比良坂鉄道の夜

すいむ

比良坂鉄道の夜

Charon Express

 若葉家の末席の忍が医学部を目指し高1から街の予備校にも行ったりしていた頃、高校1年の夏の頃に片田舎の下宿先の本家に帰宅するときにその出来事は起こった。


 いつも通り忍は駅のホームで帰宅後のことを考えながら、携帯を見ながら電車を待っていた。そして来た列車に何も考えず乗り、座席に座る。そして少しして列車のドアが閉まった。


 その直後、乗る前に窓から見えたよくある通勤電車の窓に沿ったロングシートの内装とはかけ離れた床が板張りの通路を挟んだいわゆるクロスシートが並び列をなすような列車に変貌した。

 レトロというべきかヴィンテージ感溢れる明らかにいつもとは違う列車である。


「えっ!?」


 座っていたのは窓に沿った座席で横向きだったはずなのに気づいたら列車の進行方向に向かって座っていて忍は頭が真っ白になった。

 忍が入ってきたドアは消え失せていて先頭の方と末尾の方にしかドアが無いタイプに変化していた。

 そして忍の座席は列車の後ろの方であり、前方の座席には疎らに何人か座っているのが見えた。

 

 『本日は比良坂鉄道を御乗車頂き誠にありがとうございます、この列車は比良坂線急行、竪洲行です』


 突然、アナウンスが聞こえてくる。


『当列車は急行ですので闇駅には止まりません、次停車する駅はきさらぎ駅になります』


 案内される駅名は聞き覚えのない名前ばかりだった。


『お降りの際は車掌に駅名が書かれた切符をお渡しいただけますようお願いいたします』


 気付いたら手には携帯ではなく切符が握られて、携帯はいつの間にか胸ポケットに入っていた。


『只今この列車は闇駅を通過致しました』


 アナウンスが流れたあと、突然話しかけられた。


「君、乗る前に帰りの列車かどうか行き先を確認しないとダメだよ」


 話しかけて来た人は長い髪を高い位置に紐で一つにまとめて背中へ流している着流しを着こなす美人だった。そして、独特な雰囲気を漂わせる現実離れした恐ろしい程の中性的な美貌の持ち主だった。まるで、何度かお逢いしたこの辺一帯で一番古い良家の一族の当主を思い出させるような――


「窓を見て、真っ暗でしょう?」


 声も女性にしては低く、男性にしては高く、落ち着いた声で引き込まれるような魅了される声でぼうっとしてしまいそうになる。忍は何故このタイミングで話しかけられたのかも、近付かれたことに気付かなかった事にも疑問をまだ抱いてはいなかった。


「隣に座っても良いかな?」


「よ、よろしければ、どうぞ」


 忍の側まで歩いてきた美人は衆人を魅了するような微笑みをしながら愛想よく忍に訊ねた。忍は上擦ったような、生返事にも聞こえるようなそんな声で答え窓側に寄る。


「ありがとう、忍ちゃん」


「!?」


 下の名前を呼ばれ忍は目を見開く。少なくとも忍にはこの美人との面識が無いからだ。忍自身は、同程度のミステリアスな美男美女に会ったことは何回かあるが、一度見たらこんな美人忘れるわけが無いと言い張れる。

 相手は一方的に忍の事を知ってる事になる。

 どこか誰かに似ている気はするが、その人ではないだろう。


「あ、あなたは……ど、どちらさまでしょうか、どこかで、お、お逢いしたことありましたか……?」


 はっと気が付きやっとのことで忍は途轍もない美人に訊いた。

 すると通路側に座った美人はあぁ、と呟いてから話し出した。


「この姿では始めて会うね、君のことは知っている若葉の末席の娘の忍ちゃん。そうだね、僕のことは半月とでも呼んでくれれば良いよ」


 半月と名乗った美人に性別を訊ねてみた。


「半月はどうであれ半月なのさ」


 なんとも言えないあしらわれ方をされるので忍は話を変えた。


「この列車は何なのでしょうか?」


「怪異の一種だね、君には、妖怪と言った方が伝わりやすいかな? 詳しくはわからないけど、昔だったら牛車の姿でもしてたんではないかな?」


――火車か、輪入道か、片輪車か、朧車か――


 忍は既に頭の許容量を超えた答えを出されて混乱状態に陥りかけていた。気を逸らす意味もあるのか無いのかさらに半月に質問を投げ掛ける。


「……窓の外が真っ暗で何も見えないのは何故なんですか?」


「この列車は異界を走っているからさ」


 なんならこの妖怪の中にあたる車内も異界の一種だよ、と半月はどこか冷めた声で付け加えた。


「い、異界、とは……?」


 忍は半月の冷めた声に現実を思い出す。そしてどうにか声をひり出して半月に掠れた声で訊いた。


「普段日常を過ごす『この世』とは違う空間のことで、場合によっては物事の理や時間の流れさえも『この世』とは異なる所の事だよ」


だからこの列車内もある種の『異界』の扱いになるんだ、と半月は答えた。


「異界に迷い込んで『この世』に戻れなくなることを『神隠しに遭う』と言ったりするね」


 半月は遠回しに現実を忍に突きつけてきた。それは全く悪いことではなく、むしろ忍を思っての事だと理解してても、忍は胸が締め付けられるような、重石を乗っけられたような、言葉ではすべてを言い表せないような思いや痛みを感じた。


 ――このままでは家に帰れなくなり神隠しにあった人間として葬られる――


 忍はどうにも出来ない焦燥感を覚え、半月を見つめる。


「『異界』というのは『この世』の側にあって、その境界は時に曖昧になって日常を侵蝕しているんだ。闇や霧はその境界が見えなくなり気付いたら、『この世』から『異界』に迷い込んでしまうことがあるんだ」


 淡々と窓の外を見ながら半月は語った。


「駅は暗くはなかったはずですが……」


 忍は首を傾げ視線も斜め上遠くにやる。


「そうだね。 でも忍ちゃん、君は意識を列車の方に向けてなかったんじゃないか?

 例えば――携帯を弄ったりとかして、そこまで列車そのものを見ていなかったんじゃないか?」


「!?た、確かに」


 携帯に気がいってたのは紛れもない事実である。


「恐らく、意識が他にやってるとき薄くなった異界との境界を自らの足で越えてしまったようだね」


――結果論だけどちゃんと前を向いて電車を待っていたら、この列車の様々な違和感に気付いて乗ろうとは思わないだろうし、そもそも認識も無意識にしないようにしただろうから――


「本来なら生きた人間はこの列車に乗れない筈なんだよ、他の乗客は死んだ人間だ」


 ――この列車は、あの世に死んだ人を運ぶ怪異なんだ――


「えっ……!? じゃあ、何でっ――」


 忍の頭はあまりにも日常から乖離した事態と差し出された情報を受け止めきれなくなっていた。その情報が嘘か真かなんて今という状態においては意味をなさない、この事態が変わるまでは。

 だが、半月はさらに続ける。


「それは君があまりにも死が纏わりついてるからだよ」


「……っ!?」


「別に僕は君が悪い事をした訳では無い事も、君自身が生死の境を彷徨っていたことがあることも承知している」


――君が頑張って勉強して今日も夜遅く帰っている事も知っている――


 半月は遠回しに様々な情報を告げつつ、今ここでこんな形で励まされても忍が困る事をわかっているのにそのように振る舞う。


「っじゃあ、どうして――」


 ついには忍は耐えきれず、泣き出していた。言葉は続かない、この事態を忍は飲み込めず言葉も吐き出せなくなってしまったのだから。


 そんな姿を見ても変わらず冷淡にも無慈悲にも半月は話を続けた。


「怪異とは往々にして理不尽で理屈の通じ無いモノなんだよ」


 それでも忍を見る眼差しは憐憫の情を宿していた。

 その表情は歳の離れていた兄の信を思い出した。


「境界を越えて入ってしまったのは、もう、仕方ないから、次からは気を付けなさい」


 そう言った後半月は立ち上がった。


「次、とは……半月さん、どうやったら私は帰ることが出来るのでしょうか……」


 まだ、涙が止まらず項垂れた忍は床をピントの合わない状態で見たまま立ち上がった半月に問う。

 

「では――切符を見せて」


 この列車に乗った時に持っていた切符を見せて――


 半月は自分の切符を告げた。


「はい」


 涙が止まり、少し落ち着いた忍は半月に持っていた切符を見せた。無意識に握りしめてしまい、クタクタになってしまっている。半月にくたびれた切符を見せるのが少し恥ずかしい気持ちになっている。


「では、僕の切符と交換しよう」


 一方、半月は気にした素振りも一切なくそう告げた。


「えっ!?」


 忍にとって予想外の言葉が返ってきた。


「君はこのままだと確実に文字通りあの世に逝く、だから僕の切符と交換しよう」


 そして半月は自分の切符を差し出した。


「え、そうしたら、半月さんは――」


 死んでしまうのでは?と忍は立ち上がった半月を見上げる。


「僕は大丈夫、そもそも生きたまま実体ごと乗っているのは君しか居ないんだ」


 諭すように半月は告げる。


「……」


 不安そうに、見上げる、それでも忍は半月の言っていたことを理解していた為、今更驚くことは無かった。


「あ、僕は別の姿で生きていて、決して死者というわけではないよ、少し特別なんだ」


――僕は決して地獄には逝かないから、信じて――


 すると、また列車のアナウンスが入った。


『間もなく、当列車はきさらぎ駅に停まります――』


「もう時間は無いよ、あの世の領域までいずれこの列車は到達する」


「!?」


「さぁ、切符を僕に」


 半月の顔は極めて真剣な顔であり、生半可な気持ちを切り捨てる事を求めていた。

 どこか兄に似ている、でも明らかに兄ではない。

 どこが似ているんだろうか、と忍は先程まで考えていた。

 こうやって自分を思いやって心配してくれる所が兄を思い出したのだろう。

 だが兄は半月の様に強くはなかった――


「っ……」


 言葉にならない言葉を発しながら忍は切符を差し出した。切符には、竪洲かたす行と書かれている。


「これで良し」


 そして、忍は行き先部分だけ書かれてない切符を手に入れた。


「半月さんはどこに行くの……?」


 元々自身が持っていた切符を見ながら忍は問う。


「僕は元々供儀だから、既に紐付きだから何処行きだろうが問題ないんだよ」


 安心させるように半月は言った。だがどこか嘲るようにも忍には見えた。


「だから、君は、ただ、ひたすらに家に帰ることだけを考えればいい」


 出来たら塞の神に祈って――


「……わかった」


 行先の書かれていない切符を握りしめ、半月の言葉の通りに帰りたいとただひたすら祈っていると、忍の意識は遠退いていった。

 

 「また会おう――」


 消えゆく意識の中で忍はたしかに聞こえた声が遠く小さくなって消えていった。

 

 


 気付いたら忍はいつの間にか下宿先の本家の裏庭にあるお地蔵様の前に立っていた。握りしめた切符が夢ではなかった事を証明している。その行き先の書かれてなかった切符には『若葉家地蔵菩薩前行』と書かれていた。


 さようならも感謝の言葉も言えなかった、と忍は悔やんだが、なんの気もなく携帯をみたら時刻が午前三時前の表示をしていて我に返る。





 どうにか日常の端に降り立つことが出来た彼女の受難はまだ終わっていない――












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