第9話 悪魔チンチロ③
ギャラリーのどよめく声が響き渡る。
卓にドンと置かれたのは、十枚のチップ。
それは、グリーンカードから引き出せる上限。
最悪、死ぬ覚悟で、メリッサは大勝負を仕掛けた。
「……アナタ、正気? 飛べばタダじゃ済まないのよ?」
呆れたように声を上げたのは、バグジーだった。
チップ保有数は五十七枚。現在トップに位置している。
「「「…………」」」
その他の三名は、沈黙を貫いている。
勝負に乗ってくるような気配は一切ない。
理由は単純。彼らが保有する枚数に関係する。
シェン=四十七枚。
マクシス=四十九枚。
閻衆=四十七枚。
三人は総じて、五十枚を下回っていた。
場代が十枚だと、ピンゾロを引けば即ドボン。
マイナス五十枚となり、地獄行きが決定するライン。
裏を返せば、バグジーだけが、ピンゾロを引いても助かる。
強気に出ているのは、勝負に乗ったところで、死にはしないから。
(……まぁ、普通に考えりゃあ、こうなるっすよね)
バグジーはともかく、他三名の心情は読み取れる。
ルールから考えれば、リスクを負う必要性は全くない。
手下からチップを借り、特急権を買うだけで上階に進める。
必死で築いた今の立場を、たった一度の勝負では捨てられない。
言うなれば、心の贅肉。それを取り除いて、ようやく博打が始まる。
「正気のままで勝てるほど、ここは甘くないっすよ」
メリッサは思惑を胸の内に秘め、盤外の交渉を始める。
勝負に乗せるか、乗せられないか。その手腕が問われる場面。
「……分かってないわねぇ。押しと引き、正気と狂気の使い分けを心得ているからこその立場。持たざる者のアナタとは違って、アタシたちには失うものが沢山あるの。ギャンブルで感じたいだけなら、その辺の有象無象とやってなさい」
バグジーは、他三名の意見を代弁するように語り出す。
正論も正論。納得させるには、それ相応の理由が必要になる。
「『目先の苦より、後の利を選ぶ』この言葉に聞き覚えはないっすか?」
まずは取っ掛かりになる部分を問いかける。
「アネさんの言葉だな。それがどうした?」
そこで話に乗ってきたのは、閻衆だった。
引用した言葉は鬼道組元組長。鬼道楓のもの。
彼女が組長時代の、元若頭としては聞き流せない。
幸先は順調。ここから話をどう広げるかが問題だった。
「目先の苦労を惜しまないことで、後の利益を得たことを賞賛したんだと思うんすけど、これには必ず意味があるっす。……例えば、彼女の担当管轄区画では、ここで楽した分は苦しみ、苦労した分は楽できる賭場になると読んでるっす。元組長の人となりをよーく知ってる閻衆さんなら、察しがつくんじゃないっすか」
メリッサが述べるのは、楓の発言を根拠にした考察。
これだけなら予想の範囲を出ないけど、担保があれば別。
あの悪魔と親密な関係にあった立場の言葉なら、信頼できる。
「あのねぇ。その程度の予想で命を張れるほど――」
「……オレは張るぞ。アネさんが如何にもやりそうなことだ」
否定するバグジーをよそに、閻衆は命を張る。
耳揃えて十枚。最悪の場合、致死量に匹敵する額。
無数の言葉を並び立てるよりも、効果のある一回の行動。
(流れが、変わったっすね……)
冷めた賭場に熱が宿ったのを、肌で感じ取る。
賭ける道理があれば、裏社会の重鎮共は目を覚ます。
「死は元より覚悟の上。納得できる理由があれば是非もない」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず。修羅場など、乳飲み子から慣れっこよ」
黙っていたマクシスとシェンの財布の紐が緩み、賭場は過熱。
追加されたチップは二十枚。命知らずの参加者は四名となった。
残すところ一名。難色を示していたオカマに自然と視線が集まる。
「はぁ……。馬鹿ばっかりねぇ。…………まぁ、嫌いじゃないけど」
小さな流れが大きな流れを呼び、バグジーが勝負に乗る。
場代は総じて五十枚。死に片足を突っ込んだ、博打の始まり。
「そうこなくっちゃ、面白くない。満場一致なら、早速、勝負を――」
メリッサは茶碗を手繰り寄せ、サイコロに手を伸ばす。
順番は巡って、今は親。リスクもリターンもデカい状況。
狂気に染まる賭場は整い、ギャラリーの熱は上がっていく。
反対する者はおらず、命賭けの勝負を望む者しかいなかった。
「駄目だよ、メリッサ。……俺は反対だ」
――たった一人の頑固者を除いては。
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