第17話

 ついさっきまで木の枝で遊んでいたチビちゃんが、床の上に倒れていた。

 その顔は真っ青で──ゴブリンの顔は緑だけど、もっと青ざめていて、目をいて苦しそうにお腹を押さえている。

 なに? お腹が痛くなったの!?


 パパゴブリンも血相を変えて飛んで行った。

 チビちゃんに声をかけるけれど、チビちゃんは返事ができない。

 泣くような顔をしているのに、泣き声が出せないでいる。

 ママに抱かれると腕の中で苦しそうに身もだえして、それが激しくなっていく。

 尋常じゃない!

 緊急事態だ!


 大きいお兄ちゃんは本を放り出し、大きいお姉ちゃんもくしを投げ出して駆け寄った。

 騒ぎを聞きつけて、外からちい兄ちゃんとちい姉ちゃんも飛び込んでくる。

 みんなチビちゃんの周りに集まったけれど、誰もどうすることもできない。

 いくら声をかけてもチビちゃんは苦しがるだけ。

 身もだえがひどくなって、ママの腕から落ちそうになる。


 救急車! と私は携帯を取り出した。

 ここは異世界だけど、異世界の病院とつながるかも、と思ったから。

 でも、電話のキーパッドは現れなかった。

 緊急サービスの画面も出てこない。

 この世界にそんなものは存在しないんだ──。


 チビちゃんは声もなく苦しがっている。

 ママが必死で抱きしめているけど、顔色がどんどん悪くなっていく。

 ゴブリンたちはみんなパニック。

 頭を抱え、足を踏みならしてわめいている。

 ああ、どうしたら──どうしたら──!


 そのとき、チビちゃんが大きくのけぞった。

 その拍子に顔が私のほうを向く。

 もう土気色つちけいろの顔。

 苦しそうに口をぱくぱくさせている。

 その口元から赤い泡がしたたっているのを見て、私はぎょっとした。

 吐血!?


 でも、私はすぐに思い出した。

 片付け中に手をすりむいたちい兄ちゃんの血の色は、オレンジ色だった。

 ゴブリンたちの血の色は赤じゃない。

 じゃあ、あの赤いのは?

 まるで絵の具でも溶かしたような、どぎつい赤い色……


 私は、はっと振り向いた。

 部屋の中に残ったゴミの山を見る。

 さっきそこに生えていた真っ赤なキノコがなくなっていた。

 見逃しているかもと見回したけれど、やっぱりない。

 ということは──!


 私は突進してママゴブリンからチビちゃんを奪い取った。

「ちょっと貸して!」

 チビちゃんの口の中が赤い泡でいっぱいなので、前屈みにさせて咽に指を突っ込んだ。

 ゴブリンの体の構造はわからないけど、小さい子ならこれできっと──


 げぇっとチビちゃんが嘔吐した。

 2度3度と胃の中のものを吐き出す。

 赤い液体と一緒に出てきたのは、ちぎれた真っ赤なキノコだった。

 エノキタケのように細長いものが何本も出てくる。


 やっぱり! と私が思っていると、ママがまた金切り声を上げた。

 何かしきりに繰り返し言っている。

 キノコの名前だ、と直感した。

 ママの表情から、とんでもない毒キノコらしいと察する。


 パパがあわてて部屋に並んだ木箱へ飛んで行った。

 中に入れてある物を放り出して何かを探し始める。

 薬!? 毒キノコに効く薬があるの!?


 だけど、それはなかなか見つからなかった。

 箱の中は「いる」物を片端から放り込んだだけで、まだ整理されてなかったから、必要な物がどこにあるのかわからないんだ。

 パパが2つ目の箱をかき回して探し始める。

 箱はまだ7つもある……。


 キノコを吐き出しても、チビちゃんはまだ苦しそうだった。

 ママが私からひったくって抱きしめたけれど、少しも元気にならない。

 やがて、チビちゃんはガタガタ震えだした。

 毒キノコの毒がもう体に回っているんだ。

 ママがパパへ叫んだ。

「薬はまだ見つからないの!?」

 そう言ったように聞こえた。


 すると、ちい姉ちゃんがママに何かを言った。

 確かめるような口調。

 すぐに自分の宝物が並ぶ棚に走って行くと、木の実をひとつ持ってパパのところへ行った。

 木の実をパパへ差し出す。


「キーキキー!」

 パパが歓声を上げた。

 探していたのはその木の実だったらしい。

 ちい姉ちゃんが薬を自分の棚にしまっていたから、見つけることができなかった?

 ああいや、きっと違う。

 薬の原料がその木の実なんだ。

 たまたま、ちい姉ちゃんの木の実コレクションの中にあったんだね──。


 パパはすぐに木の実を持ってかまどへ行った。

 パパに言われて、大きいお兄ちゃんとお姉ちゃんは外へ飛び出していく。

 他にもまだ材料が必要なんだろうか?

 ますます顔色が悪くなっていくチビちゃんに、私は気が気じゃない。


 ガツン、ガツン。

 パパがかまどの横の平たい石の上で木の実を割り始めた。

 あ、平たい石はまな板だ。

 木の実を置いて、石で叩き潰そうとしている。


 ところが、木の実の殻はとんでもなく堅くて、ちょっと叩いただけで、石のほうが砕けてしまった。

 パパは叫び声を上げてきょろきょろ周りを見た。

 新しい石を探しているんだ。

 すると、今度はちい兄ちゃんが駆け寄ってきた。

 差し出したのは、彼のコレクションの黄水晶。

 ナイス、ちい兄!

 黄水晶は硬い石だから、きっと大丈夫だよ!


 2、3度叩くと、本当に木の実の殻がぱっくり割れた。

 パパは白い中身を取り出すと、石で叩き続けた。

 白い実が潰れて粉々になっていく。


 そこへ大きいお兄ちゃんとお姉ちゃんが戻ってきた。

 手に竹の水筒を持っている。

 二人で水を汲みに行ってきたんだ。

 パパは水筒の中に潰した木の実を入れてチビちゃんのところへ行った。

 もうぐったりしているチビちゃんに、声をかけながら、水筒の「薬」を飲ませる──。


「キィ」

 チビちゃんがようやく声を出した。

 みるみる顔色や顔つきが良くなって、呼吸が落ち着いてくる。

 すごい。劇的に効くのね。


 パパがとんとんとチビちゃんの背中を優しく叩いた。

「もう大丈夫だよ」と言うように。

 大きいお姉ちゃんがチビちゃんに毛布のように布をかけてあげた。

 チビちゃんはママに抱かれながら、とろとろと眠り始める……。


 ああ、よかった。

 本当によかった。


 ちい姉ちゃんのコレクションに薬の実があってよかった。

 ちい兄ちゃんは自分のコレクションの石から一番硬いのを持って行ったんだね。

 みんなのおかげでチビちゃんが助かったね。

 よかった。

 ほっとしたら涙が出そうになった……。


 すると、パパが私の前に来た。

 あ、そうだ。

 私はパパにヘルパーを解雇されるところだったんだっけ。


 ところが、パパは私に向かって胸を叩いて頭を下げると──感謝してるのね──おもむろにゴミの山へ向かっていった。

 歩きながら子どもたちに声をかけると、チビちゃん以外の子どもたちがぞろぞろついて行って、パパと一緒にゴミの片付けを始めた。

 え? え……?

 片付けるの?

 やっぱり片付けを続けるの?


 あわてて携帯のアプリを見たら『契約終了希望』の画面が消えていた。

 代わりに出ていたのは『終業予定時刻 午後5時』の文字。


 どうやら私はヘルパーを首にならずにすんだみたいだった──。


(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る