3日目 夜:お姉ちゃんと膝枕

 夕方になる少し前に、僕は部屋に戻った。頭の中にはたくさんの疑問と確信めいた予感がひしめいていたけど、僕は本棚の前に座り、平常心を装う。適当な本を手にとってペラペラと捲っていると、部屋の扉が開いた。


「ただいまー!」


 帰ってくるや否や、お姉ちゃんが後ろから抱きついてきた。お姉ちゃんが薄着だからか、彼女の柔らかさが背中に伝わってくる。せっかく保とうとした平常心が、別の方向から乱されていくようだった。僕は本を元に戻して、振り向く。


「おかえり、お姉ちゃん」

「お姉ちゃん疲れたよー、たくさんハグしよ!」

「よーしよしお疲れ様」


 僕の頭のすぐそばにある彼女の頭を優しく撫でると、耳元で気持ちよさそうな声が聞こえてきた。昼間のことがあったからか、お姉ちゃんの「疲れた」という言葉に何か深い意味があるんじゃないかと勘ぐってしまいそうになる。頭に湧いた疑念を振り払いたくて、僕はお姉ちゃんをきつく抱きしめた。


「わわ、どうしたの?」

「お姉ちゃんの疲れを少しでも取りたくて」

「ん……本当、大きくなったんだねえ」


 しばらくそのまま抱き合っていたけど、僕のお腹が鳴って彼女が離れた。ご飯を作るねと笑顔で部屋を出る彼女を見送り、僕はローテーブルの前に移動する。なんだか、足枷付きの生活にも少し慣れてきているみたいで、複雑な気持ちだ。


 お姉ちゃんが特に何の企みもなく、ただ僕を休ませたいという気持ちだけでこの生活をくれたのなら、そう信じられたのなら、僕はもっと素直にこの状況に幸せを感じていたのだろうか。


 少し待っていると、彼女が料理を持って戻ってきた。お盆を二つも運べなくて往復してたのが、もどかしい。手伝いたいけど、足枷があるしな。僕が「手伝いたい」と言うと、彼女は目を伏せて「今は足枷を外してあげられないの」と零した。


 二人揃って手を合わせ、お姉ちゃんが作ってくれたナポリタンとパンを食べる。サラダ付きの豪華な夕飯だ。


「覚えてくれてたんだね」

「もちろん! 凪くんの大好物を忘れたりしないよ」

「すごく美味しいよ、これ」


 僕好みのモチモチの太麺だ。ナポリタンを作ったにしては早かったけど、麺はあらかじめ茹でて置いておいてくれたのだろうか。茹でて寝かせておくと、麺がモチモチするんだと、まだ家族の仲が良かった頃にお父さんが言っていたっけ。


 それからも二人で談笑しながら食べて、ダラダラと過ごした。


 僕がベッドにもたれかかって、本を読むお姉ちゃんを眺めていると、目があった。彼女は昔のような優しい微笑みを浮かべて、僕を見ている。その微笑みの奥に、彼女は何を隠しているんだろうか。


「凪くん、おいで」

「ん?」

「膝枕してあげる」

「……うん」


 特に断る理由もなかったから、お言葉に甘えてお姉ちゃんの膝に頭を預けた。柔らかい太ももの感触と、彼女の体温が心地良い。そうして目を閉じていると、彼女の手が僕の頭に触れた。


「懐かしいね。昔は私が膝枕されてたっけ」

「あー、あったねそんなことも」

「私が落ち込んでると、凪くんはいつもお膝を貸してくれたね」

「僕の膝はお姉ちゃんのものだから」


 お姉ちゃんのためにずっと空けておくと言った。その言葉は、今もこれからも有効だ。彼女が何かを思い詰めているのなら、僕はやっぱりそれを受け止めたい。けれど、素直に聞いて話してくれるとも思えない。話を切り出すのなら、五日目の朝だ。そこしかない。


「ねえ、凪くん」

「ん?」

「……キスしていい?」

「へっ?」


 目を閉じて考え込んでいたら、お姉ちゃんの顔が近づいていたことに気が付かなかった。彼女は頬を赤らめて、目を潤ませて僕を見ている。途端に顔が熱くなってくるのを感じて、だけど目を離すことができず、僕は静かに頷いた。


「ありがとう」


 お姉ちゃんの手が僕の頬に優しく添えられ、くすぐったくて、思わず声が漏れた。お姉ちゃんの唇が、僕の唇に重なる。柔らかくて温かくて、少し震えている。長い口づけの後、彼女はまた僕の唇を奪った。せきを切ったように、彼女が何度も何度も僕の唇をついばむ。


 二人して吐息と高い声が漏れ、なんだか頭がぼうっとしてきた。


「んっ……はぁ、ごめん。お姉ちゃん夢中になっちゃった」

「ふぅ……ふぅ……いいよ」


 呼吸を整えようとするも、うまくいかない。下半身が熱く痛みを帯びているのがわかる。一枚のタオルしか羽織っていないそこに、彼女も気づいていないわけがなかった。


「凪くん、それ、すごいことになってるよ?」

「え、あの、えと……はい」

「ふふっ、かわいい」


 僕はそのまま、彼女に押し倒された。チャリ、と金属音が鳴る。僕に覆いかぶさって肩を揺らす彼女の瞳から、一筋の涙が流れていた。涙が僕の顔に落ちて、頬から滴り落ちる。


「ごめんね凪くん……っ!」


 彼女は謝ると、僕の体から離れ、背中を向けてしまった。背中越しに、彼女のすすり泣く声が聞こえる。僕は黙って後ろからお姉ちゃんを抱きしめて、頭を撫でた。


「お疲れ様、お姉ちゃん」

「ぐすっ……当たってる」

「それは本当にごめん。だけど、言ったでしょ? 僕の膝も胸もお姉ちゃんのためにずっと空けてるからね」


 そう言うと、お姉ちゃんはガバッと振り返り、僕の胸に飛び込んできた。お姉ちゃんが泣き止むまでずっと頭を撫で続け、「私なんか」と自己否定を続ける彼女をひたすら肯定し続ける。


 泣き止んでもなんだか落ち着かない様子だったから、お風呂にも入らず二人でベッドに寝転がり、そのまま彼女が眠るまで見守った。

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