第4話

目を白黒させてうかがうように見上げた私に、男性は口元をニヤリと歪めて見せた。わざとらしく、ことさらゆっくりと。



「見ない顔だな?」


──── !?



男性の声を聞いた瞬間、私の体はビクッと震えた。

凄みがあるとか、そういう事じゃない。この人の声は意外と澄んだテノールで、俗に言うイケメンボイスというやつだと思うし。

顔もかなり端正な顔立ちだけれども。



では怖かった?


いや違う。もちろん不良が目の前にいる状況は恐ろしいけれど、何か、違う感情が噴き出した感じだった。

懐かしいような、けれど見つけてはいけないものを見つけてしまったような気がして、焦りが加速してゆく。




どこか……どこかで聞いたことがあるような……でも初めて聞く声。ザワザワと全身の毛穴が開いていくような、いたたまれなさ。

どうしてだか、泣き出してしまいそうな感じ。



色んな感情がないまぜになって、ただ困惑して彼を見上げることしか出来ないでいると

同級生が1人、声を振り絞るようにして説明してくれた。



「こ、この子、今日、転入してきたばかりなんです……!」



すると彼は可笑しそうにクスッと笑って、私を上から下まで舐めまわすように見ながら



「へぇ、転入生ね……お前、名前は」



こ、こ、今度こそちゃんと答えなきゃ!

そう思うが怖くて声が出ない。


気に入られたら気に入られたで付きまとわれそうだし、かと言って怒らせたらいじめられそうだし……どういう態度を取ればいいのか分からなくて、私は黙って床を見つめて。

だめだ、頭が考えることを放棄しかけてる、と思ったその時だった。





すっと彼の手が伸びてきた。

と思ったら


「日生」

「ひぇいっ!?」


少し身を屈めた彼は、私の顔にぐっとその端正な顔を近づけて囁くように呼びかけた。


「日生 ──── 何?」


伸びた手は私の胸元へ。

トン、と軽い衝撃。


名札を指でつつかれたのだと気付いて、何とか声を絞り出す。


「こ、琴馬です」

「琴馬、か」







今。


今なら、逃げられるんじゃないだろうか。

彼の背後には開いたままの教室の扉が見える。

お辞儀をすると見せかけて、彼の脇をくぐり抜けるように走れば……




今逃げたところでクラスも名前も知られているわけで、あまり意味は無いことだとは、この時の私は気付くべくもなく。

ただひたすらこの状況を脱したいと、それしか考えていなくて。






や、やるしかない。



愚かにもそう、思ったのだ。




「あの! すいません私急ぐのでこれで失礼しま……っわあ!?」


ぺこりと頭を下げ、そのまま扉に向かって走り出そうとした私の体は、足を踏み出した瞬間にくるりと向きを変えていた。

何故かまた彼と向き合っている。



「逃がすと思うか? 甘ぇな」

「え? えっ?」

「もうちょっと考えた方がいいぜ。動きが直線的すぎだ」



ふん、と鼻で笑う彼。

どうやら、私のやろうとしていた事はお見通しだったらしい。

腕を掴んで引き戻されたのだ。

彼はその手を離さず、もう片方の腕を私の肩にのせて顔を近付けてきた。


息がかかりそうな近さ。思わず目をきつく閉じれば、耳元に口を寄せて囁かれて。



「俺が校内を案内してやるよ、転入生」

「ひぃぃっ! あのあの、おおおお気持ちだけでぇ!!」



耳の奥を震わせるようなテノールがダイレクトに入ってきて、くすぐったいやら怖いやら、もうわけが分からない。



でも……あれ?

私はそこでふと気付いた。


どうしてだろう、この人の「声」に恐怖を感じてはいない。これは「不良に目を付けられてしまったこと」に対する恐怖で……だって、だってこの人の声は何だか酷く心地好い……




「なに、遠慮は要らねぇぜ。さ、行くか……そんなに怯えなくても、今すぐ取って喰おうってんじゃねぇさ」

「後で取って喰うんですか!?」

「はは、どうだかな」




私がぼんやりしている間にも、さっき掴まれた腕を引かれてグイグイと連行されているのだが。

状況が悪くなるのに反比例するように、この人が言葉を発するたび私の中にある恐怖心が薄れて行くのを感じる。


むしろもっと聞いていたいような気すらしている。




周りを見渡すと顔面蒼白で私を心配そうに見つめている同級生たちが見えたけど……


もう諦めた。


確かに怖い。怖いけど、この人に興味を持ってしまったのも事実みたいだし。

こうなったらもう、なるようになれだ。



私は心を決めた。




「あの……先輩。逃げたりしませんから、腕は離して頂けると……」

「ん、ああ悪い」



あっさり。

忘れてたとでも言わんばかりに彼はあっさりと手を離してくれた。

逃げたりしませんとは言ったけど、もっと疑われるものだと思ってたから私は心底面食らって、思わず立ち止まり彼を凝視してしまう。



「あ? どーした」

彼は振り返って怪訝な表情で私を見るが、何で離したんですかと聞くわけにもいかずただ彼を見つめる。


私が動かないので彼は首を傾げたが、再び私に向かって手を伸ばし ────



「あの……ええと、先輩?」


腕を掴まれる、と思ったら ──── 手を、繋がれた。


「腕は嫌なんだろ?」




あ、気をつかってくれたんだ……じゃなくて。

そういう意味で言ったんじゃなくてですね。

私は困惑したものの、あまり文句を言って怒らせるのはまずいだろうと黙って歩き出した。



現在の心の内を比率にすれば怖さ5割、好奇心2割、残りは諦めといったところだろうか。




とにかく、捕まった以上は従うしかないのだろうけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る