第13話 気まずい顔合わせ
翔和に似た癖のある黒髪を持つ伯爵は、夫人から聞かされた話に驚いているのか、声も出せない様子で固まっている。
「まったく、翔和ったら。思い人がいるのなら、どうして先に言わないの」
「聞く耳を持ってくださりませんでしたよね、母上。一方的に写真を置いて帰られたのはあなたですよ」
すると、そんな伯爵の横に座り、呆れの滲む声音で肩を
彼の見た目は両親それぞれに似た部分があるものの、性格は完全に母親似のようだ。
ある意味息ぴったりな親子のやり取りに、翔和の傍で息を潜めていた雅月は、緊張しながらもどこか驚嘆した様子で前を見つめている。
「まあまあ、二人とも落ち着きなさい。涼佳さんが笑顔で押し切るのはいつものことでしょう。その笑顔がまた愛らしくて、私はいつも
「あら、
「だがまさか、翔和が
やはり雅月の父と伯爵にはそれなりに交流があったようで、口調に懐かしさが滲んでいる。
「そう言えば父上、
と、子爵を苗字ではなく、名前で呼ぶ父に同じ疑問を感じていたのか、翔和はしみじみする伯爵に問いかけた。
五年程前まで定期的に見えていた子爵だが、雅月がそれを知らないのは、やはり不思議なことのように感じてしまう。
「ん? そうさな。樹希さんはよく、思い人に反物を贈りたいと通っていたのだよ。だが、早くに奥様を亡くしたようで、それからは年に一回、子供用の着物を求め、来店されていたな」
「……!」
「おそらくは贈り物だった故、お嬢様にも内緒にしていたのだろう」
にこりと雅月に微笑みかけ、伯爵は懐かしそうに呟いた。
確かに父は毎年、雅月の誕生日に美しい着物を贈っていた。毎年欠かさず贈られる素敵な着物に、雅月はとても喜んだものだが、それがまさか御代呉服屋の品だったなんて……。
(お父様にとってここの着物は、お母様との思い出を表すような、特別なものだったのかもしれないわね……)
不意に明かされた父の行動に、雅月は胸を打たれながら秘かに両親を想った。
雅月の母は娘の出産と同時に息を引き取り、父はお家の没落と共に亡くなっている。思い出の品はもう、別れ際に父がくれた髪留めしか残っていないけれど、巡る縁に涙が滲む思いだ。
「そうでしたか。なら、天宮子爵もこの縁を喜んでくださるかもしれませんね」
「うむ……。今回の件は
朗らかに微笑み、しばらく思い出話をしていた翔和は、何とか穏便に縁談回避を目論むべく、ゆっくりと切り出した。
案の定、腕を組んだ伯爵は頷きかけ、涼佳も何も言わずに様子を見守っている。
「お待ちくださいっ!」
だが、ここで引き下がるほど、
「せっかくお
部屋の端に座り、話を聞いていた彼女は涙目で立ち上がる。
傍から見れば急な話に動揺した涙に見えるかもしれないが、雅月にとっては、それがただの偽りの涙であることに気付いていた。
きっと彼女は、翔和が欲しくて仕方ないのだろう。
自分に与えないことを罪だと
「む……」
「はぁ、この話を持ってきたのは眞銅議員ですか。この間茶館で、どうでもいい話を聞かされた記憶があります」
すると、涙の訴えに迷う伯爵の一方、翔和は盛大なため息をついて言った。
どうやら杏子の母親は、男爵位を持つ貴族院議員の眞銅氏と再婚をしており、今回その伝で見合い話を持ち込んだらしい。
眞銅議員は、帝国議会において何度も議員に選出される実績を持つ中堅議員で、息子は欧州と貿易を結ぶ
だが御代家はあまり、政治家と付き合う性質ではなかったはずだ。
ますます面倒な縁だと思いながら言うと、次に口を挟んだのは涼佳だ。
「そうね。杏子ちゃんの言うことも分かるわ。なら、あとは翔和と話して決めなさい。私はその間雅月ちゃんと話してみたいわ。一緒にお団子でも作りましょうか」
「母上……」
「ね?」
「…………」
翔和そっくりの強引な笑顔に押し切られ、翔和はその場に杏子と共に残された。
一方の雅月は、どうしたらいいか分からないまま、涼佳について屋敷の台所へ向かう。
結局雅月は今のところ、御代伯爵にも涼佳にも、ひと通りのご挨拶をしただけで、世間話ひとつしていない。にも拘らず翔和のいないこの状況は、どうにも具合が良くない思いだ。
「そう緊張しなくて大丈夫よ。一緒にお団子づくりを楽しみましょう?」
「……はい。御代夫人も台所に立たれるのですね。少し、意外です」
「ふふ、それはきっと翔和のせいね。普段の食事は女中に任せているのだけれど、甘味だけは時々こうして作りたくなるの」
人気のない台所に立ち、生き生きと団子粉を取り出す涼佳の朗らかな笑みに、雅月は声を強張らせながらも答え、彼女の作業を手伝った。
流石呉服屋を勢力的に仕切る涼佳は、伯爵夫人ながらも話しやすく、親切な人柄だ。
その辺りもやはり、翔和に受け継がれた部分ではあるのだろうが、手を動かすたびに、雅月の緊張が、少しずつ解けていく。
すると、団子の生地を丸めながら話す彼女の口調にそれを感じたのか、涼佳はふと気になったように問いかけた。
「そう言えば、雅月ちゃんは今翔和と生活しているのでしょう? あの子と暮らすのは大変じゃなあい? 甘いものしか食べないし……」
困っているとも心配しているともつかない口調で、彼女は雅月を見つめ言う。
確かに出逢った当初は、甘味をちゃんとした食事と言っていた翔和だ。涼佳が心配するのも当然だろう。
だが、二人での生活を経て生まれた変化に、雅月は口ごもりながら説明した。
「あ、いえ……私が変に進言したせいかもしれませんが、朝晩は食事を取ってくださるようになりました。もちろん毎日カフェーや純喫茶は巡っていますが……」
「まぁ。それは大したものね。あの子はかわいくないから、私の言うことはちっとも聞かないのよ。進学もそう、お嫁さん探しもそう、支店のことだって、何ひとつ聞かないんだから」
「さ、左様で……」
「そうよぉ。あの支店だって、学生の間は本格的に関わらなくていいと言ってたの。なのにあの子ったら、十八の年になった途端、自分が仕切るからって一人別邸に移り住んじゃったのよ。仕方なく縁談を持って遊びに行ってもあしらわれるし、本当にかわいくないわ」
ころころと団子を丸め、嫋やかに話していたはずの涼佳は、いつの間にか、文句のように口調を荒げ言い切った。
翔和は以前、両親が自分に甘かったと話していたが、涼佳は息子の独立を寂しく思っているのだろう。学生時代から経営に携わる彼の行動に感嘆したことはさておき、母親らしい姿に、雅月の緊張がまたひとつ解けていく。
「夫人は本当に翔和を心配されているのですね。私などでは微々たるものしかお役に立てませんが、食事には気を配るように致します」
「……!」
「あ、その……お傍にいさせてもらえる間は、ですが……」
翔和と涼佳の微笑ましい親子関係に優しい気持ちを抱きながら、彼女は気遣いを込め呟いた。
途端、まだ傍にいられると決まったわけではないことを思い出し、雅月は慌てて訂正する。
だが、そんな彼女に笑みを見せた涼佳は、優しく言った。
「頼もしいわね、雅月ちゃん。あの子のこと、よろしくお願いするわ」
「……」
同じころ。
部屋に残された翔和は、地獄のような時間を味わっていた。
二人きりになった途端、詰め寄って来る杏子の猛攻に開始三秒で疲れ果て、今はただ彼女の声を聞き流すのみ。
「ねぇ翔和様? お姉様より、私の方がずっとあなたに合うと思いませんこと? 器量はもちろん、甘味だって大好きです。甘い甘いチョコレートのように、二人で末永く、甘い甘い生活を送りましょうよぉ?」
「……」
「チョコレートもケーキも、たくさんご用意いたします。もちろん、お仕事はいりません。あくせく働くなんて持たざる者の所業だわ。持てる私たちは、思うままに好きなものを手に入れるべきなのです。私たちに与えないなんて、罪でしょう?」
しかし、翔和のカラ返事にめげることなく、品のない笑みを浮かべた彼女は、誘うように囁いた。
だがそれは、人にとって堕落を招く悪魔の誘いだ。
与えないことが罪とは、彼女は自分を、何だと思っているのだろう。
「残念だけど、その考えは御代家には合わないかな。僕ら華族は神じゃない。持てる者だからこそ人を雇い、経済を回し、この国を良くしていく責務があると商売をしているんだよ。それに、雅月を傷つけたきみを許せると思う?」
「あら。お姉様は余計な進言ばかりで、私に与えなかった愚か者ですわよ。本当に邪魔な姉。もっと苦しめばよかったのに」
そう思った途端、滅多に懐くことのない嫌悪を懐きながら、翔和はきっぱりと断言した。
だが、穏やかながらも圧のある笑みに負けず、杏子は冷酷な目をして言う。そこには姉への情など欠片もなく、心からの侮蔑があるのみ。
しかし、すぐにその表情を押し込めた杏子は一転、目を見開く翔和に怪しげな笑顔を向けると、手を伸ばした。
「翔和様、私、諦めませんことよ。頑なになるのならいっそ……」
「……!」
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