2日目 午前:無気力からの脱出
目が覚めると、朝になっていた。ピッタリと閉じられていたカーテンが、今は開け放たれている。強い日差しが目に入ってきて、少し痛い。
「おはよう、寝坊助くん」
お姉ちゃんがベッドの隣に座っている。僕より早く起きていたらしい。カーテンも彼女が開けたんだろう。僕は起き上がって挨拶しようとしたけど、どうもうまく起き上がれない。足枷が原因じゃないことは、僕にだってなんとなくわかる。僕の脳は起き上がろうとしているのに、心がそれを拒否しているんだ。
お姉ちゃんが笑顔で僕の頭を撫でてくれている。こんな状況なのに、不思議と心が安らぐようだった。
「おはよう、お姉ちゃん」
「朝ご飯にしよっか。とりあえずお粥でいい?」
彼女の傍らにある小さなテーブルには、土鍋が置かれている。土鍋からは湯気が立ち上っていた。
「起き上がらせてあげるね」
お姉ちゃんの手が僕の首を支える。ゆっくりと、僕の体が起き上がった。ベッドの背もたれに背中を預けると、体が安定した。思えば、久しぶりかもしれない。こうして、お姉ちゃんと起き上がった状態でしっかり目線を合わせるのは。
「ん? どうかした?」
「あ、いや、なんでもない」
僕がまじまじと見てしまっていたからか、お姉ちゃんが顔を赤くしている。レンゲでおかゆをよそって、お茶碗を受け皿にしながら僕の口元まで持ってきた。
「じ、自分で食べられるから」
「嘘、何もする気力がないって顔してるよ」
言われて、ズキリと胸が痛んだ。僕は今、一体どんな顔をしているんだろう。けれど、正直、今はレンゲを持つのも怠く感じる。もう何もしたくないんだと、全身が訴えかけているような気分の悪さがあった。
「はい、あーん」
結局、されるがまま、お姉ちゃんに食べさせてもらった。
それからも、彼女は身の回りの世話を全部してくれた。歯磨きも、着替えも。誘拐されて監禁されているようなものなのに、申し訳ないなと思ってしまう。思えば、申し訳ないと思ってばかりだったような。
「お姉ちゃんはさ、なんでこんなことをするの?」
僕が聞くと、お姉ちゃんは「ふう」と息を吐いて、窓の外を見た。
「君が、あのとき、ほっとしたような顔をしてたから」
「え?」
「君がマンションの廊下から落ちそうになったとき、君は笑顔だったんだよ」
そんなことは――言いかけて、口を閉じた。頭の中に、色々な記憶が蘇ってくる。
僕が中学三年生の頃、お父さんがいなくなった。それまでは、家族はうまくいっていたように思う。突拍子もなく変なものを買ってくるお父さんに、それを一緒に遊んで面白がる僕。呆れたような顔をして見守るお母さんがいた。
だけど、小学校六年生の頃に僕は虐められるようになった。最初は竹藤だけだったけど、彼の取り巻きが加わってきて、次第にエスカレートしていった。クラスメイトも、「あんたが虐められるのはあんたに原因があるんだからね」と言って知らんぷり。
ある時、クラスメイトのなかで唯一仲良くしてくれた女子に嫌がらせをしろと、竹藤に命じられた。何度も殴られながら。断ろう。そう思ったけど、結局僕は断れなかった。女子に嫌がらせをしたことが明るみに出ると、すべてが変わってしまった。
親は毎日のように喧嘩をするようになり、僕に対してもきつく当たるようになった。当然だ。僕がやったことで、お父さんもお母さんも色々な人から責められたんだから。僕もまた、責められるべきなんだ。
だから、学校での虐めもお母さんからの暴言も暴力も、全部僕が耐えていればそれでいい。あと数年もすれば僕は家から出て、誰も僕のことを知らない街に行けばいい。お母さんも、僕でストレス発散すれば、大丈夫。僕が耐えていれば、全部丸く収まるんだ。
だけど、中学三年の頃、お父さんがいなくなってから、お母さんは日に日にやつれていって、先月、とうとういなくなってしまった。ある程度の、まとまったお金だけ置いて。僕はなぜか、探しに行こうという気にはなれなかった。
お姉ちゃんも高校に上がると同時に、実家を去って会わなくなってしまったし……。
「確かに、そうだったのかもしれないね」
僕が呟くと、お姉ちゃんが僕を抱きしめてくれる。温かくて柔らかい体に頭を抱えられると、蘇っていた記憶が全て泡のように消えていくようだった。
「お姉ちゃんといる間は、我慢なんてしなくていいんだからね」
「……うん」
「それと、ごめんね。すごく今更だけど」
お姉ちゃんが耳元で囁く。
「しばらくは、このまま、お休みだと思って」
「うん」
「必ず、お姉ちゃんが守るから」
僕はただ、頷くことしかできなかった。
だけど、少しだけ、体が軽くなった気がする。試しにお姉ちゃんから離れて、足枷を引きずりながらベッドから降りてみる。足枷で繋がれた両足が、部屋の床を頼りなく踏みしめた。
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