第44話 ロイ・フルニエ

 無力だった。


 小さな子どもたちを助け出すことも、レティシアを守ることもできなかった自分に、ロイ・フルニエは悔しさから目に涙を滲ませた。


(なんて僕は弱いんだ──)


 王子ともあろう者が、情けない。


「ロイ様──大丈夫ですか?」


 蹴られた腹を押さえ、うめき声を上げるロイを心配して、マイナが駆け寄って来る。


「大丈夫だよ。すまない──不甲斐ない……王子で」


 縛り出すような声で紡がれた言葉は、ロイがずっと抱えてきた苦悩でもあった。第一王子という身分に、心が押しつぶされそうだったからだ。


 水属性魔法の使い手である国王の血を引く息子でありながら、魔法も使えない自分は、民の暮らしの手助けさえできない。


 無能で役立たず。自分は必要とされない王子。


 そんな負の感情が、重りのように胸にのしかかっていた。


 苦しい──いっそ、平民だったらよかったのに。


 重責……そう自分が勝手に感じているだけかもしれない。けれど、もっと自分に能力があったら、どれほど民を喜ばせ、楽しませ、幸せにできることか。そう考えずにはいられなかった。


 ロイが生まれ育ったのは、二つの大国に挟まれた小さな国だ。国自体は、争いもなく平和ではあったが、財政難から食生活は質素なものだった。大きな要因は、これといった特産物がないこと。大国には相手にしてもらえず、交易は望めなかった。


 国王である父親は、国が平和なのだから、今のままでもいいではないかという。けれどロイは、発展を望んだ。自国にはないものを取り入れ、もっと民の暮らしを豊かにできたらと。それらはきっと、心の豊かさにも繋がるはずで。


 しかし志はあっても、ロイには手立てがなかった。他国と交渉できる材料が、何もないのだ。


(せめて僕に、魔法が使えたら……いや、無い物ねだりはよそう)


 自分の中に秘められた力があるのではないか。そんな希望を持っていた時期もあったが、いつしか虚しいだけだと考えることを止めた。


「あ……あのお姉ちゃんのポーチ──」

 持ち主がいなくなったそれは、床にぽつんと転がっていた。


「何をしている、クレア。やめなさい」

 ポーチを拾ったクレアは、中を覗き込んでいる。


「クッキー……もっと食べたかったな」

「ぼくも……」 


 クレアの呟きに、サウルも反応する。


「ロイ様、お姉ちゃんはどこに行っちゃったの?」

「戻って来るよね?」


 そう問われるが、ロイは返す言葉が見つからない。


「お姉ちゃんが言ってたパンって……どんな食べ物だったのかな──」


 マイナがしみじみと言う。彼女はロイと同じ十歳だが、子どもながらにレティシアはもう戻って来ないかもしれないと思っているのが、口ぶりからわたった。


 パン──ロイも興味はあった。クッキーの美味しさを知ったからかもしれない。


 外の世界には、心躍る未知なるものがたくさんある。


 知りたい、経験したい、もっと学びたい。


 だが、ここにいる限り、自分たちにそれらを知る機会は訪れないだろう。


 いいのか? 足掻くことを止めて、未来を捨てても。


 いいわけがない。この子たちの未来を、閉ざしてはならないのだ。


「皆、ここから出よう。なんとしてでも」

「出られるの? ロイ様」


 クレアが不安げに問うてくる」


「ああ、出られるとも」


 レティシアは言っていた。必ず助けが来ると。そして、『希望を捨てないでね』とも。


 気持ちを強く、そう思ったときだった。建物が揺れ始めたのは。


「ロ、ロイ様……怖いよ」

「うう……ロイ様」


 子どもたちがロイの周りに集まって来る。


 守らなければ──

 そしてこれは、好機に違いない。


(鍵を壊すことさえできれば)


 出入り口には、南京錠がかけられていた。


「ここを動かないでいて」

 ロイは子どもたちを壁際で止まらせる。


「おおお!」

 ロイは出入り口に向かって体当たりを試みる。


「っ──」

 ガツンという派手な音はするものの、弾き返され床に転がる。


 もう一度だ。


 ロイは二度三度と、体当たりを繰り返す。


「ロイ様! もう止めてください」

 見ていられないと、マイナが制止してくる。


「諦めない、諦めたくないんだ」


 どうして開いてくれない……自分はどうなったっていい、肩の骨が砕けたって構わない。ロイが願うのは皆を助けたい、ただそれだけだった。 


(一時でもいい……救うための力が欲しい)


 格子を掴み、心からそう願ったときだった。


「手から……光が──」

 その光は、次第に赤みを帯びていく。 


(あぁ……血流に乗って、力が身体中に漲っていくのがわかる──)


 ロイは数歩後ろに下がり、大きく深呼吸する。そしてイメージを言葉に乗せる。


火炎の竜巻フレイマートルネード


 手で空気を押し出すように、格子に向かって火炎を放つ。それは渦巻くように伸びていき、格子を破壊した。


「魔法だ──ロイ様が魔法を使った!」

 子どもたちから歓声が上がる。


(今のは……本当に僕が──父上、魔法が、魔法が使えました)


 ロイは手を握りしめ、喜びに打ち震えた。


「ロイ様……逃げないの?」


 クレアに服の裾をクイッと引かれ、ロイははっと我に返る。

 感傷に浸っている場合ではない。


「一列に並んで、僕についてくるんだ」


 小さい者から順に並ばせ、はぐれないように肩に手を置くように言う。明かりは賊に見つかる可能性を考え、持たずに行動することにしたからだ。いざというときは、火球を出せばいい。


「クレア、僕と手を繋ごう。じゃあ、ゆっくり進むよ」


 ロイは壁伝いに歩き出す。しかし数メートルほど進んだところで、前方から明かりが差して来た。


「マズイ、誰か来る。皆、声を出してはいけないよ」

 ロイはいつでも攻撃できる態勢で、相手を待つ。


 とはいえ、ぎりぎりまで気づかれたくない。こちらには子どもたちがいるのだ。相手の不意を突いた攻撃を仕掛け、怯んでいるうちに一気に駆け抜けようとロイは考える。


 とそのとき。緊張感のない声が廊下に響く。


「もう少し、ゆっくり歩いてもらえないかしら」


 あ……この声は──


「そんな悠長なこたぁー言ってられねぇんだよ。早くお頭の元に戻らなきゃならねぇからな」

「うわっ、こけちゃうじゃないの!」


 引っ張られているのか、抗議の声が上がる。


「うん……? お、おいガキども、何してやがる⁉」


 ランプの明かりで、暗闇の中でたたずんでいたロイたちの姿が浮かび上がり、賊の男が血相を変える。


「え、ロイ? 皆も! 凄いわ、逃げ出して来たのね」


 賊の背後から、レティシアが進み出てくる。しかし腕はしっかりと掴まれていて、こちらに来ることはできない。

 

「レティシアさん、その格好は──なんて外道な」


 引き裂かれたスカートを目にしたロイの眼光が鋭くなり、右手をすっと上げた。


「彼女から手を離せ」

「バカか、てめぇ。殺されたくなかったら、とっとと牢屋に戻れ」


 賊の男が腰に下げた剣を抜く。


「ロイ、逃げて……って言っても、後ろは牢屋で行き止まりだし、どうしよう、どうしたらいいの」


 レティシアは剣を見て、オロオロしている。


「心配ないよ。──火球ファイヤーボール


 ロイが手から炎を出すと、「お、お前、魔法が使えるのか⁉」と、一瞬怯むが──


「っ⁉ な、何をするの……ちょ、ちょっと……卑怯すぎるわよ」


 賊がレティシアを引き寄せた。そして首に腕を回し拘束する。


「なるほどな、どうやって牢屋から出たかわかったぜ。でもな、逃げられたなんてお頭に知れたら、オレはただじゃあ済まされねえんだよ」

 

 ロイが魔法を使えるとわかった以上、牢屋に閉じ込めたところでまた逃げ出される。


「悪知恵だけは働くのだな」


 やはり根性の腐ったやからだ。レティシアを盾に、自分たちを思うように従わせようとするとは。


 必ずこの窮地を脱してみせる。パースティナ国第一王子、ロイ・フルニエの名にかけて──

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