甘々お姉ちゃんに監禁されて暮らすだけ
鴻上ヒロ
1日目:繋がれた足と折れた心
体が怠い。節々が痛い。真っ暗な景色の中で、僕は自分でもわからない言葉を呻いていた。僕は、死んだんじゃないのか。頭に霞がかかっているようだ。学校で虐めてきた竹藤とその取り巻きと、自宅のあるマンションで口論になって、それからどうしたんだっけ。
そうだ、突き落とされたんだ。僕は七階から落ちた。廊下の手すりが低かったんだ。最後に見たのは、徐々に遠ざかる竹藤の笑ったような驚いたようなよくわからない顔だった。
ふと、目が開けられることに気づく。
眼の前には白い天井があり、そいつが僕を見下ろしているように感じた。
「……目が覚めた! よかった……」
聞き慣れた声がする。砂糖菓子を溶かしたような声。ゆっくりと首を動かしてみると、僕の右隣に彼女が座っていた。
「お姉ちゃん……?」
昔から僕のことを面倒見てくれていた従姉のお姉ちゃんが、隣で座っている。眉根を下げて瞳をうるませながら、彼女が僕の手を握った。温かく柔らかい手だ。
「僕、なんで生きて……」
「落ちながら伸ばしてた君の手を私が取ったんだよ」
「え?」
あそこに、お姉ちゃんもいたのか。確かに、お姉ちゃんから様子を見にくるという連絡は受けていた。一年前に父親が蒸発して、一ヶ月前にはとうとう母親も失踪してしまったから。
「学校にも行ってないって聞いてたし、お姉ちゃん心配してたんだよ」
「それはごめん。行く気起きなくて」
「ううん、いいんだよ。当然だもん」
どうして、行く気が起きなかったんだろう。両親の失踪と学校は関係がないし、虐めだってそれまでは普通に学校に行けていたんだから、行く気が起きない理由にはならないはずだ。
お姉ちゃんの手の温かさを感じながら、僕は起き上がろうとして失敗した。
「ねえ、ここは……?」
「お姉ちゃんの部屋だよ」
「お姉ちゃんの……?」
見渡してみると、まるでホテルの部屋のようだった。殺風景という言葉が似合うような、生活感が感じられないこざっぱりとした部屋。白い壁と天井に囲まれて、窓には真っ黒なカーテンがかけられている。家具はあるけど、装飾や置物の類はない。昔はもっと、ぬいぐるみやゲームがたくさん置いてある部屋だったように記憶している。
ふと、視界の端に見慣れないものが映った。
それをよく見ようと体を起こそうとして、やっぱり失敗する。そのとき、チャリ、と金属が擦れるような音がした。なんの音かと身を捩ってみる。また、チャリと鳴る。試しに足だけ動かしてみると、また鳴った。
「足……?」
恐る恐る足に視線を移す。掛け布団があってよくわからなかったから、掛け布団を剥がしてみる。
「は?」
掛け布団が取り払われてあらわになった僕の足には、金属の輪が着いていた。両足に装着された輪を繋いでいるのは、これまた金属のチェーン。視線をお姉ちゃんへと移すと、彼女はただ笑顔で頬を抑えて「気がついた?」とだけ。
「な、んで足枷が……?」
「これから五日間、凪くんには、お姉ちゃんの部屋で暮らしてもらいます」
「だからなんで足枷が!?」
「繋がれてたら外に出られないからだよ」
足を前に動かしたら歩けるよ、とでも言っているように聞こえる。
「これ、お姉ちゃんが着けたの?」
「そうだよ?」
「なんで?」
「凪くんを守るためかな」
笑顔で語るお姉ちゃんの言葉は、まるで噛み合わないパズルのようだ。
外でカラスが鳴いているのが聞こえる。ピッチリと閉じられた黒いカーテンの外に、カラスがいるらしい。視線を外してからまた足に視線を戻してみると、そこにはやっぱり足枷があった。
「今日からお姉ちゃんが全力で凪くんを甘やかすからね」
その言葉を聞き終える前に、僕の体が柔らかく温かいお姉ちゃんの体に包まれた。僕を横たわらせて、添い寝する形になっているらしい。僕の素足に彼女の素足が絡まって、くすぐったい。心臓の鼓動が耳から入ってきて、力が抜けてしまう。大きくて柔らかい胸が呼吸に合わせて少し動いているのが、顔から伝わってきた。
「凪くんはもう、何も辛いことや悲しいことを考えなくていいの。お姉ちゃんが全部から守って、君を甘やかしてあげる」
何を言っているのか咀嚼できていないはずなのに、その言葉は僕の耳から入って溶けて心に流れていくようだった。僕はどうすることもできず、ただ彼女の胸の中でもう一度眠りについた。
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