死神眼鏡

黒鬼

死神眼鏡

 東南アジアにあるイーラワン共和国。



 この国は内戦が何十年と続き、世界中のゴミが集まっていた。


 それは他国から出る大量の古着や産業廃棄物、どっかの国の兵器だったり、物に限らず国外退去を宣告されたゴミのような人間だったり。


 その上空、軍用輸送機内の格納庫で僕はタバコを咥えて火をつけた。


 天井の煙を感知して警報を鳴らす器具は銀色のダクトテープが巻かれ、その上に貼られた水着姿の金髪美女のポスターがセクシーな微笑みを僕に向けていた。


 僕もポスターに微笑み返す。


「貴様、機内でヤニを吸うな」


 僕とは別のチームリーダーのスタイル抜群で銀髪ショートカットヘアの女、シロ少佐が僕を注意しながら、隣の座席にドカッと腰を下ろした。


「失礼しました! 少佐!」


 僕が彼女に敬礼をすると、彼女はビッと音が聞こえるくらいに様になる敬礼を返した。


 余談ではあるが、彼女が軍のプライベートビーチ内でビーチバレーをしている白のビキニ姿の写真は、日本円にして一枚数万円の価値を叩き出す程に軍の中でファンが非常に多い。


 僕の同期も買っていて見せてもらったが、青年誌の表紙の水着グラビア写真よりも強烈な写真だった。


 何処がとは言わないが、強いて言えば胸が荒まじい破壊力であった。サイズはGかHか、男達の話題でサッカーの次に熱い闘論になるテーマである。


 彼女は無言で僕の胸元のポケットをまさぐり、タバコの箱から一本取り出して口に咥えた。


 僕はライターの火をかざして、火を付けてやる。


「これであなたも同罪ですね。ところで少佐はタバコ吸えましたっけ?」


「ふん……ブゲホッ! ブホッゴホッ! ふー、仕事中にヤニを吸ってるとミステリアスで出来る女っぽいだろ」


「少佐、出来る女は自分で言わないかと」


「うるさい。このコンテナを下ろしたら貴様は軍を辞めて平和ボケした日本に帰るのだ。多少の事は目を瞑って、一緒にヤニを吸って送り出してやろうという心意気だ」


「平和ボケって、悪い事じゃ無いでしょう? 少佐も日本出身なんですから、僕と一緒に軍を辞めて帰りましょうよ」


「無理だ。この国でやるべき事があるから出来ない。……貴様程に軍に適した人間は滅多に居ない。自身、組んだチームメンバー、貴様が指揮した部隊は全て無事に帰還させて、敵部隊は必ず壊滅させてくる。ある部隊は貴様の事を」


 僕は眼鏡の端を持ち上げた。


「死神眼鏡。ふざけた名前です」


「嫌ならコンタクトにしろ、そうしたら死神コンタクトと私が呼称しよう」


「少佐、そういう問題じゃないかと……」


「貴様は普通じゃない。今から私的な見解を言う、恐らく自分の周囲の未来を観てるのだろう?」


「ちょっとだけ違います。僕がまだ日本の中学生の時、死神から不思議な力を貰ったんです」


「死神?」


 シロ少佐は胡散臭そうな目で僕を見た。


「あれは、通学の駅のホームで……」


 僕は当時の記憶をかいつまんで、シロ少佐に話した。



 学校は面白くない。



 みんなが同じ制服、同じ教科書、同じ考え方、同じ話題、同じ事ばっかり。


 駅のホームに来る人もみんな同じ。


 スマホや資格勉強本、小説を読んだり見たり、退屈な日常。


 宇宙からいきなり隕石が降って来て、身体が可愛い田舎の女子と入れ替わったりしないものかと本気で思った。


 そんな気持ちを知ってか、知らずか、駅のホームにフラフラと髪がボサボサのスーツ姿の女が立ったのに僕だけが気付いた。


 なんとなく、この人は今から電車に飛び込む。そう感じた。


 今から僕の目の前で人が死ぬかも。


 胸がドキドキして、まるで演劇の分厚いカーテンが上がるのを待つ観客の気持ちだった。


 突然耳元で、


『今、君が声を掛ければ彼女は生きる。だが、声を掛けた事により通過車両は止まらず、先の川を渡る橋で車両の信号トラブルによる正面衝突事故で25人死ぬ』


 振り返ると羊頭の骨マスクの黒いスーツ姿の化け物が立っていた。


『こんにちは、私は死神だ。おや? 怖くて声が出ないかな、悲鳴くらいあげなさい』


「……コスプレにしてはリアルですね」


『おっと、魔法使いの方と勘違いするなよ。私の事はいいから、どうするのかね』


「教えください。何故、僕が知りもしない人間に関わって助ける必要があるのでしょうか? 別に授業に遅れるだけなんで、僕は何もしません」


『コイツは本当に血の通った人間か⁉︎ 私より死神だな……おほん! ダーメ! 君は苦悩して私を楽しませるのだ!』


「キャラ崩壊してますよ。ああ、めんどうだなぁ」


 僕は女の手首を掴んで、柱にある非常ボタンを押し込んだ。


 ジリリリリ!


 非常ベルがホームに鳴り響き、駅の手前で電車が止まり、ホームは騒然となった。


 ぱっ、と女は僕の手を振り解き、駅の階段に向かって走り出した。


「自称死神さん、彼女は生きていて電車が止まりました。僕に教えたのが間違いでしたね」


『良い回答ではある。けれど、神はサイコロを振らない。物理化学者アインシュタインの言葉だ』


「……?」


 階段の方から悲鳴が上がって、駆け寄ると女は階段の下で倒れていた。女の首は180度に折れ曲がっていて、僕と目があった。


「うっ」


『本日、君がどちらを選択しようが片方は死ぬ。神が決めた事だけは絶対に覆らない。しかし、何が正しいのかは生き様、信じる神、その日の気分で変わる。よって、最初の君の選択である何もしないも答えの一つと言える。さあ、私を楽しませる事を君はしてみせた。ご褒美を君にあげよう』


 この瞬間から眼鏡をかけると、視界に色が見えるようになった。


 僕はタバコの煙を吐き出した。


「信号機のように三色。青色、黄色、赤色で見えるんです。青は安全、黄色は危険と注意、赤は死ぬとか死が近い。という具合で……少佐、そろそろ離れてくれませんか」


 僕に無表情でしがみつくシロ少佐は、溶接したかのように全力で押しても離れなかった。


「貴様が急に怖い話をするからだ」


「えっ、怖いシーンありましたか?」


「ひひ、羊頭……かか、階段のとっとこ、とこ……」


「ええっ……鬼神並み強いと噂で最凶軍人の貴方がまさか、幽霊や怖い話がダメって」


「怖い話はまだマシだが、幽霊に物理的なダメージは与えられん。銃やナイフで対処出来んのは、私では倒せん。そんな事も分からんのか、貴様は」


 可愛い人だなぁ、まったく。彼女の身体の色々が当たって変な気分になってくる。


 一旦、気を落ち着かせて思考を切り替える。


 ……コンテナ内の人間は老若男女で、子供がお腹にいる母親を2人分に加算して15人。


 輸送機内の僕のチームメンバーは7人。


 中学生の頃の死神と会った時と状況が似ている。



 これは、トロッコ問題だ。



 暴走列車の路線を切り替えるレバーが僕の目の前にあって、線路の分岐点の先には、5人のいるレールと1人のいるレールがある。


 暴走列車は絶対に止まらない、どちらかを選択する権利だけがある。


 多くの人間は、被害者の少ない方を選ぶと聞いたけれど、実際に君は出来るのか? と聞いてみたい。


 レバーに触れた時点で、君は殺人者なのだから。



 僕の選択は救える人の数では無い。自分と関わった時間の長い人間を救う、それが僕の選択だ。



 目を閉じてから、ゆっくり開いて周りを見渡すと、機内全てが赤色に染まっていた。


「そろそろですね」


「貴様が何をするのか、察している。警告だ、今ならジョークで許してやるからやめておけ」


 シロ少佐の腰からナイフを奪って、


「遅い」


 少佐の頭突きを鼻頭に喰らい、鼻血が噴き出す。


 自分の腰に手を伸ばして、拳銃を抜こうとするが、手先に当たるのは銃を納めるホルスターだけだった。


「探し物はこれか?」


 僕の拳銃はシロ少佐の手の中で、玩具のようにバラバラに分解されていた。


「やっぱり、貴方は最凶です」


 腰を低く半身になり、拳を軽く開いて構える。


「すぅー、今すぐコンテナを捨ててください」


「それは出来ん。中身は貴様も知っているだろう? 国境を超えられなかった難民の人間達だぞ」


「搭乗前にコンテナから赤い色が漏れているのが見えました。コンテナを積んだ後は機内全体が赤になっています、これは自爆装置を持っている難民がコンテナ内に混ざっているからです」


「ふん。身体チェックは済ませてある、銃火器や爆弾の類など……」


「全員の××の穴までチェックしていましたか? 一部の過激なテロリスト共は、平然と子供のお腹に爆弾を入れます。貴方もよく知っているでしょ」


 シロ少佐が拳を顎まで上げた時、ズドン! と、右足のふくらはぎにバットで殴られたような激痛が走った。


 右足の力が抜けて僕は床に転がった。


 シロ少佐に瞬時に背後を瞬時に奪われて、蛇のようなしなやかな腕で首を締め付けられ首からミチミチ音がした。


 ローキックで右足を破壊、姿勢が崩れたところに首を絞める裸絞め、秒にして二秒。


 僕は絶対にシロ少佐には勝てない。


 意識を飛ばされる前にシロ少佐は、腕を緩めた。


「貴様、他の上官達に搭乗前にコンテナに異常があると報告したか?」


「全部話しましたよ! お前は日本に帰ったら、ママに会う前に病院に行けと笑われましたがね‼︎」


「先に私に言えば良かったな。危険物を持っている奴はピンポイントで分かるか」


「無理です! もう視界が真っ赤です‼︎」


 シロ少佐は、僕の額にパチンとデコピンをした。


「軍人が無理と簡単に言うな。貴様も軍人の端くれだろう、早くコンテナを開けろ。一発で終わらせてやる」


 シロ少佐はブーツと靴下を脱いで、裸足になり地面に短距離走のスタートのように両手の指先をつけた。


「身体チェック時に怪しいのが二人いた。片方を殺す、確率は二分の一だ。何もしないよりマシだろ」


「あああっ! もう! 知りませんよ‼︎」


 僕がコンテナを開けた瞬間に滑り込むようにシロ少佐の姿が消えて、悲鳴が上がった。


 恐る恐るコンテナの中を覗くと、三十代くらいの男の顔をシロ少佐は片手で鷲掴みにしていた。


 男は顎が衝撃で外れたのか、よだれをダラダラ流しながら小便でズボンを汚した。


「コイツは身体チェック時、コンテナ内でも誰とも話さず、飲食物を食ったり飲んだりしてるフリをしていた。コンテナの外の殺すという私の言葉に怯えず、交戦姿勢を見せた。口の中、恐らく歯に起爆スイッチがあると判断して顎の骨を砕いておいた」


「はは……本当に貴方はすごい人です」



 無事、目的地の飛行場について運ばれていくコンテナを眺めながら、僕はタバコを咥えて火をつけた。


 爆弾男の方は、現地の自称自警団が荒っぽく捕まえて建物の裏に連れていかれた。


 すぐに一発の銃声が微かに響いたので、処理されたようだ。


 僕も同じ行動をしただろう。いちいち尋問するよりも始末した方が早いし安全だ。死体になってしまえば、爆弾のスイッチを押せないからだ。


 結局、僕の見ていた赤色の発生原は、難民の母親が持っていた自身の子供の遺体の一部が原因だった。


 ろくに火葬や埋葬が出来ず、自分の子供の遺体を切り取ってでも一緒に居たいと思う母親を僕には理解出来ない。



 死んだら先があるなど、都合の良い人間の戯言だ。



 愛人、家族、親戚の全員を拷問して始末した敵の幹部は、死んだ後に僕に文句一つ言わないのだから。


 そんな事より、死神眼鏡の力にはまだ僕が理解していない事があるのに驚きだ。


 死体=死=赤色


 そういう事なんだろうか?


 シロ少佐は特に疲れた様子もなく、コンテナが別の輸送機に運ばれていくのを黙って見ていた。


 自称自警団達が、コンテナ内もチェックすると騒いでいたが、タバコを満載にした段ボールを数箱持たせてやると泥だらけで古い日本製の車両で走り去っていった。


「……クソ共」


 本気で疑っているのならば、僕達の仲間を撃ってでも無理矢理調べるべきだ。しないのは、俺達は怒っているぞ! というパフォーマンスだから、そうなんだろ?


 今日も弱い立場の奴をイジメて、馬鹿みたいに騒いで、ご褒美を貰って君達は満足か?


 いつ見ても不快で気持ち悪い奴等だ。


 僕と同じ思考パターンを持つ獣達……ああ、これは同族嫌悪だな。


「少佐、一つ質問です」


「なんだ?」


「身体チェック時に怪しいと感じた人間をコンテナに入れたのは何故ですか」


「私は人間を信じたいのだ」


 シロ少佐は自分の腰のホルスターから拳銃を抜き取り、僕に差し出した。


 受け取ると、僕のと同じ拳銃のはずなのにずっしりと重く感じた。


「生まれながらの悪い人間など、この世界に存在しない。しかし、人種、肌の色、出身、学歴、信じる神……理由は様々あるが人は口では差別してはならないと言うくせに結局は差別をしている。そこを指摘すると差別主義者の烙印を押されて消されてしまうから、皆が気付いていながら言わないのだ」


「それはそうですよ。誰でも顔すら分からない奴等にめちゃくちゃ言われるのは好きじゃない」


「それでも私は言う。軍に関わっていると特に人間の汚い部分ばかり観てしまってな。もっとも他人を常に疑って警戒しなければ、死に直結してしまうから仕方がないのだが。今回の件は、私のチェックミスで報告しておく……すまなかったな」


「少佐、残念ながらテロリストとして産まれて命令で死ぬ人間もいます。貴方が人間の綺麗な部分をリスクを考えずに観ようとしたせいで、今回の件が発生したんです」


 少佐は僕に顔向けて何かを叫び掛けたが、代わりに長いため息を吐いた。


「それでも……信じたいのだ」


 論理的な話にならない以上、これ以上の議論は時間の無駄だ。こちらが折れよう、面倒だ。


「コンテナが目的地に着いたんです。もう、僕は軍の人間ではありませんから、関係ありませんので報告は不要です」


「そうか。その銃は退役記念に貴様にくれてやる」


「日本で許可の無い拳銃の所持は、違法になりますのでいりません」


「なら、返せ。空気の読めない奴め。法に触れず何か渡して様になる物は……」


 シロ少佐は首のドックタグを僕に渡した。


        ※


 あれから十年経過した。


 僕は普通の会社員になり、そこそこの役職、そこそこの給料で仕事をしながら、最愛のパートナーとマイホームを買うか悩んでいる最中だ。


 自分とシロ少佐のドックタグは、いつも首に掛けているが、軍にまた戻りたいかと聞かれたら答えは絶対にノーと言う。


 仲間が、ちょっと行きつけのバーに飲みに行くと言って頭に弾丸を喰らって死体袋で帰ってくるのが日常なのだから。


 死神眼鏡の力は、今だに使えて街中で使うと時折赤い色が、線になって見えてしまう。


 リュックから赤色を出している青年を追いかけて、一緒の電車に乗り込んだ。


 青年の目をチラリと見ると、外の景色を見るでもスマホを見るでも無く、仲良くお喋りしている若い母親と娘をジィーっと見ていた。


 青年のリュックから新聞紙の臭いが強くする。中にあるのはサイズ的にナイフか包丁か。いや、ナイフなら折りたたみ式か刃先を収納するケースが大体はあるから、一般人が購入出来る出刃包丁の可能性を考えよう。


 いや……親子は知らない人だし、どちらにせよ、僕には関係の無い事だ。


 青年の武器がナイフだった場合、自分が無傷で出来る対抗手段がほとんど無い。


 武器を持った人間に素手で挑むのは、自害と同じだ。


 どのような手段であれ、最低一回は刺されるリスクを踏む必要がある。


 僕には関係ない。



『私は人間を信じたいのだ』



 ふと、シロ少佐の言葉を思い出した。


 僕は、苦笑いしながら電車の端にある消化器の黄色いピンを引き抜いた。


 青年から目を離さないように視線を向けつつ、消化器を持ち上げるとサラサラと、粉が動く感触が無かった。


 これは液体式の消化器だ。


 よくアニメや映画で使われる粉が吹き出す粉末式であれば煙幕になり、逃げる時間を稼ぐ目隠し程度になるのに。


 上着を脱ぎ、左腕に強く巻きつける。


 青年の武器が先の丸い包丁であれば、刺突無し。斬りつけだけならば、上着である程度はカバー出来る。


 ナイフや出刃包丁タイプならば、刺突、斬りつけもあり。当然、生き残りが難しいだろう。


 今日、僕は死ぬかもしれない。


 その時は青年が、僕を楽しく刺してる間に親子だけでも逃げてくれ。




「拳銃……もらっておけば良かったな」

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