意地で勝って上がってみれば。負けられないよお前には
一回戦の相手は何組か忘れたが、下級生の男子ペアだった。
球技大会でのビーチバレーは基本的に元のルールを踏襲しているが、チーム数と時間の制約もある為に十点先取のワンセットゲームである。
同点でマッチポイントを迎えた場合、二点差がつくまで行われるデュースのルールはなし。
サーブは得点を取った方がやり、点を取り続ける限りは同じ人が打ち続ける。最初のサーブ権はじゃんけんで決める、等の決まりがある。
「じゃあサーブ決めのじゃんけんな。ジャァァァンケェェェンポォォォォォォォォォォンッ!」
「ぽ、ポン」
審判の先生の元で、俺は男子ペアの片割れに迫力で押し勝った。
よし、サーブ権は俺のもんだ。ぶすっとした顔のアヤヤが俺の前に立ち、ネットを挟んだ向こう側では二人の男子が構えている。久しぶりにバレーボールを手にした俺は、口角を上げた。勝算があったからだ。
この球技大会ではビーチバレーに限らず、現役の部活経験者はなるべく自身の部活以外の種目に出ることが推奨されていて、あまり経験者がいない。
これは学校行事で部活組が勝つだけのイベントにならないように、ということらしい。
よって相手のほとんどが、体育でやった程度の素人。最高でも俺のような元経験者しかいないということになり。
「喰らえ俺のコークスクリューサーブゥゥゥッ!」
「うわァァァッ! バレーボールがジャイロ回転しながら襲い掛かってきたァァァッ!?」
最高が俺のような元経験者なら、俺が頂点でもおかしくないよな。つまり俺がナンバーワン。
ボールを上げ、高く跳び上がって打ち放った俺のサーブは、腰を抜かした下級生の足元に突き刺さっていた。
この日の為にかつての勘を取り戻そうと、猛特訓を重ねてきたからな。昨日までの無理が祟ってちょっと筋肉痛っぽいが、それ以外に懸念はなし。
今日の俺は絶好調だぜ。
「な、なんですか今の? ジャイロ回転したボールが直角に落ちたように見えたんですけど」
「何言ってんだアヤヤ? ジャイロ回転させたボールを直角に落としたんだよ」
「何をどうやったらそんなことができるんですかッ!?」
というかアヤヤはできないのか。そうかそうか、俺のいたビーチバレー部じゃ挨拶代わりにコレぶつけられてたから、当たり前だと思ってたわ。
「これくらい朝飯前よ。さあ行くぞ下級生。何せ今日の俺は、一味も二味も七味も違うからなあ」
「「ひ、ひぃぃぃッ!」」
俺は点を取られない限りサーブ権が自分にあるというルールを最大限に利用し、コークスクリューサーブで一度もボールに触れさせないまま、下級生ペアから勝利をもぎ取った。
その後は勢いに乗って最初のじゃんけんに勝ち続け、俺はひたすらにコークスクリューサーブで勝利を積み重ねていく。気が付くと俺とアヤヤのペアは、割り振られたブロックの勝者として決勝トーナメント出場を決め、準々決勝、準決勝と勝ち抜いて優勝の文字に迫っていた。
もちろん、その道のりは楽じゃなかった。決勝トーナメントに上がってくる連中はコークスクリューサーブを拾ってきたし、集中的に素人であるアヤヤを狙われたりもした。
彼女は彼女で二回に一回くらいは拾ってくれるが、そのボールも見当違いの方へと飛んでいくので、俺は砂浜を走り回るハメになったが。
マムシと呼ばれたしつこさで執拗にボールに食らいつき、何とか勝ちを拾っていった。
「嘘、です。私なんかがいて、本当に決勝まで」
「嘘じゃない。アヤヤ、これが俺の本気だ」
白いテントで構成された大会本部にある、ホワイトボードに記された決勝トーナメント表がある。
その決勝部分に記載された俺とアヤヤの名前が、この現実を何よりも雄弁に語っていた。隣は未だ空白であり、相手は分からない。
「あと一回だ。アヤヤ、ここで優勝できたら、もう一回だけ俺のことを考え直してくれないか? 別に付き合ってくれなんて言わん、考え直してくれるだけで良いんだ。それだけしてくれたら、全部諦めるから」
俺の真剣な表情と結果に打ちのめされたのか、アヤヤはぎこちなくこちらを見るばかりだ。
その瞳には動揺の色があり、彼女が揺れているのではないかと期待してしまう。
押すしかない。
「アヤヤ。ここで負けたら終わりで良いし、勝ってもやっぱり駄目ですの返事だけで良い。俺はやれることを、全部やりたいだけなんだ。これで、本当に最後だから。頼む」
「ナルタカ、さん。私、は」
「あっ、先輩っ!」
「うッス、アヤヤ先輩!」
俺達に声をかけてくる子達がいた。
俺のことを先輩と呼ぶ子と、彼女のことをアヤヤ先輩と呼ぶ人間は、たった一人ずつ。
「ツツミちゃん」
「キョウタ君?」
「先輩、やっぱり決勝に残ってたんだね」
「どもっス、パーマ先輩も。先輩らと決勝なんて、楽しみッスね!」
「えっ? ツツミちゃんとキョウタが、俺らの相手?」
本当かと再度決勝トーナメント表を見てみれば、ちょうど大会本部の実行委員の方が空白だった決勝戦の所にクラスと名前を書き入れているところだった。
一年C組、小山内ツツミと鹿嶋枝キョウタ。
「先輩、先輩」
「うわ、ちょ、ツツミちゃん?」
するとツツミちゃんが、俺の腕を引いて少し離れた所まで連れて来た。一体何の用かと思っていると、程なくして彼女が口を開く。
「先輩さ、今アヤヤさんと賭けをしてるんだよね? 優勝できたらってやつ」
「えっ、何で知ってんの?」
「先輩の声はよく通るからね。お願いしてるのが丸聞こえだったよ」
昔からひそひそ話に向かないと言われていた俺の美声が、こんなに良く通るものだったとは。
「だからね。ボク、絶対に負けない」
ずいっと俺の方に寄ってきた彼女は、下から俺を見上げている。
「優勝できなかったら、もう先輩はアヤヤさんを諦めるんだろ? なら、ここで勝てば、先輩はボクの所に来てくれる。そうでしょ?」
「ま、まあ、そうだけど」
俺の返事を受けた彼女は、嬉しそうにニッコリと笑った。
「絶対、絶対負けないよ。ここで先輩を負かせて、絶対にボクのものにしてみせる」
ツツミちゃんは俺の元から離れると、一度背を向けて歩き始める。
かと思ったら途中で立ち止まってクルリとこちらを振り返り、右の人差し指を唇に当てながらウインクしてみせた。
「覚悟しててね。ボクだけの王子様」
それだけを言い残すと、彼女は駆け足でいなくなった。
そうか、そうだよな。俺はこの一戦で、アヤヤの気持ちにケリをつけるつもりでいたし。負けたのなら、自分はその程度だったと身を引く覚悟もしてきた。
そして俺の気持ちにケリがついたんなら、彼女の元に行くと約束した。これは彼女の希望だ。
負けたとしても全てを失う訳じゃない、代わりに手に入るものがあると分かった時。俺の心の中に、少しの緩みが生まれる。
「……いや。だからこそ俺は負けられん。俺の本気は、こんなところじゃ終わらん」
いかんいかんと、俺は気合いを入れ直した。
彼女が好きな俺は、ここで日和るような人間じゃないから。ツツミちゃんの王子様はカッコ良くて、諦めが悪いからな。簡単に俺を射止められると思うなよ。
「そ、それってッ!?」
拳を握り直しつつ大会本部前に戻ろうと思ったら、何やら素っ頓狂な声が聞こえてきた。アヤヤの声だった。
彼女と二人で会話しているのはキョウタの筈だ。俺の中に虫の知らせが届く。
直接は戻らず、俺は大会本部の白いテントの中に入り、遠巻きに耳をダンボサイズに広げて彼らの話に耳を傾けた。
「もう一回言うッスよ、アヤヤ先輩。決勝戦は、自分が勝つッス。そして優勝したら、アヤヤ先輩に言いたいことがあるんス」
「ッ!」
「なんですと?」
俺のダンボが信じられない一言をキャッチしたが、それ以上に驚いているのがアヤヤだった。
「そ、それって、まさか」
「おっと、駄目ッスよアヤヤ先輩。ちゃんとみんなの前で、自分から言わせてもらいたいッスからね」
何かを察しているアヤヤに対して待ったをかけたキョウタ。こいつが合唱祭という衆人環視の中で告白してのけた、派手好きであることは聞いている。
まさか、球技大会でその時のリベンジを果たそうとしているのではないか。
「それもこれもちゃんと優勝してから、ってことで。よろしくッス、アヤヤ先輩!」
「は、はい。が、頑張りましょう、ね」
キョウタは言いたいことだけを言い残して、さっさと準備しに向かった。残されたアヤヤは当たり障りのない返事だけをしていたが、その表情は固い。
思い出したくない昔を思い出していると、容易に想像ができる。服の裾を強く握り締めていることからも、それは明らかだ。
「おい、キョウタ」
俺はテントを出ると彼を呼び止めた。
アヤヤから離れた場所にて、後輩と対峙する。
「なんスか、パーマ先輩?」
「お前、みんなの前でアヤヤに告白するつもりじゃないだろうな?」
ど真ん中直球。将を射んとする者はまず将を射よ、が俺のポリシーだ。回りくどいことはせず、直接本体を狙うに限る。
「うわー、話聞いてたんスか。つーか普通、それ聞いちゃいます? パーマ先輩、そういうのは言わない約束じゃないッスかあ」
「そのやり方は止めて欲しい。アヤヤはあの時のことを、ずっと後悔してるから」
「ッ」
軽い調子で返事をしていたキョウタだったが、俺の一言でピクリと身体を震わせた。
「……ああ、なんだ。パーマ先輩、知ってるんスか。別の街の中学校のことなのに、物好きッスねー」
直後、キョウタの雰囲気が変わった。さっきまでの軽薄な感じが失せて、何処か暗く、ねちっこい感じがある。
「そうッスよ。自分はこの球技大会で、リベンジするんス。あの時、衆人環視の中でフッてくれたアヤヤ先輩に。その為に今まで苦労して、もう一回噂が立つくらいまで仲良くさせてもらってたんスから」
「お前が派手好きなのも、悔しかったのもよく分かる。分かるが、アヤヤのことを考えるなら、同じやり方は可哀そうだと思わないか? 告白するにしても、他にやり方なんかいくらでも」
「ハッ!」
突如として、キョウタは鼻で笑ってみせた。今度は俺がピクリと身体を震わせる番だった。
「なんで自分のこと惨めにしてくれた相手のことなんか、考えなきゃいけないんスか? やっぱパーマ先輩って、馬鹿なんスねえ」
「お前、まさか」
こいつの言葉から、態度から、俺の中で急速に組み上がっていく仮説がある。
俺はずっと、コイツがアヤヤのことを好きなんだと思っていた。手酷くフラれてもその想いは強く、学校が変わっても追いかけてくる程に。彼女が言っていたように、殊勝な子なんだって思っていた。
でももし、その前提が間違っているとしたら。
キョウタはアヤヤのことが好きなんじゃなく、あの時のことをずっと恨んでいたんだとしたら。恨みを晴らす為に、執念深く学校まで追いかけて来たんだとしたら。
事実。俺はアヤヤから多分そうだという話を聞いただけで、コイツ自身からは一言もアヤヤが好きだなんて聞いていない。
今までの会話でも、コイツは決定的な一言だけは、ずっと言ってこなかったじゃないか。
つまり。
「大舞台で告白した上で今度は自分から振った挙げ句、昔のことまで全部バラして、アヤヤを貶めてやろうとか企んでるのかッ!?」
「馬鹿の癖に、察しは良いっすねえ。まあ、バレたところでどうなる訳でもないッスけど」
明確な肯定こそしなかったが、暗にそうだと言っているような返事である。
俺は彼に掴みかかろうとしたが、あっさりとかわされた。
「おおっと、駄目ッスよパーマ先輩。試合前の狼藉なんて、漫画とかならかませ犬のすることじゃないッスか」
「お前ッ!」
「決着は試合で着けましょうよ」
余裕綽々の様子で、キョウタは口元を歪めていた。
「パーマ先輩は、優勝したらアヤヤ先輩に考え直してもらえるんでしょ? うるさい声が、こっちまで聞こえてましたよ。なら、勝てば良いだけの話じゃないッスか。自分の計画も、優勝前提ッスしね。ま、その為に元経験者っぽい小山内さんに声かけたんスけど。何やらパーマ先輩とは、訳アリみたいでしたッスしねえ」
コイツは自分の復讐に、ツツミちゃんまで利用しているとでも言うのか。
俺は奥歯を噛み締めると共に、両の拳を握り締めていた。
「ま。そっちが勝つなんて、あり得ないッスけどね。知ってます? アヤヤ先輩、ホント運動は駄目なんスよ。お荷物抱えて優勝なんて、できると思ってるんスか? 今までは運良く勝ててたのかもしれませんけど、ここで終わりッス。どうせ負けたら、パーマ先輩も潔く諦めるんでしょ? さっさと負けて、どっか行ってください。自分、過去に受けた屈辱は、清算しないと前に進めないタイプなんで」
そこまで言った時、キョウタは声を一層低くして唸った。
「邪魔すんなよ、部外者」
「ッ!」
吐き捨てるようにそう言い残した後に、キョウタは行ってしまった。
残された俺だったが、胸の内には大きな炎が燃え上がっている。
アヤヤのこと、ツツミちゃんのこと、キョウタのこと。全ての因縁が、この一戦に込められた。
それぞれがそれぞれの思惑を胸に迎える、球技大会の決勝戦だ。
「絶対に、負けられねえ」
俺の中での決心は、固いものになった。
必ず、勝ってみせる。
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