炎は蒼く散って

岸亜里沙

炎は蒼く散って

古びたバーのカウンター席に座る二人の男。

二人ともグレーの草臥くたびれたスーツを着崩し、ウイスキーをトワイスアップでちびちびと嗜む。

硝煙のように立ち上るラッキーストライクの煙は、古くなりカタカタと音をたてる換気ダクトへと吸い込まれている。

中戸川なかとがわさん、どうして警察辞めちまうんです?まだ自分たちの追ってる事件やまも解決してませんし。それに、あなたから教わりたいことは、まだまだ山ほどあるっていうのに」

自分が飲んでいるウイスキーのグラスを眺めながら、横松よこまつは隣に座る中戸川に話しかける。

中戸川も横松の方は向かず、手に持った煙草の煙が空中を彷徨さまよう様を、ボンヤリと眺めたまま低くしゃがれた声で答えた。

「心配すんな。今追ってる事件やまはあと少しで片付くさ。昨日、お前さんの非番の日に、有力な手がかりが見つかったんだ。それを調査して、後は犯人ほしを挙げるだけだ。20年も経っちまったが、あと少しで被害者がいしゃにもはなむけ報告しらせが出来そうだ」

横松は飲みかけのグラスをカウンターに置くと、視線を中戸川の方に向ける。

「手がかりですって?一体なんです?」

中戸川は考え込むように、暫く黙った。そして持っていた煙草を灰皿に置くと、テーブルの上に置かれていたお通しのピーナッツを二粒手に取って、口の中に放り込んだ。ガリガリと音を立て噛み砕くと、ウイスキーを一口含み、目を閉じた。

「あの事件やま被疑者まるひだが、ヤクザの大物が絡んでそうだ。だからか知らんが早々に捜査が打ち切られたようだな。上層部うえも面倒な事はしたくなかったんだろうよ」

「そんな、まさか・・・」

横松は中戸川の顔を見ながら呟く。

「じゃあ当時から既に被疑者まるひの目星がついてたんですか?」

中戸川はウイスキーを一気に飲み干し、グラスをカウンターに置いて、横松の方を向いた。そして先程よりも小さい声で、囁くように話す。

「ああ、おそらくな。昨日、調査資料などから消された真実を発見した。現場検証に立ち合った鑑識のと会って、話を聞いたよ。現場で発見された指紋の中に、被疑者まるひらしき指紋が混じっていたそうだ。だが調査報告書を見た時に、その事実が消されている事に気づいたそうだが、上層部うえから箝口令が敷かれたそうだ。その指紋を照合した結果、ある指定暴力団の組長のものだったらしいからな」

横松は口を真一文字に閉じ、中戸川の話を聞いていたが、ひとつ溜め息をつくと、頭を掻きながら困惑した表情を浮かべる。

「そうだったのか・・・。まさかそんな隠蔽うらがあったとは」

「ああ。だから俺は引退するんだ。もう上層部うえが信じられなくなっちまったからな。だが俺は最後まで諦めん。メディアにこの事実を公表してやる。そうすりゃ世論が味方するだろう。上層部うえも動かざるをえなくなる」

「自分も最後まで協力させてください。この事件やまを必死で追ってたのは、自分と中戸川さんだけですから。お互いに一蓮托生じゃないですか」

横松が言うと、中戸川は微かに笑う。

「そう言うと思ったよ。だがこれは危険な懸けだ。下手すりゃ警察と、ヤクザの両方を敵に回すわけだからな」

「そういった覚悟がなけりゃ、刑事になんかなってませんよ」

そう言って横松も笑った。

中戸川も笑みを浮かべたまま無言で頷く。

「じゃあ、自分たちの退に乾杯でもしましょう、中戸川さん。自分たちは最後まで諦めないって意味でもね」

「ああ。いいな」

横松はバーテンダーに、ソルティドッグを注文する。中戸川と横松以外に客はいなかった為、すぐに二人の前にグラスが置かれた。

「ソルティドッグか。確かカクテル言葉は『寡黙』だったな。このカクテルを注文したのには、何か意味があるのか?」

中戸川がグラスを持ちながら、横松に訊ねる。

「ええ。寡黙な中戸川さんにピッタリだと思いまして。ただ、証拠は掴んだし、今度は自分たちの反撃ターンです。やってやりましょう」

「ああ、そうだな」

中戸川と横松は笑顔でグラスを上げ、カクテルを口にした。

だが次の瞬間、中戸川は突如酩酊したように、座っていた椅子から転げ落ちた。そして口からは泡を吐き、体は痙攣をし始める。

その様子を椅子に座ったまま見下ろしていた横松だったが、中戸川が動かなくなると椅子から立ち上がり、中戸川の近くに片膝をついてゆっくりと話しかける。

「申し訳ない、中戸川さん。自分は、あなたが追っていた事件やまを解決するのを妨害する為に、あなたと行動を共にしてました。ですが、重要な証拠を掴んじまいましたね。これは上層部うえからの命令だったんです。あなたが証拠を掴んだ際には、口を封じろと。ソルティドッグのグラスの縁についていたのは、塩ではなく青酸カリだったんですよ。もちろんカクテルの中にも入ってましたがね。こっそりバーテンダーに細工をしてもらいました。あなたは警察の、触れてはいけない部分に執着し過ぎたんです。途中で諦めてくれたのなら、死なずに済んだんですよ」

そう言って横松は立ち上がり、先程まで座っていた椅子にまた座り直す。

「死んだんですか?」

バーカウンターの奥から、バーテンダーが中戸川の様子を窺うように身を乗り出す。

「ええ。あなたにこんな事を頼んでしまって、すみません。後は警察こちらで処理しますから」

「畏まりました」

バーテンダーは軽く頭を下げ、カウンターに残されていた中戸川のグラスを下げる。

横松は新しい煙草に火をつけ、ひとつ息を吐く。

店内に流れるJazzの音色が、いつもより暗く感じる気がしてならなかった。


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炎は蒼く散って 岸亜里沙 @kishiarisa

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