第9話 海割る預言者の杖を叩き売る少女!
「なんてことだ、僕の大事な杖がぁ……」
先端から中ほどまでパックリと割れた杖を握りしめ、僕は途方に暮れた。
「ジモン君、そげな顔をしてどしたんだべ? なんか問題でもあったかの」
仕事の依頼人である漁師のカパックさんが、桟橋に停泊する小舟へと道具を運ぶ手を止めて、僕のほうを心配げに見つめている。
「魔法に使う杖が裂けちゃったんです。こんな感じに……」
カパックさんに割れた杖を見せると、彼は困った様な顔をして、ゴマ塩頭をポリポリとかいた。
「それは何つこったあ。こらあ、見事に割れてらあな。その杖じゃあ、魔法を使うことは出来んのかいな」
「壊れた杖では、上手くマナを制御出来なくなるんですよ。無理に扱うと、僕だけではなく、周りにも危険が及ぶんです」
いかに器用な魔法師であろうと、割れた杖を使って魔法を放とうとすれば、事故は免れないだろう。
酒場でアルバイトをしている時に、とある酔っぱらった魔法師のお客さんがふざけ半分で、ボロボロの杖を使って火属性の魔法を行使しようとしたところ、あろうことか自らの髪の毛に着火してしまい、その半分を一瞬で失ってしまった現場をこの目で見たことがある。
僕が使用するのは水属性魔法だから、まさか髪を失うことは無いと思うけれど……何が起こるか分からないことはしない方が無難だ。
「魔法っちゃあ、難しいもんじゃのう。その杖の代わりを持ってきてはおらんのかいな?」
「すみません、僕が持っているのはこれだけなんですよ。魔法に使う杖は高価ですから」
僕の杖は安物だが、それでも10万ディールもしたのだ。ワンランク上の杖を手に入れようと粘っていた矢先にコレだ。
「魔法師は、とにかくお金がかかるんですよねえ……」
僕のボヤキに、カパックさんは気の毒そうな顔をした。
大都市オルメディアから東に進んだ先に、カルデン湖はある。
雄大で荘厳さすら湛えるその湖は、年中穏やかな気候であり、静けさが拡がる湖と、それを包みこむ木々がもたらす景観が素晴らしいと、古くから避暑地として人気のロケーションだ。
オルメディアへと至る交易路が東西に伸びていることから、湖畔には宿が多く建てられている。交易路を利用する人々の多くは、景観の美しいカルデン湖を訪れるのを楽しみにしているのだという。
そのカルデン湖の湖畔に、昔から小屋を建てて暮らしているカパックさんは、網漁を営む大ベテランの漁師だ。今年で七十歳になるらしいが、元は海で素潜り漁をしていたらしく、体は老境にあるとは思われないほど引き締まっており、まだまだ現役。 十八歳の僕よりも、体力、気力ともに充実しているのではないだろうか。
ただ、カパックさん自身は老いを感じてきたと思っているらしい。冒険者ギルドへたびたび依頼を出し、漁業の手伝いを雇っているのもそのためだ。
冒険者である僕が、カパックさんの依頼を受けるのはこれで十回目。水属性の魔法を専門にする僕ならば、漁業に役立てるかもしれないと思い、依頼を受けたのが始まりだった。
「仕方がないのう。今日は普通の網漁でいくかいの。ジモン君の水魔法を使った漁法に比べると、捕れる量が格段に少なくなるけんど」
カパックさんが言う漁法と言うのは、僕とカパックさんが考えた独自の手法によるもので、方法自体は非常に単純なものだ。
魚たちが泳いでいる場所まで舟で移動した後、僕が舟の上から湖に向かって水属性魔法を行使し、渦巻き型の水流を作る。渦で作った檻に魚たちを閉じ込めたまま、数分かき混ぜた後、水中で漂う魚たちに向かってカパックさんが漁網を投げるのだ。
普段、波もたたない湖で暮らす魚たちは、突如現れた渦状の水流に対応できず、ぐるぐると渦に流されている内に、やがて平衡感覚を失う。そこに網を投下すれば、難なく魚を捕まえることが出来るという寸法だ。
体力で劣る僕は、水属性魔法でカパックさんをサポートする。今回もこの方法で漁を手伝おうと思っていたのだが……。
あきらめきれない僕は、先の割れた杖を押し広げ、中に埋め込まれた「魔導触媒」を確認した。
「うわあ、中のダイヤが欠けている……」
杖に埋め込まれてた魔道触媒であるブラックダイヤが、ほんのわずかであるが欠けていた。
「少し、欠けちょるように見えるが、これぐらいじゃったら、問題はないのではないかい」
そう言うカパックさんに、僕は力なく首を振った。
「鉱石系の魔導触媒は、これぐらいの破損でも命とりなんですよ。上手く魔法が制御できなくなりますから」
「ふうむ。しっかし、杖の中にダイヤが入っとるとは驚いたのう」
「杖に仕込まれたダイヤのおかげで、魔法が使えるわけですね。ただ、そのせいで、魔法用の杖はべらぼうに高いんですよ……」
魔法師達は、火の球を魔物に放って焼き尽くしたり、岩の槍を出現させて串刺しにしたり、風の刃で首をはね飛ばしたり、そして僕のようにやさしく水をかき混ぜたり等、火・水・風・土属性の魔法を操ることが出来るが、魔法を扱うためには、自身の身体に宿るマナを自然と調和させるための触媒となる物質の力を借りる必要がある。
この世の全ての魔法師達は、魔道触媒が仕込まれた道具――杖の他、帽子や衣服、指輪などのアクセサリー等――を身に着けることによって、常に魔法を放つことが出来る準備を固めている。
しかし、その魔導触媒となる物質のどれもこれもが、高額で貴重なものばかりなのが、魔法師達共通の悩みの種なのである。
安い魔法の杖でも、魔導触媒として、ダイヤやサファイア等の宝石類が用いられるのが一般的だ。品質が良いものほど、カットサイズが大きく反射率も高い、傷も曇りもない完璧な宝石が使用されるから、耳を疑う冗談みたいな値が付けられている。
鉱石類の他には、生物由来の物質が用いられたりもするが、そちらはそちらである意味宝石よりも貴重な品ばかりだ。
生物系の触媒には「世界一標高の高い山であるアヴァランテ山に存在する幻の高原草アヴァランテ・サンサンの種子を食べたばかりのアヴァランテ・ネズミを丸呑みしたばかりのアヴァランテ・スネークの胃の中から未消化のアヴァランテ・ネズミを取り出しアヴァランテ・ネズミの胃の中から取り出した未消化の高原草アヴァランテ・サンサンの種子をアヴァランテ山の土の中で三年間寝かしたもの」などという、口に出しても耳に入れても頭がクラクラするような名前の、どこのひねくれ者が発見したんだと首を捻りたくなる珍妙な物も存在するのだ。当然、そのような物に安い値が付く道理がない。
魔法によって自然現象を操作することのできる魔法師は、戦闘から日常生活まで、ありとあらゆる分野で活躍できる可能性を秘めている。
……が、しかし!
魔法学院で勉学に励んだり、著名な魔法師に師事するなどして、晴れて魔法師としての道が開けたとしても、そのポジションを維持するには、カネ! 金がかかるのだ!
そう! 一に金、二に金、三、四を飛ばして五にお金!
金が、とにかくお金がっ!
「とにかくっ、魔法師にはお金っ! お金が必要なんですよっ! ああっ、魔法師はなんて……なんて世知辛い職業なんだっ!」
「……いきなり湖に向かって叫び出すとは、よほど杖が割れたのが悲しかったようじゃのう」
気が付くと、カパックさんが僕に憐みの表情を向けている。
自分を取り巻く金銭事情を思うあまり、つい取り乱してしまった。僕は苦笑いをして場を取り繕う。
「まあ、気を落とさんでもええっちゃ。今日はのんびりやろうやないの」
僕の肩を励ますようにポンポンと叩いてから、カパックさんは小舟に乗り込んだ。その後に続いて僕も小船に乗り、オールを手にする。
「んっちゃ、行きますかいのう」
カパックさんの合図で、舟を漕ぎだそうとした時だった。
「魔法の杖はいらんかー、魔法の杖やでー、上等な杖やでー、魔法の杖やでー、ええ感じの杖やでー、魔法の杖やでー、なかなかの杖やでー、魔法の杖やでー、マホーの杖やでー、マホーのツエヤデー」
どこからか、なんともやる気のない間延びした、後半からはもう完全に棒読みの売り子の声が聞こえてきた。
声のする方を探すと、鞄を背負った少女が、湖畔の道を歩いている姿を発見した。木々の緑の中にあって、彼女の被る赤い頭巾はよく映えている。
売り声を唱えながら歩いているということは商人なのだろう。僕にとって非常に都合よく、魔法の杖を売っているらしい。異様にやる気のない声だしはいかがなものかと思うけれど。
「商人が通りかかったようです。すみませんが、ちょっと待っていただいてよろしいでしょうか」
「よかったのう。行って来なさいや」
カパックさんに断ってから、僕は小舟を降り、少女の方へと走った。
彼女がいる位置は、桟橋から少々離れていたものの、すぐに追いつけた。
こちらからは、桟橋で待機するカパックさんの姿が見える。さっきは気が付かなかったが、すぐそばには、双眼鏡を構えて湖面を眺める男性の姿もあった。
「あの、君は商人なのかな? 魔法用の杖を売っているって……」
僕が尋ねると、少女は驚いたような顔をした後、
「おや、こんなところでお客さんかいな。ダメもとで声掛けしといてよかったわ!」
ぼけっとした顔から一変、「いらっしゃいまし!」といい、満面の笑顔を振りまいた。
「すごくやる気がなさそうだったのが気になるけど、大丈夫?」
「別にやる気がないわけやないんやけど、こんなところで魔法の杖が売れるわけないと思ってたんは確かやで。でも、なんもせんのもなあと思って、とりあえず声掛けしとけばええやろの精神で、省エネ営業しとったってわけや。カルデン湖はただ通りかかっただけで、本当はこれから、オルメディアの商人の川へ行くつもりやったんよ」
確かにカルデン湖では、釣り竿ならまだしも、魔法用品は売れないだろう。
「君が売っている杖を見せて欲しいのだけど」
僕が尋ねると、少女は得意満面の笑みを浮かべて、「こいつが今日の目玉商品やで!」と、背負っているカバンから一本の杖を取り出した。
「これは……ずいぶんと年季が入った杖だね」
相当な年月を経たと思しき、Tの形をした木製の杖だ。
全体的に、血で染め上げたかのような赤黒い色をしているから、一目見たとき、少しばかしギョッとした。
「いくらするのかな。手持ちはとても少ないから、買えるかどうかは分からないんだけど……」
今の僕の手持ちは1万ディールそこそこ。
杖が買える可能性は限りなく低い……いや、むしろ絶無と言ってもよいのだけれど、聞くだけならタダ。ダメで元々である。
「ムフフ、この杖はなんと、たった1000ディールの品やで! 聖人もギョッと目を剥く驚愕プライスや!」
「えっ。せっ、1000ディール!?」
思わず目を丸くしてしまった。
魔法の杖が、1000ディールだって?
いくらなんでもあり得ない。
魔法師から金をむしろうとするのが魔法触媒ってものなんだ。そんな良心的な値段……むしろ、もっと欲を出すべきだよと、こちらから余計な一言を口に出してしまいそうな安値で売られているわけがないんだ。
もう一度少女に値段を尋ねると、
「1000ディールで間違うとらんで。大特価セール実施中って奴や!」
「これ、本当に魔法用の杖なのかな。ただの杖ってことはない?」
「当然、コイツはただの杖とちゃうで。見た目は古臭い杖やけども、今でもちゃんと使えるで」
どうやら、魔法用の杖ということで間違いないらしい。
「もう一度だけ聞くけれども、本当に値段は一〇〇〇ディールぽっきりだよね。後で変な形で請求があったりしないよね?」
「ウチはアコギな店と違うさかい、ぼったくりなんて絶対にせえへんで。明朗会計がウチの売りやさかいな。やから安心して買うんやで」
高すぎるのはもちろん困るけれども、安すぎるというのも、なんというか、不安を煽られるというか……ワケありの商品では無いかと勘ぐってしまいそうになる。
しかし、僕が購入を迷ったのは、ほんの束の間のこと。結局は、少女から杖を購入することに決めた。
ワケありだろうとなんだろうと、たった1000ディールの買い物だ。もし自分に合わない杖であっても、簡単にあきらめがつく。
壊れた杖を使うよりもマシのはずだからと自分に言い聞かせつつ、僕は銀貨を少女に手渡した。
「よっしゃ。童顔のオニーサンが、伝説の杖をお買い上げや! じゃ、今後もごひいきにな!」
「……ん? あの、ちょっと待って」
僕は、お金を受け取って帰ろうとする少女を、慌てて引き留めた。
さっき、さりげなく「伝説の杖」と言わなかった?
「どないしたんやオニーサン。返品は勘弁してや」
「えーと、僕の聞き間違いかな。さっき伝説の杖って――」
「ムフフ、その通りやで!」
少女は、腕を組み大きく胸を張った。
「そいつは……ええと、名前ド忘れしたけど、どこぞの預言者が使ったっちゅう、数多の奇跡を起こしてきた伝説の杖やで!」
……伝説って何だと思っていたら、何やら杖の設定らしきものが出てきたぞ。
やっぱり、1000ディールという値段――子供のお小遣い程度の値段だったことを考えるに、この杖はおもちゃなのでは……いや、只の杖とも思われないオーラを放っているのは事実だ。
「使ってみたら、その伝説っぷりが一発で分かると思うで、知らんけど」
使うとすぐ分かると言うならば、とりあえず使ってみよう。
元々、駄目もとで買ったものだから、ガッカリするも何もない。
少女が見守る中、僕は湖に杖の先端を向けた。そして、頭の中で、湖に渦を生み出すようイメージを膨らませつつ、水魔法を発動するために呪文を詠唱する。
「万物に宿る水の精霊たちよ、我の求めに応じ——」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
突然、僕の詠唱をかき消すような轟音が辺りに響いた。
「え、な、なに!?」
地が震えるような音は、どうやら湖から発せられているようだ……と思った次の瞬間、さっきまで波すら立たなかった水面が、ぶるぶると生き物のようにうごめいた。
やがて、湖を真っすぐ縦に斬るように、白い飛沫の線が生じる。
飛沫の線はゆっくりと左右へ大きく広がりを見せ、やがてはっきりとした裂け目へと変化した。
そして……。
カルデン湖が、真っ二つに割れてしまった。
「え、えー……え!?」
あまりの事態に、「え」しか言葉が出てこない。
湖面に現れた巨大な裂け目を覗くと、遥か下方に、カルデン湖の底が見えた。僕が想像していたよりも、湖の底はずっと深い。
「こりゃ凄いわ、湖が真っ二つに割れてしもたで! さすがは伝説の杖や。やることがダイナミックやなあ!」
まさかこれ、この杖がやったことなのか!?
「こらぁどうしたことじゃあ! 湖が、湖が割れおったぞい!」
桟橋では、カパックさんが驚嘆の声を上げていた。
そりゃあ驚くよ、僕にも信じられない。
僕が杖を降ろすと、湖は唸りをあげながら元の姿に戻り始め、たった数秒ほどで、異常な光景は跡形もなく消え去った。
「何だったんだ、今のは。幻か?」
もう一度、杖の先端を湖に向けてみる。
今度はためしに、詠唱をせずに。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
呪文を唱えもしていないのにも関わらず、普段静かなカルデン湖は、湖が立てるべきではない轟音と共に、再び真っ二つに裂けてしまった。
「……おかしい」
どう考えてもおかしい。
だって、おかしいでしょう、これは。
僕、杖を向けただけだよ。
詠唱を唱え切っていないし、もちろんマナも消費していない。
湖を割ること自体は、水属性魔法の範疇と言えなくもない……ないけれど、大賢者であってもこのような芸当は出来ないだろうし、そもそも、一切のマナを消費せずに、こんな大それたことを引き起こすなんて絶対に無理、不可能だ。
なのに……なのにっ!
なんで、どうして湖が割れるんだっ!?
「うおおっ、またじゃ、また湖が割れおったぞおっ!」
桟橋の方から、カパックさんの声が聞こえてきた。異常をきたした湖を眺めつつ、驚きと興奮の声を上げている。
「湖の神様じゃ! 湖の神様が奇跡を起こされたのじゃあ!」
湖に向かって「ありがたやありがたや」と拝み始めるカパックさん。
神の御業のように映るかもしれないけれど違うんですよ、全部この杖がやったことなんですよ。
僕が、異様な出来事の前に混乱していると、
「ほほう、これはまるでモーゼスが起こした十の奇跡の一つ、『モーゼスの海割り』のような光景ですなあ」
僕達のすぐそばで釣りをしていた老紳士が、おもむろに立ち上がった。
彼は眼鏡を指で押し上げながら、
「モーゼスは、砂漠の国エジプティアにて活動した、伝説の預言者です。歴史学者の間では、『海割り』の奇跡を為したことで有名でございますなあ。
彼の活躍を記した預言記『出エジプティア記』には、国の政策によって虐げられた奴隷たちを連れ、エジプティアから脱出する様子が克明に描かれております。神より、奴隷たちを『安息の地』へ導く担い手としての使命を受けたモーゼスは、兄であるアルンと共に、エジプティアの国王へ奴隷たちの自由を願い出ました。国から許しが出れば話は早いのですが、しかし、国王は彼らの訴えに聞く耳を持ちませんでした。国との衝突が避けられないことを悟ったモーゼスは、神から授かった杖を用いて、国に反旗を翻すことを決意します。
後の世に云う『十の奇跡』によって、エジプティア王に抵抗を示し、奴隷達の自由を勝ち取ろうとしたモーゼスでございましたが、やがて、国王が差し向けた軍勢によって、奴隷ともども海へと追いつめられてしまいます。このままでは、海に身を投じるしか道は無い。絶望する奴隷達を救うべく、モーゼスが杖を天へと掲げた途端、眼前の大海が真っ二つに裂けたのでございます。モーゼスは奴隷達を連れて、海の底を渡ることで、悲願のエジプティアからの脱出に成功したのでございます。
海と湖という違いはございますが、我々の目の前に広がる光景もまた奇跡。眼福至極にございますなあ」
誰も聞いていないことを語るだけ語った老紳士は、僕らに向けて満足げに微笑んだ後、静かにこの場から立ち去った。
「有識者のオッチャンは教えたがりやなあ。こんなところにまで現れて伝説を語りだすなんて、ある意味預言者みたいな人やで」
「ぽっと出のあのオジサンは誰? 君の知っている人なの?」
「ウチが商売するとたまに現れる、伝説とかに異様に詳しいオッチャンや。あのオッチャンに関しては、ウチもそれぐらいのことしか知らへんで」
伝説に詳しいらしい謎のオジサンの正体も気になるけれど、今の問題はこの杖である。
「ねえ、どうやっても湖が割れちゃうんだけど……」
「海をパカッと割った伝説の杖やさかいな。湖をカチ割るくらい、簡単なもんやで! 1000ディールで湖を割る杖が手に入って、めっちゃお買い得やったやろ?」
「お買い得ではあったかもしれないけれど、湖を割っても何の得もないんだよなあ」
三度、杖を湖に向けると、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……というお馴染みとなってしまった騒音とともに、当たり前のように湖が真っ二つに裂けた。
どうしよう、割りたくないのに割ってしまう!
「うおおおっ! またじゃ、また湖の神様が奇跡を起こされたぞ! ほれ、皆の衆も湖に向かって拝むのじゃ! ありがたやありがたやありがたや……」
カパックさんはもう完全に誤解しているし、いつの間にやら小屋の前には、カパックさんと同年代のお年寄り達が数人集まって、一斉に湖に向かって手を合わせているし……。
「他に杖はないのかなあ? 普通に魔法が使えるようなものがいいんだけど……」
「ウチは一品に全力を傾けていく営業スタイルやさかい、今日はこれしか持って来てへんで」
何がどういう理由で湖が割れるのか分からないのだけれど、この杖は少なくとも漁に使える代物ではなさそうだし、正直、何に使ったらいいものか、僕の貧困な想像力ではとても思い浮かばない。
そんな僕の思いが顔に出たのだろう、少女は僕の顔を見て、意味ありげにムフフと微笑んだ。
「どうやらオニーサンには、湖を割って楽しむ趣味はなかったみたいやけど、でもダイジョーブ! この杖には、様々なユーザーの声に応えるために、多くの機能が搭載されとるさかいな」
「へ? 機能?」
魔法の杖に求めているのは、安全かつ確実に魔法を放つことが出来るかどうかだから、他に機能があると紹介されてもピンと来ないし、むしろ、変な機能なら付けないで欲しいとさえ思うのだけれど……。
少女は鞄から、擦り切れの目立つ古ぼけた巻物を取り出し、目の前で広げてみせた。
「この巻物があれば、預言者の杖のことも丸裸やで」
「その巻物は何?」
「預言の書や」
「預言の書って何なのさ?」
「この杖を使って奇跡を起こした、とある預言者のことが記されとる巻物や。まあ、杖の取扱説明書のようなモンやで。ウチもその杖の全容を把握できてへんさかい、チョイと読ませてもらうで。えーと……ふむふむ。まず一つ目の機能やけど、この杖をヘビに変身させる魔法を扱えるらしいで」
「へ?」
なんだなんだ?
杖がヘビに変身する? そんなこと、あるわけがないじゃないか。
そもそも、それは魔法なのか?
「爬虫類好きのユーザーの声を形にしたような、とってもユニークな魔法やで」
「あのう……それは本当に魔法なのかなあ? 火・水・風・土属性の内、どれに分類される魔法?」
「ウチは魔法師やなくて商売人やさかい、そんな難しいことを聞かれても、さっぱり答えられへんで。ソロバンの弾き方とか、エコノミクチュのことやったら、手取り足取り教えたるけど」
どうやらエコノミクスと言いたいらしい。
「チョイとその杖をウチに貸してみい……こうやって杖を両手で握りながら、いるかどうかも分からへん神さんに祈りを捧げつつ、こう叫ぶわけや……『ヘビになってみい!』。すると、ほれ! なぜか杖がヘビに早変わりやで!」
杖の先端がにょろりと曲がったと見えた次の瞬間、なんと、本当に杖がヘビに変わってしまった!
「わわっ!」
子供の頃からヘビが苦手な僕は、思わず後ずさってしまった。その拍子で、壊れたばかりの杖を取り落としてしまう。
杖の色と同じく、血のような毒々しい色の鱗のヘビは、少女の手からするりと離れると、僕が落とした杖の前まで這いよった。そして鎌首をもたげると、大きな口を開き、シャーッと、威嚇するような音を立てた。
「どやっ! こんな奇妙奇天烈な杖、どこを探してもコイツ以外にはあらへんで!」
「あのう……ヘビに化けた杖が、僕の杖を丸呑みしようとしているんだけど……」
ヘビに化けた杖は、なぜか僕が落とした杖を飲み込もうとしていた。悪食にもほどがある。
その姿を見て、少女も目を丸くした。
「ホンマや。杖が杖を共食いするとは……あっ、とめる間もなく、杖をまるっと呑み込んでしもたで。うーん、オニーサンに悪いことしてしもたなあ」
「使いものにならなくなった杖だから、別に構わないけれど……」
僕の杖を吞み込んだヘビは、大きくゲップした後、アッと言う間に元の杖の姿に戻った。さっきまでが嘘だったかのような速さで。
なんだったんだ、今のは。
ある意味、奇跡のような光景だったけれど……。
「預言の書には、イナゴの大群を呼び寄せる機能もあると記されとるで。昆虫好きのユーザーの声にも耳を傾けるとは、流石は伝説の杖や。カルデン湖の底のように、恐ろしくフトコロが深い杖やで」
「だから、それは何属性の魔法なんだい?」
「ふむふむ、なるほどなるほど……その他にも、ユニークな魔法を扱える機能が搭載されとるらしいで。街を暗闇で覆う機能……これは闇属性の魔法やろなあ。カエルを召喚する機能……強いて言うなら多分、水属性の魔法やと思うわ、知らんけど。それと、動物に疫病をもたらす機能……むむむ? なんやねん、この胸糞の悪い魔法は。ニャンコやワンコを病気にして、どこの誰が得するんや? これは絶対に病み属性の魔法やで」
どれもこれも、僕の知っている魔法じゃない!
生命に宿るマナを消費して、自然現象を操るのが魔法なんだ。手順を踏まずにいきなり湖を割ってみたり、動物を呼び寄せたり、珍妙な事態を引き起こしたりするものなんかじゃあないんだっ! 断じて違うっ!
「ムフフ、杖の機能を使って、かわええカエルを一匹召喚してみたで。これでウチも魔法師の仲間入りや!」
得意げに胸を張る少女と、赤ずきんの上で胸を張るカエルを見つめながら、僕は大きくため息をついた。
「……それが、ただの杖じゃないってことは、よーく分かったけれど、水に関わることで何か出来ることはないのかな? 湖を割る以外に。例えば、ほら、湖に渦を作るとか……」
「水かいな……あっ、一つだけあるみたいやで」
「あるの!?」
なんだ、ちゃんとあるんじゃないか。
一縷の望みにかけた質問であったが、もしかすると何とかなるかもしれない。
僕は少女から杖を受け取ってから、水に関連する魔法の使い方をたずねた。
「やり方は簡単やで。杖の先端を湖にひたすだけや」
「簡単だね。で、杖を湖につけると、どうなるの?」
「アラ不思議。湖が真っ赤な色に変わるらしいで!」
「そんなことをしたら街の人達に殺されてしまう!」
……仕方がない。
魔法を使って漁をするのはあきらめよう。カパックさんには、ちょうどいい杖がありませんでしたと伝えて、通常の網漁に切り替えよう、そうしよう。
そして、さっき買ったこの杖は、どうやら返品不可のようだから、家の物入れの奥のほうに眠らせておこう。もう二度と使うことはないだろうし。
小屋に戻ろうとしたとき、カパックさんが僕の元へと走り寄って来た。先ほど湖を拝んでいたご老人達も一緒だ。
「すみません、カパックさん。杖をこの子から買ったんですけれど、僕には合わない杖だったので、今日は網漁に――」
「それがのう、ジモン君や。今日の漁は中止することになったんじゃ」
「……えっ。それはなぜですか」
「今から、宿場街の者達を集めて祭礼をはじめることになったでのう」
……僕にはカパックさんが何を言っているのか、さっぱり分からないのですが。
「さっ、祭礼?」
「ジモン君も見たじゃろう。カルデン湖がパックリと割れたのを。あれは、カルデン湖を古くから見守られている湖の神様が、ワシらのために奇跡を起こされたものに違いないわい。そのお返しに、ワシらは神様に感謝の意を示さんといかんのじゃ」
違うんだ。神様が起こされた奇跡じゃあないんだ。すべてはこの杖がやったことなんだ。ついでにいうと、魔法でもないんだ。
そう伝えたかったが、目が輝いているカパックさんと町の人達に、本当のことが言えるわけがない。
僕が、何をどう伝えるべきか言葉を選んでいるところで、
「神様だ! 湖の神様が、空飛ぶ絨毯に乗って降臨なされたぞっ!」
誰かの驚嘆の叫び声と共に、周囲が騒然となった。
僕の頭の中も、疑問符で一杯になる。
は? 湖の神様? 空を飛ぶ? 絨毯?
集まった人たちが、湖へと一斉に視線を移したので、僕も慌てて同じ方向へ顔を向けると。
空を飛ぶ絨毯に座った中年のオジサンが、湖面の上を浮きながら移動する姿があった。
「おおっ、浮いておられる! 神様が優雅に浮いておられますじゃあ!」
「なんと神々しい御姿よ!」
「神降臨!」
……あの絨毯に乗った冴えないオジサンは、どこのどなたです?
「誰かと思えば、『空浮く絨毯』をお買い上げのオッチャンやん。こんなところで浮く練習をしてはったんやなあ。とても楽しそうに、ウッキウキな気分で浮いてはるで」
「まさか、あの人も君のお客さん!?」
そもそも、空に浮く絨毯って何なのさ!?
僕の混乱が最高潮に達したとき、
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
例の音が、カルデン湖から響いた。
「あっ!」
僕は、自分が杖の先端を湖に向けてしまっていることに気が付いた。
って、湖に向けただけでダメなの!? 全くなんなんだこの杖は!
「うおおおっ! カルデン湖の神様が、再び奇跡を起こされたぞっ! ありがたやありがたや……」
静かな湖は豪快な響きとともに割れ、浮遊する絨毯に乗ったオジサンはさらに高く高く浮遊し、カパックさん達は謎のオジサンを神様であると勘違いし……。
なんだろう、このカオスな状況は。
一体、これからどう収拾をつければいいんだ?
「きっと、こういうのをお祭り騒ぎと言うんやで。こうなったら、ウチらもお祭りに参加せんと損やでオニーサン!」
収拾がつかないならば、僕らも騒ぎに参加するしかない……かなあ?
_____________________________________
本作の「海割る預言者の杖」は、モーセの十戒で有名な「アロンの杖」をモデルにしています。奴隷を連れてエジプトを脱出する際に、海を割ってみせた杖として有名ですが、他にもヘビに変身したり、水を血に変えたり、動物に疫病をもたらしたりと、結構不穏な奇跡を起こしているようです。
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