第5話

「なんだ、この人だかりは。」


 周辺を野次馬が埋め尽くしている。ヴィセが背伸びしてもよくわからない。


「はい、下がって下がって。」


 警察の声がかき消されるくらいの人に揉まれながらも、わずかな隙間から横たわる人間の手が見えた。

 被せられた麻布にはうっすらと血痕が残っている。


「事故か事件か、あるいは。」


 ヴィセが辺りを見回すと、人混みから一歩離れたところで小綺麗な格好をした少年が立っていた。頭にはハンチング帽を被っており、目元はよくわからない。

 ふと、少年は現場に背を向けて歩き出した。その口はニヤリと笑っていた。


「何を確認した?」


 不審に思ったヴィセは主人を連れてその場を後にした。

 少年の跡をつけていくと古い倉庫にたどり着いた。中に入ると冷たい空気と共にカビの臭いが鼻腔をくすぐる。今はもう使われていないのか、月明かりに照らされて舞った埃がきらきらと光った。


「お嬢ちゃん一人?」


 尾行されていたのを知っていた少年は座った木箱の上で少女に問いかける。


「いーや、僕もいるよ。」

「……いつからいた?」


 倉庫内は広く、木箱がたくさん積まれているが灯りは月の光だけが頼りなので不明瞭だ。悪魔は陰から一歩前へ踏み出すと続けて話す。


「ずっとだよ。君かい、悪い悪魔は。」


 ヴィセは心底軽蔑するような目で少年を睨む。


「悪い悪魔? 何それかっこいいー。」


 ヘラヘラと笑う少年に構わず質問を続ける。


「君が殺したのかい?」

「なに、バレてんの? そうだよ。俺が全部殺したんだ。」


 その声に憎しみや後悔などは一切感じられなかった。少年は満面の笑みで、自分の行いに満足するように振る舞う。


「お父さんとお母さんも?」


 相手に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声だったが、建物内に反響した声は簡単に届いた。


「いっぱいいて覚えてないや。」


 懐から取り出したナイフをギラリと光らせると木箱から降りた。


「もうまちのみんなをきずつけないで!」


 ヴィセたちに向かって歩く途中で、


「ああ、君クラウゼ家か。思い出した。そうやって説教垂れるのは親譲りか。」


 狂気的に笑う顔は悪魔よりも恐ろしい。思わずリーベはヴィセの背中に隠れた。


「一応聞くけど、君の目的はなんだい?」

「快楽だよ。」


 即答する様子からはなんの悪気も感じられない。ただ、己のしたことが正しいように振る舞う。


「俺に小言を言ううざい人や褒めてくれる優しい人の死ぬ顔や恐怖する顔が見たくなる衝動が抑えられないんだ。でも殺してもみんな味方してくれるんだよ。お父様も警察さえも。」

「警察が庇うほど……政治家か教授の息子かい?」

「……あの人、見たことある。」


 背中に隠れているリーベがヴィセに声をかけた。


「どこで?」

「うーん……あ、集会にいた。」


 リーベの話では毎月恒例の権力者による市の集会に参加していた。人当たりがよく、貴婦人に評判が良い上に、有名大学に通っている。まさに非の打ち所がないという悪徳を持っているような青年だった。


「いいよ、どうせ死ぬから教えてあげる。俺はヘルマン・ルートヴィヒ・シュルツ。この街の市長、ハンク・ルートヴィヒ・シュルツの息子だ。」

「なるほど、市長の。でも一度ならまだしも、君の快楽のために親の手を何度も煩わせるなんて、とんだ親不孝者だね。」


 だんだんと近づくヘルマンを警戒するように、ヴィセは鎌を握る手に力を入れる。


「だから最近言われたんだ。どうせ殺すなら役に立てって。」

「何?」

「お父様に楯突く者は一人残らず殺せって。ほら、いるじゃん、馬鹿みたいに何も考えず税金納めておけばいいのに不正だのなんだので偉そうに言ってくる奴。」


 倉庫の真ん中あたり、灯りが一番差し込むところで立ち止まったヘルマンは両手を広げる。


「親子揃って悪い悪魔か。どうするリーベ。一思いに殺してしまおうか。彼がそうしたみたいに。」

「うん。そうすれば平和になる。」


 肝の据わった彼女に迷いはない。ただヘルマンを見つめて淡々と答えた。


「死ぬのは、君たちだろ? 庶民のくせにでしゃばんなよ。」


 怒気を含んだ声色は夜の倉庫によく響いた。地面を蹴る音は次第に早くなり、あっという間に二人と距離を詰めた。


「まずは君からだ! 両親と同じようにぐちゃぐちゃにしてあげるよ。」


 ナイフを構えたヘルマンに対し、


「びせ。」

「わかってるよ。」


 悪魔はリーベの前に立つと鎌を振り上げてグッと力を込めた。冷たい空気を吸い込むと、ヘルマンを殺すことだけに集中した。

 ヘルマンは鎌を振り下ろすより速く、悪魔の心臓を目掛けて一突きするが、彼の持つナイフはヴィセに刺さることはない。当たる感覚はあっても突き抜くことができない。


「なっ⁉︎」


 驚くヘルマンを気にも留めないで、思い切り振り下ろした刃先は少年の背中に突き刺さった。


「そんなので、本物の悪魔を殺せると思ったのかい?」


 ヘルマンに身体能力やセンスがないわけではないが、その程度では悪魔に勝つことなんて不可能だ。

 そのままうつ伏せで倒れた後も、何が起こったかわからない少年は目を丸くさせている。


「あく、ま……ほんもの……?」


 余裕そうな表情から一転して怯えた目で悪魔を見つめる。まさか死ぬのが自分だとは思っていなかった。ヘルマンが状況を飲み込むより先に、


「じゃあね、悪い悪魔さん。」


 ヴィセは容赦なく首を掻き切った。恐怖の色に染まったままの目が開かれたまま、ヘルマンは動かなくなった。


「痛くないだろう? このクレイドルは眠るように命を刈り取るんだ。」


 って、もう聞いてないか。と呟くヴィセは、視線を後ろにいたリーベに移した。俯く彼女は、死体が目に入らないようにわざと視線を大きく逸らしているように見えた。


「悪い悪魔は死んだよ。」


 目線を合わせるようにしゃがんで主人の頭を撫でる。

 うん、うんと頷く彼女は安心したようにヴィセに抱きついた。


「死んだか、出来損ないの息子が。」


 驚いた二人は一斉に声のする方を、リーベは後ろをヴィセは前を向いた。その声は低く、威厳があった。


「結局殺し損ねて、ダメじゃないか。」


 背広を着た初老の男性は、髪の毛に白髪が混じっている。


「最後まで手がかかる。」


 向けられた眼光は鋭く、リーベを捉えていた。蛇に睨まれた蛙のように動かなくなった主人の代わりに、


「君が市長? まさかそっちから出向いてくれるなんて光栄だね。」


 血の付いた愛武器を持ったままヴィセは市長に近づいた。悪魔に気づかれず忍び込めた人間だ。微塵も油断はできない。


「一人じゃなかったか。」


 興味深そうに顎を触った。さすがに子供相手に負けるわけもないか、とも言った。


「ヘルマンの話を聞くに、君が裏で糸を引いていたようじゃないか。彼の殺人衝動を利用したんだろう。」

「使えるものは、使わないとな。」


 自分の息子を道具扱いする様子に、嫌悪感を示した。


「なんで、お父さんとお母さんを?」


 それ以上言葉が出なくてリーベは小刻みに震えている。本能的に感じる恐怖に気圧され、主人は半歩後ろへ下がった。


「クラウゼ家、友好な関係だったのに残念だよ。」


 度重なる演説のせいか、両手を広げて話し出す。その体勢は先ほどのヘルマンと同じだった。


「馬鹿でもわかるように教えてやろう。君の両親は集会で私の提案に反論したんだよ。税金は上がるのに給料は据え置き。集めた金はどこに消えるのかと、しつこく聞かれたよ。」

「意を唱える市民を殺して、自分を支持するだけの人間を集めた街を作りたいんだね。」

「その通り、君は物分かりが良くて助かるよ。」


 にこにことする表情は、人当たりの良さそうな柔らかい表情だ。これなら市長が人殺しを指示していたと知る者もいないのだろうとヴィセは推測した。


「ちがう。」


 馬鹿でもわかる、なんて市長は言っていたが、リーベがまだ学校で習っていない言葉がたくさんあった。しかし、反論の声は大きく、芯のあるものだった。


「お金でみんなをこまらせて、ころして作ったまちで幸せになれる人なんかいない。」


 言うね。と横で笑うヴィセはさすが我が主人と言わんばかりに誇らしく思った。


「はぁ、君も、両親と同じだね。」


 失望したように笑顔を消した市長は、懐からピストルを取り出した。カチャリと、弾を装填する音が響く。緊張感が走り、二人は市長の動きに身構えた。

 引き金を引いて飛び出した弾丸はリーベの頭を貫くことなく、大鎌の地金に施された装飾に弾かれた。それが戦闘の合図になった。

 ヴィセは市長との距離を詰めて振りかぶったが、金属が擦れる音が耳に入ると動きが止まった。


 その瞬間とてつもない威圧感に圧倒され、攻撃を相殺するもう一つの鎌を見て、ヴィセは額に汗を浮かべた。


 息を呑んで視線を右にずらすと、もう一人、息子でも市長でもない小柄な青年が、鎌を構えている。


「なるほど。」


 一歩飛び退いて距離を取る。と、相手は鎌を折りたたんだ。


「まさか、市長も悪魔と契約していたとはね。」

「うちの悪魔は優秀だぞ? ヘルマンとは比べもんにならんくらいにな。」


 紹介された悪魔はやや垂れ目の青年で、ウェーブのかかった頭に立派な山羊のツノが生えていた。

 顔を傾けると耳に開けたピアスがきらりと輝いた。袖がフリルになったブラウスの上に茶色のベストを身につけている。ズボンを中に入れたショートブーツは異様な底の厚さをしている。

 ヴィセはその見た目に覚えはない。が、しかし本能で感じた威圧感や焦りは自分自身との階級に差があることをひしひしと感じさせた。

 月に雲が被ってより一層暗くなる。遠くの方でゴロゴロと雷の音が聞こえた。

 ツノの生えた青年は市長の横に立つと忽然と話し出す。


「大罪が一人『虚栄』リュグナー。」


 その声は決して低くはないが、周りを圧倒させるような迫力があった。


「つよいの?」

「虚栄……。確か君は地獄を追放された悪魔じゃないか。」


 主人は好奇心でヴィセに聞くが、問いかけを無視して虚栄と名乗る悪魔に視線が釘付けになっている。


「つよいの⁇」

「その傍若無人ぷりに他の大罪からも持て余されていたらしいね。」

「つよいの⁈」


 眉を下げて挑発的に笑うヴィセは、焦りからかリュグナーを嘲る。傍で見ていたリーベは自分の声の届かない様子に短いため息をついて諦めた。


「俺の眷属になるなら同じ悪魔同士、仲良くしてあげてもいいよ。」


 リュグナーは優しく微笑みかける。大罪は悪魔の中でも圧倒的な存在であり、何千年と生き、何万もの魂を食べてきている。その分強さも段違いで、ヴィセのように魂も数えるほどしか食べたことのない悪魔が太刀打ちできる相手ではない。階級が上がれば上がるほどツノは立派に、翼も尻尾も生えてくるのだが、ヴィセはまだ赤く短いツノが二本生えているだけだ。

 そんな大悪魔からの提案を拒否すれば、死を意味するも同然だった。


「仲良く、ねぇ。君、友達いなさそうだから僕がなってあげてもいいけど——」

「そのときは、お前の足を切るけれど。」


 ヴィセが言い終わらないうちに、リュグナーは折りたたみ式のスマートな黒い鎌を一気に伸ばして構える。


「そんなに見下ろされるのは嫌か。やっぱり、君とはセンスが合わない。」


 足を開いて戦闘体勢を取ると、一瞬の沈黙ののち、金属が激しくぶつかる音が聞こえた。

 しかし、それ以降はずっとリュグナーが攻撃をかわし、ひたすら逃げに徹している。


「お前らの目的はなんだ?」


 余裕綽々な態度を保ったままヴィセに話しかける。


「さて、なんだろうね。」


 力強く振り回すが掠りもしない攻撃からだんだん焦燥に駆られる。


「何をしている、さっさと殺さんか。」

 攻撃範囲から外れたところで市長は大きな声を出した。

「もうちょっと愉しませてよ。」


 命令を聞こうとしないリュグナーは刃を交えて戯れる。


「きっと復讐だろう。悪い悪魔はもういない。噂を流したのも俺だ。時期に契約も解消されるだろう。」

「ああさっき話してた悪魔か。お前の出来損ないの息子のやつ。」

「君たち仲悪いんだね。大変そう。」


 鎌を振り回しながらヴィセは憐れんだ。リュグナーはヴィセからリーベに視線を移すと目があった。


「ん? まだ効力があるってこと……?」


 契約が解消されると悪魔を視認することはできなくなる。しかし、彼女の目は未だはっきりと二人を捉えている。


「悪い悪魔を殺すのが条件、ならば。」


 リュグナーは身を翻すとなんの躊躇いもなく、市長の胸に鎌で穴をあけた。


「⁉︎」


 何が起こったかわからない市長は声を出す間もなくその場に倒れた。


「お前がこの街を自分のモノにしたいっていうから利用させてもらった。元々こうするつもりだったから。でもこいつ俺のこと見下してばっかで嫌いだったんだよね。」


 ゴミを見るような目で蔑んだリュグナーは市長の背中を思い切り踏みつけた。必要以上に躙るにじる姿を見て、ヴィセは本能的に後ずさった。


「ほら、死んだよ?は。」


 狂気じみた笑顔に、ヴィセは冷や汗を流した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る