第70話 嵐の夜の秘術
レティシアの部屋に通す前に、クリストフとジェイクは仮眠を取っていた部屋に男を通した。疑わしさが晴れるまでは、レティシアに会わせたくなかったからだ。
「そちらに座ってください」
ソファーを進め、自分たちも向かい側に座る。
「質問には、嘘偽りなく答えていただきます」
クリストフの鋭い眼差しに、男は「嘘など言いませんよ」と答える。
「あなたはあの老婆の弟子ということですが、どうして別行動を? 尻拭いとはどういう意味ですか」
「お恥ずかしい話しですが、師匠と意見がぶつかりましてね」
話しを聞くに、悲惨な運命と知ったなら、よくなるように術を使うのは間違っていない。そう主張する男に、老婆は故意に人間が定めを変えてはならないと受け入れなかったという。
「私はそれが耐えられなかったのです。救える方法があるのに、運命だからと受け入れさせることなど。助けになりたい、私は悲運に苦しむ者の助けに──」
噛み締めるように語る男の言葉は、魔性の誘惑のようにクリストフの心を揺さぶる。いいではないか、運命を曲げることになっても、レティシアが死なずにすむのだからと。
「しかし……老婆は、それが因果というものだと言っていた。それに逆らうことで、後々に影響がないとは言い切れないのでは?」
正気を取り戻さねばと軽く頭を振り、クリストフは疑念を口にする。
「あなたの言うとおり、何もないとは言えません。相応の対価も必要。ですが私の秘術は、凶星同士を入れ替えるというもので、
凶星を吉星に変えるわけではない。だから因果を改ざんするわけではない。そう男は主張する。
「そういえば……老婆は明言しなかったが、レティシアの凶星はなんだったんだ?」
ジェイクの疑問に、男は「それは占ってみないことにはなんとも」とマントの下から水晶玉を取り出した。星詠みの老婆が持っていたものと同じ大きさだ。
「クリストフ、占ってもらおう。僕は、レティシアに生きていてほしい。死なせたくないんだ」
それはクリストフとて同じ思いだ。だが果たして、この男を信じていいものかまだ判断がつかなかった。
「それに、僕たちだけで決めることじゃない。隣室にはお父様とお母様もいる。一番は、レティシアの気持ちだ。だから、だから……」
レティシアに男を会わせよう。言葉にしなくても、ジェイクが言わんとすることはわかった。それに、あくまでも自分は他人。家族ではない。口出しする権利はないのだ。
「ジェイクの気の済むようにしてくれ」
自分はそれに従う。そう伝える。
「ありがとう、クリストフ。今聞いたことを、かいつまんで話しをしてくるから、ちょっと待っていてくれ」
「ああ、待ってる」
急に男を部屋に連れて行けば驚かせてしまうし、話しが一からになってしまう。
小走りに部屋を出ていくジェイクを横目に、クリストフは男に一つ質問を投げかける。
「対価とは、なんですか?」
もしここで、男が金だとでも答えていたら、クリストフは不信感を募らせもっと警戒したに違いなかった。
∞∞∞
「あぁ……これは、短命の星のようだ。殺害、事故、病気……死の原因は様々ですが、お嬢様の場合、前世の罪が軽いほうだったのでしょう」
これだけ苦しんでいるのに、軽いほうだというのか。クリストフはやるせない気持ちでいっぱいになる。
「あの、水晶玉の中に、黒い球しか浮かんでないのは……」
老婆のときは、色とりどりの星のような光の球が浮かんでいたと、ジェイクは戸惑いを口にする。
「それは凶星だけを映しているからですよ。ですが今映し出している凶星は、お嬢様のものではありません。この中から、短命の凶星と同等の凶星を神がお選びになります。それを私が、短命の星と入れ替えるのです」
これなら、因果応報の掟を破ることにはならないからと。
最もらしく聞こえた。それなら大丈夫だと思えた。けれど、レティシアはそうではなかった。
「勝手に……変えてもいいの? あの……お婆さんは……ダメだって……言ったんでしょう?」
それに、違う凶星がどんな不幸をもたらすかわからないのは怖いと、熱があるにも関わらず、レティシアは懸命に言い募る。
「師匠は思い通りに運命を変えることに反対だったのです。それは私も同感です。だから私は修業して、秘術を編み出した。定めたのが神なら、入れ替える凶星もまた、神に定めてもらえばいいのだと」
「なんと──そんなことが適うのか……」
「ですがそれで、また短命の星が選ばれることもあるのでは?」
呆然とするランドルフに対し、サティアは懸念を示す。
「その点はご心配なく。秘術と言うからには、根拠があるのです」
根拠とは何か。問うたところで答えはしないだろうが、口ぶりから男の自信が伝わってくる。
「だったら……対価って……なあに? おじさん」
レティシアが新たな不安を口にする。
「それも神がお決めになることなのですよ」
「神様が? だったら……受け入れられるわ。ねえ……おじさん。今までも……その秘術、やって……いるのよね。どんな対価が……あったのか、教えて」
レティシアが懇願すると、それで安心できるならと男はいくつか挙げた。それは記憶だったり、性格が変わったり、好みが変わったり。身体の一部ということもあると。
「お嬢様、怖いと思うかもしれませんが、生きてさえいればどうとでもなりますよ」
前世の罪を
「そっか……償えるのね。喜ばれることを……たくさんしなきゃ……だよね」
「そうですとも。いいことをたくさんした分、罪は許され運命は好転していくのですから!」
男は大袈裟なほどに、天を仰ぐように両手を広げる。
「お父様、お母様……お兄様。そして……クリフ。どんな私になっても……変わらず……好きでいてくれる?」
レティシアの気持ちは、ほぼ決まっているようだった。
「当然だ。レティシアはレティシアなのだから。私たちの愛は変わらないよ」
「本当に……本当? お父様」
縋るような目だった。
意地悪になっても、容姿が醜くなっても、記憶がなくなっていても、変わらず自分を愛してくれるのか。レティシアの不安は、そこに尽きるのだろう。
「本当だとも。信じてくれ、レティシア」
「ええ、そうですとも。私の愛する娘であることに、変わりはないわ」
ランドルフとサティアが、レティシアの頬にキスをする。
「僕だって、兄としてレティシアを守る。どんなに意地悪になったって、嫌いになんてならないから安心していいぞ!」
ジェイクも両親に習ってキスをおくっている。
「レティー、私の気持ちは変わらない。たとえレティーの記憶が消えて、私との約束も、思い出も、忘れたって構わない。生きてさえいてくれたら、思い出はまた作っていけばいいのだから」
クリストフは愛を込めて、レティシアの額にキスを落とした。
「では、いいのですね?」
男は当主であるランドルフに、最後の確認をした。
「はい、お願いします」
「承知しました。秘術を始める前に、お約束を一つ。秘術については、他言無用でお願いします。悪党に利用されてはなりませんから。では皆さんは退出を」
それからの数十分間、雷鳴は止まず、風は吹き荒れ、まさに嵐だった。
そんな中、クリストフたちは部屋の前で各々の覚悟を確かめ合う。
決して、秘術のことは誰にも言わないこと。
決して、秘術のことはレティシア本人にも言わないこと。(記憶を失っていた場合)
決して、変わらずレティシアを愛すること。
決して、この決断を後悔しないこと。
そして最後の最後まで、レティシアの見方でいること。
自分たちは一蓮托生。大きな、大きな、秘密を共有したのだ。
そして、一際大きな雷鳴と共にどこかに落雷したようで、屋敷が僅かに揺れたとき。
「終わりましたよ。もう、お嬢様は短命ではなくなりました」
部屋から出て来た黒マントの男はそう言い残し、知らぬ間に屋敷から姿を消したのだった。
◆
「あのときは目を疑ったな。秘術後、部屋に入るとレティシアは窓辺に立っていたんだから。しかも綺麗だった金髪が、闇色に見間違えるほどの紺藍に変わっていた」
まあ、紺藍もレティシアに似合っているけどなと、ジェイクは苦笑を浮かべながらソファーから立ち上がる。そして窓辺に立つクリストフに歩み寄り、肩を並べ夜空に走る稲妻に視線を向ける。あの日のレティシアが、遠のく稲妻を見ていたように。
「振り返ったレティシアの第一声が、私たちを見て『あなたたちは、誰?』だったしな」
レティシアは家族のことさえ、綺麗さっぱり忘れていた。だから機転を利かせたランドルフが、頭を打って寝込んでいた。そのせいで記憶をなくしたのだろうと説明し、自己紹介をした。
(あれは……切なかったな)
家族のことはすんなりと受け入れていたのに、クリストフのことは拒絶した。「近寄らないで。怖い、あなたは嫌」と。
その日から、クリストフはレティシアと距離を取った。生きていてくれる。それだけで十分だったのだ。
しかし、対価の効力が薄れ、レティシアに変化が生まれたことで関係性が変わった。
自分に向けられた、レティシアの笑顔。
嬉しかった。もしかしたら、レティシアの失われた記憶が戻るかもしれないと期待も抱いた。それなのに、あの秘術が黒魔術だったとは。
黒魔術の代償とは、なんなのか。対価とは、どう違うのか。
対価──
あの場にいた誰もが、神に捧げた対価は記憶と髪色。そう思った。そしてのちに、歪んでいくレティシアの性格から、クリストフは入れ替えられた凶星が、性悪が招く人に嫌悪される星ではないかと推測していた。
(まさか性悪が……黒魔術の代償なのか──)
今となっては、神に捧げた対価も怪しいものだ。何せ黒魔術だったのだ。神であるはずがない。
「なあ、クリストフ。入れ替えられた凶星って……本当はなんだったんだろうな。俺は絶対、性悪になる星だと思っていたんだが」
「気になるところだが、今さらだ。それより今のレティシアを見ていると、あのころのレティーが、あのままの心根で育った姿に見えないか?」
自分はそれが、堪らなく嬉しい。
優しくて、お茶目な面もあって、ときには頬を膨らませ拗ねたりもして。
「はは……確かにそうだ。人を笑顔にさせるところなんて、まんまだしな」
もうレティシアを、失うわけにはいかない。
あの日交わした覚悟に変わりはないかと、ジェイクはクリストフの意志を問うてくる。
「もちろんだ。あの男の真の目的と、ことの真相を突き止めて、必ず黒魔術からの呪縛を解いてみせる」
「「後悔しないためにも」」
同時に出た言葉に、二人は雷鳴が轟く中、互いの胸に拳を当てた。
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