あさきゆめみし

寛ぎ鯛

第1話 新入社員?朝艶寛貴

 中学、高校と突出した何か才を発揮するでもなく、かと言って特別に劣等生だったかと言われると全くそんなこともなく、常に平均的なラインを保って過ごしてきた。そして、特に明確な目的意識を持つこともなく、周りの友人たちが大学進学を志すという流れに逆らわず自分も実家から通える大学へと進学した。

 何か特別学びたい学問があったわけでもなかった。そのため、学部や学科にも特別なこだわりもなかった。ただその時に自分の学力で安定して合格できるだろうという人文系の学部へと進学し、ここでも特に何かに打ち込むでもなくただ何となくと過ごした。そして、あっという間に学年も上がり、周りと同じように就職活動をして、今もなお働き続けているこの会社に入社したのだった。我ながら無味乾燥な学生時代を過ごしたような気がしている。

 あれから20年、学生時代の同級生や入社同期たちは結婚に出産にと、次々と家庭を築いていった。当初はそうしたものに焦りや後ろめたさのようなものも感じていた。しかし、ここ数年は特にそうしたものについての興味関心も薄れてしまったようだった。最初のころは両親からもそうした話題について触れられることもあったが、今となっては諦めたのだろう。自分でも自分のそういう色恋沙汰への興味のなさには早々に気づいていた。

 そして、今日は人知れず迎える入社20年目の4月1日だった。年だけは周りと同じように取っていく。最近は寝ても疲れがしっかり抜け切らないような、そんな妙な倦怠感を常に感じていた。特段新調もしない関係で、少しくたびれたスーツを身にまとい会社へ向かった。

 4月1日というのは新入生、新入社員の日と言っても過言ではないだろう。今年も新しいスーツを身にまとった若者たちが町に多く繰り出している。きっとこれからの学生生活、社会人人生に対していろいろな期待や決意、緊張などそれぞれが抱いているのだろう。自分も20年前はこうだっただろうか、などと過去に思いを馳せているうちに会社のビルに到着した。どこにでもあるこちらもくたびれた小さなオフィスビルだ。エレベーターもあるが、朝のこの時間はさすがに小さいビルといえども混雑している。健康のためと言えば聞こえは良いが、自分の会社は3階ということもあり、いつも朝は階段を選択していた。

 階段を3階まで登るくらいは問題ないが、それでも昔のような身軽さはないなと年々中年太りが進行し、たるんだ腹を手で撫でながら会社の扉を押し開けた。


「おはようございます!!!!」

 

 遠くにいる人間を呼び止めるような音量の挨拶に面食らい、思わずびくっとひるんでしまった。見ると、明らかにスポーツをしていましたというような男子が真っすぐにこちらを見つめていた。

 さすがに挨拶を無視するほど不躾ではない。同じボリュームでというわけにはいかないが、「おはようございます。」と返し、自席へと向かった。

「(新入社員が来るなんて連絡あったか?)」

 そう思いながら、パソコンの電源を入れた。すると、先ほどの巨躯が改めて自分のもとに歩み寄ってきた。恐る恐る視線を向けると、満面の笑みを浮かべながら


「朝艶寛貴(あさつや ひろき)です!!今日からよろしくお願いします!!!」


 またも怒号にも似たボリュームで自己紹介を受けた。これが、私と朝艶の初めての出会いだった。


 朝から元気いっぱいの男子、朝艶寛貴は今年度唯一の新入社員であり、この春隣の県の大学のスポーツ科学部を卒業したばかりの新卒であった。見るからに運動をしていますという体つきであり、新しいワイシャツも筋肉によって少し窮屈そうに見えた。

 通常は新しい人が入社することになると、人事担当の吉野(よしの)さんから事前に周知があるのだが、朝艶に限っては入社が直前に決まったこととそんな吉野さんが春休みに行ってしまっていたことが重なって、当日までのシークレットゲストとなったわけだ。私だけでなく、周りの者も突如現れた朝艶の存在にソワソワしているようだった。一方、そんな周りの不信感にも似た視線を意に介さず、ニコニコと自己紹介をして回っている朝艶のコミュニケーション能力の高さに私は感心もしていた。

 そんなこんなで少し浮足立ったような、釈然としないような、どこかもどかしい朝の時間が過ぎ、年度初めということもあって全体の朝礼が執り行われた。そこで、社長から朝艶についての紹介が改めて行われたのだった。

 朝艶寛貴(あさつや ひろき)。大学時代は幼い頃から続けているラグビーに打ち込んでおり花園への出場経験もある、見事なまでの体育会系だった。詳細には語られなかったが、事情があって、突然ではあるがうちの会社に就職が決まり、バタバタと準備を済ませて今日を迎えたとのことだった。

 最近の就職活動というのは大学在学時の3年目くらいから動き出していて、早い者だと解禁と同時に内定をもらう者もいるなどと聞く。それに比べれば確かに就職活動においてはかなり苦労をしてきたのだろうか。お世辞にもこの会社は若者が入社を希望するような有名企業たちとは異なり、こじんまりとした中小企業だ。オフィスも先に言ったように、ぼろ目の雑居ビルにも似たオフィスビルだし、新入社員などここ数年はいなかった。こと新卒ともなるとかなり久しぶりな存在に思える。ふと、自分以降に新卒で入社した者は誰だったかななどと疑問もわいてきた。とにかく、そんな会社に土壇場で入社を決める朝艶という男は、それなりに色々と問題を抱えた者なのだろうという先入観が芽生えていた。

 しかし、朝艶はそうした先入観や不信感を弾き飛ばし、かき消してしまうほどに明るく快活な男だった。声がやや大きいがそれもフレッシュさをより一層際立たせた。どこか落ち着いた、言い方を選ばずに言えば暗い職場に突如として真逆の性質を持つ者が現れた関係だった。


「朝艶くんにはひとまず人事の方に行ってもらい、そこで会社のより詳細な説明を受けてもらったのち、明日からは各チームを回ってもらいながら職場体験だ(笑)。」


 久々の新卒の新入社員が嬉しいのか社長もどこかご機嫌だ。きっと新しい風のようなものを彼が吹かすのを期待しているのだろう。仕事に対して熱烈な思い入れがあるわけでもない私ですら、何か新しい変化に期待せずにはいられなかった。

 窓の外に目をやると、通りの桜は満開で、時折吹く風にその花びらを少しずつ散らしていた。ちらちらと舞い落ちる桜の花びらが、穏やかな陽光に照らされて、きらきらと輝いていた。


 4月5日、世間では桜の花が満開となっており、その初めての週末を迎えようとしていた。かくいう私は何をしているかと言うと、私と同じ営業部の女性社員である吉越(よしこし)さんと、朝艶と私の3人で、公園の桜の下にブルーシートを敷いて、花見の場所取りをしていた。

 今まで記憶する中で花見なんて催されたことは一度もなかったはずだが、新卒新入社員の朝艶のことがたいそう気に入ったのか、社長きっての発案であり、倉庫に眠っていた年代物のブルーシートを持ち出したというわけだ。実際には、誇りをかぶっていたので、一度会社のビルの裏の空き地で広げて、綺麗に拭いてから持ってきているという人知れない苦労があったのだが。

 私はたまたま午前の営業が終わって帰社したところであり、吉越さんは今日の営業予定がないとのことで会社にずっといたようだ。他の者は午後にアポイントメントがあったりと都合が悪く、たまたま居合わせた私と吉越さん、そして朝艶で近所の公園に繰り出してきたというわけだ。本当は、明日の打ち合わせ用の資料を作成したいところだったのだが、こうしたせっかくのイレギュラーイベントはぶつくさ文句を言っても仕方がない。歓迎の意味もあるのだし、前向きにとらえようと、ブルーシートを抱えて公園に来たのだった。とはいえ、ゲストである朝艶まで場所取りさせるのは少し違う気もしたのだが、大きな声で一緒に行く意思を表明されると、逆に断りにくいものだった。


「社長もなんだか楽しそうですよね。朝艶くんが来てから社内の雰囲気が明るくなった気がするのよね。」


 吉越さんが微笑みながら朝艶に声をかけた。


「本当ですか!それは良かったです。社長には恩がありますから!早く仕事も覚えて、ばりばり働かないと!」


 朝艶は午後になっても元気いっぱいだ。そんなこんなで他愛もない会話を繰り広げながら、陽は傾いていった。気づけばあたりには同様の花見客が多く集まってきており、公園は手狭な様子になっていた。

 まだ少し陽の光が残る夕焼け空の下、会社のメンバーたちが続々とブルーシートに集まってきた。皆、クーラーボックスや総菜などをそれぞれに持っている。どうやら本当に宴会の予定のようだ。


「それじゃあ、朝艶くんの入社を祝って!かんぱ~い!!」


 社長がニコニコと笑みを浮かべながら、缶ビールを高々と上げた。それに追随して、皆乾杯の音頭を取りながら、各々の飲み物を持ち上げた。私も多分に漏れず缶ビールを持ち上げ、そのまま口元へ運んだ。春とは言え、ずっと外にいたせいか喉がすっかり乾いていた。この乾いたところへ迎え入れるビールの美味いこと。クーラーボックスには氷がたくさん詰められており、缶ビールはきんきんに冷えていた。経年によるものか、単純に歯磨きの仕方が悪いのか、知覚過敏に凍みるほどの冷たさだが、止めることはできなかった。


「冷たくて美味しいですね!」


 朝艶が私の飲みっぷりを見てそう声をかけてきた。


「外でずっと待つのもなかなか体力使うからな。いや~美味い美味い。」


 ふと私もいつになく上機嫌に返答していることに気が付いた。と同時に少し気恥しい思いも胸にふわっと浮かんだ。なかなか新しい社員と早々にこんなに関わることはいままでなかったのもあるが、朝艶との距離感みたいのにもやや影響されたようだ。

 朝艶はコンタクトスポーツ出身者ということも関係しているのか、話をしたり、着席したりする際に、自然と距離を詰めてくるのだった。当人にとっては自然な距離感なのだろうが、私のような内向的、というかあまり積極性のない者にとってはやや驚くというか新鮮な距離感だった。今も自分の缶ビールを私に勧めるかのような距離感でニコニコしている。

 ふと顔をあげると社員は皆楽しそうに各飲み物や食べ物を口に運んでいた。吉越さんが私のもとにどうぞと紙皿に乗った総菜を渡してくれた。しょっぱいおかずと桜餅が同時に載っていたりと、やや雑なところも醍醐味だ。もう酒が回ってしまったのだろうか、こうしたイベントも楽しくて良いものだなという思いが心の中に浮かんだ。

 楽しい時間はあっという間に流れ、お開きの時間を迎えた。朝艶も多くの社員と打ち解けることができたようだ。特に飲まされたりとかそういった雰囲気は感じなかったがかなり酔っている様子だった。私は皆が荷物を引き払った後に、ブルーシートを会社の倉庫に返しに行く役目があったので須らく全員の退散を見送っていた。


「良い週末を~。」


 なんて普段は聞かないような台詞まで飛び出している。良い歓迎会兼花見会となったようだ。思えば花見なんていつぶりだろうか。そんなことを考えながら、ブルーシートの上に舞い降りた桜の花びらをさらさらと払いのけてブルーシートを畳もうとしたとき、視線の端で先ほどまで催しの渦中にいた巨躯がごそごそ動いているのを捉えた。

「あれ?朝艶くん、まだ残ってたの?」

「はい~。ちょっと酔っぱらっちゃって~。少し休憩してから帰ろうと公園の中を歩いていたんですけど、安岡さんが片付けしてるのが見えたので、お手伝いしようと思って~。」


 どうやら手伝いを頼めるほどの余裕は今の彼には残ってなさそうだった。それでも何か手伝うと言って戻ってきてくれるところに彼自身の優しさや体育会系出身者の協調性のようなものを勝手に感じた。

 ひとまず、ブルーシートを畳むための支柱として、朝艶にシートの端を持ってもらいそのまま直立不動を頼んだ。何かよくわからない返事をして、彼はピシッとシートの端を持って立った。おかげでとても綺麗に端を揃えて畳むことができた。

 

「じゃあ、私はこれを一旦会社に置いてから帰るから。朝艶くんも気をつけて帰るんだぞ。」

「俺も行きます~会社~。安岡さん一人だともしもの時危ないっすから~。」


 朝艶はこんな中年太りのおっさんが誰かに襲われるとでも思っているのだろうか。いや、不運にも階段を踏み外したり、交通事故に遭ったりする可能性はゼロではないか。とはいえ…。

しかし、巨大な大型犬のような雰囲気を漂わせながら、私の周囲をうろついているので仕方なく同行してもらうことにしたのだった。

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