっていて、遥か下方を川が静かに流れていた。辺りには樹齢数百年を軽く超えるような杉や檜が乱立している。深い森だった。
「勘弁してくれよ……」
二人は当て所なく彷徨った。怯えて緊張しているのか、繋いだ真菜の手は冷たかった。
山で遭難したら下手に動き回るなという、映画やドラマでよく耳にする言葉が頭の中を巡っていたが、颯は頭を振ってそれらを締め出す。そんなことは百も承知だった。
ここは三輪山ではない。それは確信と言ってもよかった。颯らがいつまでも戻らず、捜索されることになったとしても、それはここではなく三輪山であることは明白だった。ここで待っていても、助けは来ない。
颯は真菜の手を握る左手に力を込めた。その手を真菜がしっかりと握り返してくる。ここがどこで、何が起ころうとも、颯は一人ではない。それだけが折れそうな心を支える唯一の光だった。
道なき道を進む。全身に擦り傷が刻まれていった。
やがて眼前に森の切れ目が現れた。左右の木から、
日が傾き、薄暗くなった世界を、いくつもの炎が赤く染め上げていた。
「兄さん!」
真菜が歓喜の声を上げた。ここがどこであるのかわからないが、食料も水も持たずに知らない森を彷徨うよりは、遥かに状況が好転しているように思えた。
篝火の中、森から伸びる弧を描くように続いている道を進む。十数メートル行ったところで篝火の列が絶え、三叉路が姿を現した。どちらに行くべきか考えていると、正面の道に、二つの人影が現れた。
助かった。颯はそう思った。考えてみれば、人と会うのは三輪山を登り始めてすぐの頃、家族連れとすれ違って以来だった。隣を歩く真菜と顔を見合わせる。颯は自然と頬が緩むのを感じた。
この状況をどうやって説明しようか頭を悩ませつつ、人影に歩み寄る。
ふと、颯は違和感を覚えた。二つの人影は、共に物干し竿のようなものを手にしていた。一瞬、その先端が、一番星の光を反射して僅かに光ったように見えた。颯は足を止める。真菜が不審げに颯を見上げた。
その時、人影がこちらに気付いたのか、こちらに向かって駆け出した。人影が声を張り上げている。何と言っているのか聞き取れなかったが、颯は責められているように感じた。
颯は真菜の手を取ると、人影に背を向けて走り出す。真菜が抗議の声を上げたが、颯の頭の中は、ただ逃げることでいっぱいだった。元来た道を戻らず、颯は向かって右手の道に進路を取った。もう森は散々だった。
背後で笛の音が響く。疲労困憊の身体は上手く言うことを聞いてはくれないが、颯は我武者羅に足を動かした。
その時、前方に別の人影が現れた。その人影も、先ほどと同様の物を持っていた。颯の両の目がそれを捉える。
2メートルを超す長い柄に20センチ程の金属製の尖った穂先を持つ刺突武器。それは、大陸から古代日本に伝わったと言われる“矛”そのものであった。
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