第2話
……眠れない。
自室のベッドの中で、何度目か分からない寝返りを打ちながら、私は先程の鮮烈な出来事を思い出していた。
「琴馬、高校へ行きたくないかね?」
「……えっ?」
何かの冗談かと思って祖母の顔を見返してみても、いつも通りの冷静な瞳が私を見つめるばかり。
それどころか、例の紳士も私の答えを待つようにじっと見つめてくるではないか。
言葉が出なくて、ただ困惑した表情のまま祖母を見つめ返すことしか出来ないでいたら、祖母はお茶をひと口すすり小さくため息をつき、紳士にチラリと目をやった。
「まぁ、いきなりこんな事を言われても困るかの。かいつまんで説明しておこう」
「そうですな」
紳士は祖母に全て任せるとばかりに微笑んで頷き、祖母もそれを確認して頷きを返す。
「もちろんただ通え、などとは言わん。お前にはやってもらわにゃならんことがある」
「もしかして、お仕事?」
「そうじゃ。ああ、そんな顔をするでないよ。何も一人で祓ってみろなんてことは言わんわい」
仕事と聞いて一気に緊張する私に祖母はケラケラと笑う。
だって、私はまだ祓う方法すら教えて貰ってないから。
まず霊や妖怪(こちらはまだ会ったことはないけれど)に遭遇した時に体を動かせるようにならないと話にならないので、祖母が祓うのをただ見ているだけ。
何となくこういう事をしてるのかな?程度しか分からない。
「こちらさんはの、私立水無月学園の学園長じゃ。お前にはそこの高等部に通いながら調査をしてもらいたいんじゃよ。……詳しいことは学園長から聞いた方がいいかの」
「そうですね、では私から……当学園にですな、とある奇怪な木があるのですが……桜の木なのに、花をつけないので生徒達からはいわく付きの木だと恐れられております。その木に鬼を封じたなどとも言われていると聞きますが、まぁその話の出処はハッキリしませんから根も葉もない噂でしょう。ただ、鬼がどうこうという話は別にしても、その……出るのですよ」
学園長は少し困ったように頭をかいて、アレが、と付け足した。
「校内で見かけたという話はもう数十件にのぼるうえに、なんと学園から離れた所にある寮でも目撃情報が出ておりましてな……頭を抱えておる次第です」
「不思議なのはそこじゃ。その木が霊を呼び寄せているというならば、出現範囲はせいぜい校内にとどまっておらねばおかしい。ただし、鬼が封じられているとなれば少し話は違ってくるがの。しかしわしもここに住んで長いがあの木に鬼を封じたなどという話は聞いたことがない……調べてみたいが、さすがに教員の真似事は出来んし、かと言って堂々と乗り込んで行って調べていればみな怪しむじゃろう。だからこそお前の出番なのじゃ」
なるほど、水無月学園と言えばこの町では有名な私立の中高一貫校。
金持ちの子供が通う学校、と言っても差し支えないかもしれない。
挨拶がごきげんようだとか、親が政治家だとか、そんなフィクションに出てくるようなお坊ちゃまお嬢さまはいないとは聞いているけど……中学の時に、そこに通うことになった友達がいたから一時期その話で盛り上がったのを覚えてる。
まぁそういう学校だから、寄付金なんかもそれなりにあるし、評判第一なところもあるわけで。
さすがにウチが大々的に調査に入りましたという話が広がると、来年度の新入生獲得に多大な影響を与えるのは間違いない。
つまり、バレないようにやれ、と。
「調査の成否に関わらず、やってくれるのならば今後もずっと高校に通うことを認める。というのが条件だ。……どうかね、やるか?」
にま、と祖母が人の悪い笑みを浮かべる。
おばーちゃんたら、知ってるくせに……!
私がどれほど高校に憧れてたか、今でもその想いが変わらないことも知っててこんなご大層な餌を目の前にぶら下げるなんて。
「修行は、延期すればいい。水泡(みなわ)も大学を卒業したら戻ってくるし、今すぐお前を一人前にしなきゃならんという訳でもない」
「どうして急にそう思ったの?」
だってそうだろう。
高校へ通いながら修行もこなせる自信が無いのならば家にいろと言ったのは他ならぬ祖母だ。
「そうじゃの……可哀想になった、と言うのもあるし、無論それだけではない、わしの事情も多少はある。そもそも水泡が高校も大学も通っておるのにお前だけが家に閉じ込められるのも、不公平じゃろ?」
確かにお兄ちゃんは、修行をきっちりこなしながら高校もすんなり卒業して、今は隣町の叔父さんのお寺に居候しながら大学に通ってる。
私はそんなこと出来ないと思ったから諦めたけど……
「いいんじゃよ、わしもお前がここまで落ち込むとは思わんかったから軽々しく家にいろなんて言うてしもうたが……これは調査の仕事であると同時にお前への贖罪でもあるんじゃ。どうかね、高校生にならんかね琴馬」
目の前にぶら下がった、最高級の餌。
あまりにそれは魅惑的で、高校生という甘美な響きが私を誘うものだから。
「……やります!」
気付けば私は、そう叫んでいたのだった。
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